壇ノ浦の戦い/Wikipediaより引用

源平

開戦、壇ノ浦の戦い! 源氏 vs 平家の最終決戦はいかにして行われたか

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生きるか死ぬかの瀬戸際というときに、同じ武士でありながら「東国の者だから」という理由で見世物扱いするというのはなかなかのブラックジョークですね。

とはいえ女性達にとっては「もうすぐここに源氏軍がやってくる」=死の宣告ですから、いよいよ覚悟を決めなくてはなりません。

清盛の妻・二位尼(にいのあま)安徳天皇を抱きかかえ、三種の神器のうち天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)と八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)を身につけました。

まだ6歳の安徳天皇には事の次第がわからず、「尼よ、わたしをどこへ連れて行くのか?」と尋ねたそうです。

さすがに二位尼も全てをそのまま話すことはできず、「波の下にも都はございます。ご案内いたしましょう」と答え、そのまま海へ身を投げたといわれています。

八艘飛びを描いた和布刈公園の壁画/Wikipediaより引用

義経の八艘飛びを描いた和布刈公園の壁画/photo by TT mk2 Wikipediaより引用

 

長い髪を熊手に引っ掛けて建礼門院を引き上げた

このとき安徳天皇の母・建礼門院も入水しました。

が、彼女は源氏軍によって命を助けられ、母子連れ立っての旅立ちは叶いません。

このとき源氏軍は「長い髪を熊手に引っ掛けて」彼女を引き上げたそうです。ひでえことしやがるなぁ。

上記の通りこれは平家物語の表現なので、実際には波に打ち上げられたところを源氏軍が見つけただけかもしれませんけども。

その後、平家方では男性も女性もこぞって海に身を投じ、後には平家の赤い旗と無人の船だけが残ったのでした。

まさに「おごれる者も久しからず、ただ春の夜の夢の如し」といった状態だったのでしょう。

……え?「赤い旗を紅葉に例えてるんだから、”春”をオチに持ってくるな」って? こまけえこたあいいんだよ。

実は建礼門院の他にも平家方でこのとき生き残った人がいたのですが、それはまた日を改めて見てみたいと思います。

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長月 七紀・記

【参考】
国史大辞典
高等学校古典B平家物語/wikibooks
壇ノ浦の戦い/Wikipedia

 



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