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【阿衡の論議】をキッカケに宇多天皇のお気に入り
今日ある上御霊神社と下御霊神社には前述の六所御霊(一部メンバーチェンジ)に加えて「吉備真備」と「菅原道真」が祭られるようになりました。
2人追加されたので六所から「八所御霊」となっています。
現在は学問の神様として親しまれている『菅原道真』ですが、元々は祟りをなす怨霊として恐れられ、御霊として祭られ神様になったんですね。
菅原道真は平安時代初期、学者の家に生まれました。
幼い頃から詩歌の才能を見せ、18歳で文章生(官吏制機関の学生)となり、26歳で方略試(役人になるための最難関試験)に合格。
菅原道真はなぜ学問の神様?ヒラ役人から朝廷No.3へ大出世後に転落
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学問の神様だけに、ぶっちぎりのスコア合格! かと思いきや中の上くらいの成績だったそうです。まぁ230年間で65人しか合格しなかった試験なので、受かるだけでもすごいですけどね。
その後は文章博士や讃岐守など家柄に応じた官職についていた道真ですが、【阿衡の論議(あこうのろんぎ)】をキッカケに宇多天皇のお気に入りとなります。
藤原氏の横専を苦々しく思っていた宇多天皇が道真を重用し、要職を歴任させたのです。
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更には宇多天皇の息子・醍醐天皇の時代になっても道真は出世を続け、899年には右大臣にまで昇り詰めますが、朝廷への権力集中となる改革を嫌った一派に
『道真は醍醐天皇を退け、娘婿である斉世親王を天皇にしようとしている』
と告げ口をされてしまいます。
道真と対立していた左大臣・藤原時平の陰謀と言われており、ともかく術中にはまった道真は九州の太宰権帥へ左遷となりました。
そして追放から2年後の903年、失意のうちに現地で死亡。
死因は持病であった脚気の悪化と言われております。
930年に清涼殿落雷事件が! 慌てふためく朝廷が……
道真が死んで藤原時平はこの世の春を謳歌したのか?
と言いますと、道真の死から6年後の909年、39歳の若さで病死してしまいます。
923年には、時平の甥にあたる東宮・保明親王が21歳の若さで亡くなり、930年には内裏にある「清涼殿」に雷が落ちて、道真の左遷に関わったとされる貴族をはじめ多数の死傷者を出しました。
まだ終わりません。
その様子を見てショックを受けた醍醐天皇が3ヶ月後に崩御されてしまったのです。
清涼殿落雷事件は道真の祟りだったのか?事件3か月後には醍醐天皇も崩御され
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こうなると、もう朝廷としても黙っていられません。
完全に『道真の祟り』と思い込み、その名誉を回復するため、太政大臣の位を贈ったのです……って、死後30年もの期間があれば、早死にやら天災やらあっても不思議ないと思うんですけどね。
まぁ、それは現代の感覚であって、当時は本気でガクブルされたのでしょう。
ちなみに清涼殿落雷事件から道真の怨霊は雷神と結びつけられたようで、祟りを鎮めるため「火雷天神」が祭られていた京都の北野に北野天満宮が建てられたそうです。
以降100年ほど、大災害が起きるたびに道真は祟りの対象としておそれられましたが、やがて祟りの部分は薄くなっていき、優秀な学者、役人であった面がクローズアップされ『学問の神様』として信仰されるようになったのですね。
大学受験で日本史を選択している皆さま、いい機会ですから、この辺のおさらいをしておいてください。案外とこういうところが出たりして……♪
★
余談ですが、インフルエンザワクチンを注射されると接種箇所が腫れることないですか?
そんなとき私は、腫れた部分をおさえ「くっ、奴らの仕業か……鎮まれ左腕よ!」と中二病ごっこで気を紛らわしております。
結構楽しいですよ。
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文/馬渕まり(忍者とメガネをこよなく愛する歴女医)
本人のamebloはコチラ♪
◆拙著『戦後国診察室2』、皆様、何卒よろしくお願いします!
【参考】
国史大辞典
御霊会/wikipedia
御霊信仰/wikipedia
神泉苑と御霊会-禁苑の変質とその契機-(→link)
菅原道真/wikipedia
知識の泉(→link)
藤原時平/wikipedia