藤原詮子

藤原詮子/wikipediaより引用

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藤原詮子(一条天皇の母で道長の姉)政治力抜群だった「国母」の生涯を振り返る

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国母として生きる

寛和2年(986年)、数え歳で7歳という、まだ幼い一条天皇が即位すると、藤原詮子は皇太后に冊立され「国母」となりました。

父・藤原兼家と共に天皇の後見を担うこととなり、詮子は東三条殿から内裏へ参入。

しかし、この幼帝の即位により、ややこしい事態も生じてしまいます。

幼い一条天皇に子がいるわけもなく、冷泉天皇の皇子が東宮とされたのです。東宮(皇太子)が天皇より年長であるという異常事態でした。

詮子にしても、政務の後見というよりは、まだ幼い天皇を抱き、面倒を見るような役割を果たさねばならない。

そうこうしているうちに正暦元年(990年)、藤原兼家が亡くなります。

死後の権勢を譲られたのは藤原道隆

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『光る君へ』では井浦新さん演じる兼家の長子であり、道隆は己の権威を盤石ものもとするため、一条天皇に入内させていた娘の藤原定子を立后とします。

正暦2年(991年)2月、譲位後は政治から退いていた円融法皇が崩御しました。

詮子は同年9月に出家して、皇太后宮職を停止。院号宣下を受けると、住まいである東三条邸にちなみ「東三条院」と称します。

歴史上における女院号はここに始まります。

この措置は異例であり、かなりの批判がありながら、兄である藤原道隆が推し進めたのでした。

 


弟・道長を引き立てる

長徳元年(995年)、藤原道隆と藤原道兼が立て続けに没しました。

以降、藤原詮子と行動を共にするのは弟の藤原道長となります。

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道長は、年長の女性から引き立てられることが多いと指摘されますが、姉である詮子もまさしくそうであり、しばしば相談を持ちかけています。

比類なき権勢を道長が得られたのも、この姉あってのこと。しばしば政治介入を繰り返す彼女は批判の対象ともなりました。

それは実子である一条天皇の皇妃についてもそうです。

一条天皇は、道隆の娘である定子を寵愛していました。

才女として名高い清少納言らが侍り、優雅なサロンを形成。

新たに入り込むのは難しい様相を呈していたため、道長の娘・彰子を入内させる過程において、詮子は画策します。

当時は父母両者の身分が重んじられる双系制の時代。そこで彰子の母であり道長の妻である源倫子の身分の低さがネックとなっていたため、詮子が便宜を図り、従五位上から従三位にまで昇格させたのです。

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ちなみに詮子は、道長の別の妻にも関わっています。失脚して後ろ盾を失っていた源高明の娘・源明子を道長に紹介したのは他ならぬ姉だとか。

ともかく、彰子が女御として入内したとき、一条天皇は戸惑ったとしてもおかしくありません。

なんせ、つい最近まで雛遊びをしていたいようなあどけない彰子との間に、子が生まれるとも思えない。

定子の優美は佇まいと比べたら、どうしても見劣りしてしまうのではないか?

むろん道長もそこは考えてあります。

彰子の周りには、定子サロンに負けじと選り抜きの女房が集められました。

物語を執筆中で、父の藤原為時は漢文学者として名高い――紫式部が選ばれたのです。彼女は彰子の出産から『紫式部日記』を記すことになります。

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詮子も、弟の見出した彼女の才知に、さぞや納得したことでしょう。

長保3年(1002年)、院別当の藤原行成邸で亡くなりました。

享年41。

「国母」の葬儀は盛大に行われました。

 


女人入眼の日本国を体現した東三条院

鎌倉時代慈円は自著『愚管抄』にて「女人入眼の日本国」という言葉を記しています。

女性が政治の重要事項を決定するという意味であり、中世は、その後の時代よりも女性の権限が強かったとされています。

中国にロールモデルを求めた日本としては、唐の武則天という先例があります。

悪女とされる呂后も、この先例といえます。

のみならず、慈円がこう記したのは自身が藤原北家出身ということもあるのでしょう。

才知ある女性が政治の肝心なことを決める――よいことではないか。

道長を引き立てた藤原詮子こそ、その偉大なる先例といえるのでしょう。

父や兄弟の影に隠れるどころか、光を放っていた強い女性である詮子。

吉田羊さんが今後どう演じるのか、楽しみでなりません。


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文:小檜山青
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