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週刊武春 江戸時代

生類憐れみの令は日本人に必要だった!? 倫理観を矯正した“悪法”に正しい評価を

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徳川綱吉といえば、真っ先に思い浮かぶのが「生類憐れみの令」と、それに由来する「犬公方」というあだ名でしょう。

綱吉は気が触れたかのようにお犬様が大事。
時には人よりお犬様が優先だ――。

そんな風に、とかく悪く言われがちですが、実は「生類憐れみの令」については悪法どころか、日本人の倫理観を良い方向へ進めたのでは?という見方もありまして。
近年は再検証も進んでいます。

そこで本稿では、これまでとは違う角度から「生類憐れみの令」を考え、その実態に迫ってみたいと思います。

徳川綱吉/Wikipediaより引用

 

命が軽かった時代の名残

殺し合いが日常で、敵地の作物を強奪したり、人身売買も横行していた戦国時代。
人心は荒廃し、命も極めて軽いものでした。

では江戸期はどうか?

徳川家康から数えて五代目・綱吉の時代ともなれば、たしかに戦国は過去のものです。
しかし、武士階級をはじめ人々の心には、依然としてその余韻が燻っておりました。

鎖国のために、訪日を許された数少ない外国人も、そうした残酷さを目撃するたびに、恐れ慄いたと伝わります。

例えば『葉隠』のような武士の規範は、節義を通すためならば人の命を軽んじることこそ美しい、とみなされておりました。
そんな彼らに滔々と命の大切さを説いても、あまり効果はありません。

さらには一般社会においても、捨て子や間引きはよく見られる現象でした。

新生児の首に母親が足首を乗せて殺してしまう、そんな間引きの様子を目撃した外国人たちは、驚きをもって記録。
堕胎も、特に都市圏においては深刻な問題でした。

そして日本には古来より「死の穢れ」を嫌う風習があり、それが時に彼らの性質を酷薄にしました。

一例を挙げますと、旅先の宿で重病人が出ると、宿の主はその人を屋外に放置して、死ぬに任せてしまうのです。

これには他の客が「病」に感染することを防ぐという意味もありましたが、そもそも「死の穢れ」を自宅で発生させたくない――そんな意図があったのですね。

当時の人にとって、病人を救うことよりも、まずは自宅で死者を出さないこと(死の穢れ)の方が優先事項。
こうした結果、往来には動物だけでなく、人の死体もゴロゴロと投げ捨てられておりました。

 

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理念はすばらしい「生類憐れみの令」

なんと無情な世の中でしょう。
太平の世と言われる江戸時代も、現代の倫理観からは考えられない殺伐としたものだったのです。

そんな世の中を、慈悲の光で照らしたい――そう考えたのが、実は徳川綱吉と言えます。
綱吉は、命が軽んじられた世の中を、自分の治世で変えたいと願いました。

生類憐れみの令、その理念は、実は素晴らしいものです。
同法令は、一つの法律として一回で出されたものではなく、複数回に分けて発布されたものですが、主な中身だけを抽出してみますと……。

・旅行中の人および動物が、慈悲深い扱いを受けるようにすること
→このおかげで、旅人が宿から放置されて死を待つようなことはなくなりました

・馬の筋繊維の切除禁止
→当時は馬の乗り心地をよくするため、馬の筋繊維に切れ込みを入れることがありました

・鷹狩の廃止
→狩りによる殺生を禁じるためだけではなく、鷹の餌となる犬の保護を目的としました。

他にも
・囚人の境遇を改善すること
・捨て子や堕胎の禁止
・動物遺棄の禁止
・動物に芸を仕込んで金を稼ぐことを禁止
・食用動物の生体販売禁止
等々。
それまでの為政者では発想しなかった(できなかった)、先進的で素晴らしい中身とも言えるものです。

彼は動物福祉の概念を先取りしていたのでした。

 

特権を剥奪されたと考える人々

では、なぜ、生類憐れみの令は、稀代の悪法のように伝えられてきたのか。

実はこの法令に対し、不満を持つ人々がおりました。

最たる者たちが、武士階級です。
鷹狩や犬追物のようなブラッド・スポーツ(動物虐待を伴うスポーツ)の禁止令は、彼らにとって受け入れがたいものでした。

犬追物の様子/wikipediaより引用

現代でもブラッド・スポーツというのは、伝統と動物愛護の狭間で難しい選択を迫られるものです。
スペインの闘牛や、イギリスのキツネ狩りも、論争の的となりました。

キツネ狩りはそもそも、貴族の特権的娯楽でした。
彼らの財産である広大な領地、持ち馬、使用人、猟犬を利用して行う、選ばれた者だけの娯楽であります。

馬で駆け回るため、軍事訓練の意味もありました。

そこで英国では、キツネを保護するため、貴族の特権を剥奪してよいのか、と反対意見が出たのです。
動物愛護に階級闘争も絡み、複雑な様相を呈しています。

↑人気ドラマ『ダウントン・アビー』シーズン6のキツネ狩り場面

 

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動物愛護か? 特権か?

