「4(よい)」
「22(ふうふ)」
の語呂合わせで、他にも11月22日が「いい夫婦の日」だったり、1月31日が「1(あい)」「31(さい)」で「愛妻の日」だったり、類似の記念日が複数あったりします。
そこで見てみたいのが歴史上の夫婦の形態。
特に今とは際立って違っていて、興味深いのが平安貴族の【通い婚(妻問婚)】でしょう。
「夫婦で同居せず、夫が妻の家を訪ねる」というものです。
あれって、どうなってんのか?
そもそもどんな経緯で夫婦になっていたのか?
手順から見て参りましょう。
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平安貴族 恋愛・結婚の手順
妻問婚の流れは以下の通りです。
男性が、ドコかから「◯◯家の上から△番目の姫が美人らしい」などの噂を聞く
↓
男性から女性にラブレターを書く
↓
女性の親がラブレターの内容や男性の官位・身分などを考えて、娘にふさわしい相手をある程度絞り込む
↓
親の認めた相手に女性が返事を書く
↓
しばらく手紙のやり取りが続く
↓
男性が御簾(すだれ)ごしに会いに来て女性と話す
↓
何回か通って話す
↓
男性がその気になったら、女性の寝室に忍び込んで(年齢制限回避のため省略)
↓
三晩続けて通い、結婚成立・お祝い
とまぁ、だいたいこんな感じです。
夫と同居するケースもあります
この手順ですと、一応、すだれ越しに互いの顔はうっすら見れます。
なので「見知らぬ人にいきなり襲われた」ということにはならない……ということになっていました。
むろん、源氏物語・末摘花(すえつむはな)のように、「明るいところで見たら……(´・ω・`)」ということもあったでしょうね
当時の明かりはろうそくや紙燭(しそく・こよりに油を染み込ませて火をつけたもの)くらいしかありません。
なので、男性が通ってくる夜の時間帯に、お互いの顔をハッキリ見ることはできませんでした。
ともかく、こうして名実ともに夫婦になると、夫がたびたび妻の家に通うようになります。
子供が生まれたり、出世して夫が自分の家を建てられるようになったりすると、同居することもありました。
また、妻に身寄りがなかったり、夫に比べて妻の身分が極端に低い場合は、比較的早く同居を始めるケースも多かったようです。
ただし、同居するにしても寝殿(母屋)は正室、その他の「対」(別館のようなもの)は側室という区分けがありました。
「寝殿に正室がいるのに、同じ屋敷の対に新しい女性をすぐ住まわせて、正室の怒りを買った」なんて話もありますね。
あるいは「夫が複数の妻を持つことが当たり前とされていたからこそ、通い婚という形態が成り立っていた」と見ることもできます。
一夫一婦制の場合、他の異性のところに恋愛的な意味で通ったら、ただの浮気・不貞ですもんね。
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