月岡芳年『月百姿 稲葉山の月』

月岡芳年『月百姿 稲葉山の月』に描かれた若き日の豊臣秀吉/wikipediaより引用

戦国FAQ

秀吉はどうやって信長(織田家)に仕官したのか?

いったい豊臣秀吉はどうやって織田信長に仕えることとなったのか?

大河ドラマ『豊臣兄弟』の第一回放送に注目していたところ、

「織田様に仕えることになった」

と一言だけで済まされていた。

もしかしたら今後、詳細が聞けるかもしれないが、いずれにせよ同時に気になってくるのが

「史実における秀吉仕官の流れ」

である。

秀吉は実際のところ、どうやって信長(織田家)に仕えるようになったのか。

逆に信長は、秀吉の何を気に入ったのか?

若き頃の秀吉を描いた月岡芳年『月百姿 稲葉山の月』/wikipediaより引用

史実面から振り返ってみよう。

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『太閤記』ではどう描かれている?

豊臣秀吉の織田家仕官――結論から申しあげると、この点に関する確かな記録(史実)は見つかっていない。

秀吉が足軽になる以前、織田家で下働きから始めていたとすれば、そんな身分の低い人物が記録されていないのも当然の話であろう。

現在まで伝わっているのは、後年に記された軍記物などで、どうしても脚色された描写になってしまう。

しかし、他に頼れる史料もないため、ドラマや漫画などではそうした物語をベースに秀吉仕官の様子が描かれることが多い。

豊臣秀吉の肖像画

豊臣秀吉/wikipediaより引用

では、どんな書物をもとに、どう描かれているのか?

まずは江戸初期に小瀬甫庵が著した『太閤記』に注目してみよう。

仕官時期:永禄元年(1558年)9月

経緯:秀吉が清州城の信長へ直訴した

桶狭間の戦いが永禄三年(1560年)5月なので、その約2年前。

秀吉から信長へ、直接「仕えたい」と訴えたとされ、そのときの内容は概ね以下の通りである。

直訴の内容:私の父である竹阿弥は織田大和守(清洲城主・織田信友/信長の弾正忠家の主筋)に仕えていたが、家が貧しくなり、私は微小の身として方々でこき使われてきた。願わくは殿に直接仕えたい

織田信友

模擬天守のある現代の清洲城

これに対し信長はこう答えた。

「面構えは猿に似ていて心は軽そうだが、気のいい奴だろう」

最初から好感を抱いた様子で、召し抱えたとしている。

ちなみに呼び方は「猿」ではなかった。竹阿弥の子だからという理由で「小竹」。

その後、秀吉は信長にまめまめしく仕え、外出の際などに「誰かいるか?」と呼ばれたときには真っ先に応え、所用をこなしながら信頼を重ねてゆき、出世の糸口を掴んだとする。

以上が『太閤記』の内容であり、次に『絵本太閤記』をみてみよう。

 


草履取りでお馴染み『絵本太閤記』

有名な「草履取り」の話が初めて出てくるのは『絵本太閤記』である。

初編は寛政九年(1797年)。

江戸時代に入ってから200年ほど経過しているが、同書ではどう描かれていたか?

時期:永禄元年(1558年)9月1日

経緯:信長が鷹狩りに出かけた際に秀吉が願い出た

その頃の信長はとある女性のもとへ通っており、夜は頻繁に外出。

秀吉は草履取りの頭に「私はまだまだ学ぶべきことが多いので、毎日殿のお供をさせていただきたい」と願い出て許可を取ったという。

毎日秀吉の働く姿を見た信長は「さては古参の者どもが下っ端に仕事を押し付け、楽をしているのでは?」と怪しんだが、草履取りの頭が経緯を説明すると信長も納得。

織田信長の肖像画

織田信長/wikipediaより引用

草履については、懐ではなく背中に入れて温めていたと描写されている。

秀吉は毎晩のお供を続けただけでなく、部下を室内で待たせて自分は屋外の警戒をし、これがまた信長に感心されて出世に繋がったことになっている。

 

火縄の描写もある『名将言行録』

読み応えのある戦国譚が多く、読み物として今なお人気の『名将言行録』。

こちらはさらに時代が進み、幕末~明治にかけて成立したもので、内容の信憑性はまた一段と下がるが、秀吉の仕官についてはこう記している。

時期:永禄元年(1558年)9月1日

経緯:信長の行列に声をかけて召し抱えられた

※それ以前は今川家に仕えていたが、出世が望めずに見切りをつけていた

出会いのシーンにはあまり行数が割かれておらず、

・草履取り

・信長のお忍びに毎日付き合う

・草履を背中で温めた

という点は『絵本太閤記』と同じような記述。

異なる点は「農家から火縄の徴収を任され、出世の糸口を掴んだ」という記述が『名将言行録』では付け加えられていることであろう。

なぜ火縄が出世のキッカケになるのか?

火縄は「木綿や竹などの繊維で編んだ紐を硝酸カリウムに漬け、乾燥させて作る」という面倒な作業が必要だった。

当時の農家に税として課されており、足りない分は金銭などで補うことになっていたので、秀吉はその分をごまかして馬や従者を手に入れ、一隊を率いて信長の戦に参戦したとする。

前述の通り『名将言行録』は完成が明治時代に入っており、創作度合いも高い傾向がある。

あくまで物語として楽しむ範疇のものであろう。

イラスト・富永商太

秀吉の仕官はどう描かれていたのか――江戸時代の書物をまとめるとこうなる。

秀吉は永禄元年(1558年)に信長に仕え始め、側近くに仕える小者から出世した。

それができたのは、秀吉が人並外れてまめまめしく働いたからだ。

今のところ史実面からの決定打はない。

新史料が発見されるまで、今後もドラマや漫画等では『甫庵太閤記』『絵本太閤記』『名将言行録』に沿った描写がなされるだろう。

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参考文献

  • 太田牛一『現代語訳 信長公記』(KADOKAWA〈新人物文庫〉、2013年10月9日)発行年月:2013年10月09日(紙)/2013年10月25日(電子)ISBN:978-4-04-600001-9
    出版社公式サイト:KADOKAWA
    Amazon(販売):Kindle(ASIN:B00G6E8E7A)
  • 岡谷繁実(原著)『名将言行録 現代語訳』(講談社〈講談社学術文庫 2177〉、2013年6月)発行年月:2013年06月ISBN:978-4-06-292177-0
    出版社公式サイト:講談社
    Amazon(販売):Kindle(ASIN:B0827TV7CR)
  • 岡谷繁実『[新訳]名将言行録 大乱世を生き抜いた192人のサムライたち』(PHP研究所、2008年9月18日)発行年月:2008年09月18日 ISBN:978-4-569-70266-7
    書誌情報:PHP研究所
    出版社公式サイト:PHP研究所
    Amazon(販売):Kindle(ASIN:B00G6C55T2)
  • 山﨑白露『新訳太閤記 巻一』(史学社文庫、2020年6月30日)発行年月:2020年06月30日(電子)
    Amazon(販売):Kindle(ASIN:B08C4WH6Z9)

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長月七紀

2013年から歴史ライターとして活動中。 好きな時代は平安~江戸。 「とりあえずざっくりから始めよう」がモットーのゆるライターです。 武将ジャパンでは『その日、歴史が動いた』『日本史オモシロ参考書』『信長公記』などを担当。 最近は「地味な歴史人ほど現代人の参考になるのでは?」と思いながらネタを発掘しています。

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