「生類憐れみの令」について考えるとき、この、現代イギリスにおけるキツネ狩り論争が参考になるかもしれません。

武士にとって、犬追者や鷹狩といったブラッド・スポーツは、ただの娯楽ではなく、戦闘訓練という意味合いがあり、彼らに与えられた特権でもありました。

戦国時代は遠い昔のことであっても、戦闘と流血こそが武士の本分。
他の階級との差別化をはかるためにも、時に残虐な動物殺傷が必要と見なされました。

武士にとってブラッド・スポーツの禁止とは、すなわち特権の剥奪であり、アイデンティテイクライシスを招くものだったのです。

現代のイギリス貴族がキツネ狩り禁止を「権利の侵害だ!」と嘆くように、当時の武士も不満を抱きました。

 

人々は犬に残飯を与えなくなった

かくして武家のプライドを刺激してしまった生類憐れみの令。
当然ながら反発が出ますし、いざ運用を始めても様々な問題が噴出してきます。

たとえば
「犬を殺せば死刑」
という極刑。このために野良犬への餌やりが減りました。

野良犬に餌をあげて懐かれてしまうと、その犬が飼い犬とみなされる可能性が出てきます。
そこで世話を続けなければ、飼い主としての義務を怠ったとして、処罰の対象になってしまう。
ならばできるだけ距離をとった方がよい――そんな流れです。

「生類憐れみの令」以前は、人々はたびたび犬に残飯を与えていました。

しかし皮肉なことに、法令が発布されて以来、こうした行為がピタリと止まってまいます。
犬を見かけても素知らぬ顔をしなければ、下手すれば自分が処罰されてしまうのですから当然でしょう。

一方で、犬の増加も深刻な問題でした。

現在と違って去勢や避妊が広まっていないため、繁殖スピードはおそるべきものがあります。
以前は子犬のうちに始末していましたが、これができなくなってしまったのですから増えてばかりです。

野良犬はやがて「犬小屋=犬の収容所」に入れられるようになります。

この犬小屋費用の負担が、武士に対して発生したばかりではなく、犬を捕縛する任務も彼らに回ってきました。
町人たちが呆気にとられるその前で、お侍さんたちが犬を追い回すのですから、。

ご丁寧に「犬を捕縛する武士を笑わないように」という命令まで発せられるほどです。

長沢芦雪の描いた犬/Wikipediaより引用

 

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「悪政」の本質

「生類憐れみの令」は、多くの人々を苦しめた悪法とされています。
動物を殺傷した者は、問答無用で殺されたような印象があります。

しかし、やむを得ない状況で殺傷してしまったとき、現実には無罪放免となる場合の方が多かったのです。

まったくもって悪法ではありません。

往来で寝転ぶ犬を、大八車で轢いてしまう事故はよくありました。
止まろうとしても、重たい荷を運ぶ大八車は、急には止まれません。
こうした場合は当然ながら無罪です。

当時の記録を見ると魚釣り程度は処罰されていませんし、誇張されるほど無茶苦茶な運用はされていなかったと思われるのです。

来日したドイツ人医師ケンペルは、著書『日本誌』の中で、むしろ綱吉を名君であると評価しています。

江戸城で西洋のダンスを披露するケンペル『日本誌』より/Wikipediaより引用

【関連記事】ケンペル

「生類憐れみの令」が厳格に運用されていたのは、身分を問わないという点においてであり、事情についてはむしろ考慮されていました。
つまり、以下のように至って真っ当な状況です。

・やむを得ない状況で犬を轢いてしまった町人は、無罪
・故意に動物を殺傷した武士は、有罪

しかも公正な運用がなされておりまして。
そのことこそが、武士に憎悪と嫌悪を抱かせる流れに至ってしまいます。

犯罪を見逃されるという、特権を剥奪されたことになるからです。

「生類憐れみの令」は、武士にもその他の人々にも負担がかかるものでした。

しかし、武士の方にとって、より不利益が大きい。
彼らのプライドやアイデンティティを傷つけ、特権を奪うのです。

ゆえに武士たちはこの法令を誇張して、いかに悪辣で人を苦しめるものか、書き残したのです。

 

各国とは真逆の方針に

その一方で、ケンペルのような外国人は、この法令を客観的に評価し、肯定しているのです。
「生類憐れみの令」を考える時は、武士のバイアスを差し引いて考える必要があるでしょう。

綱吉の生きた時代は、世界各地で残酷なブラッド・スポーツが行われていました。
動物を残虐にいじめ、その様子を見て観客は喜んでいたのです。

そんな時代に動物虐待の愚かさを指摘し、改めようとした為政者は、ケンペルの言う通り先進的と言えるのではないでしょうか。

17世紀イギリスの熊いじめ/Wikipediaより引用

また「生類憐れみの令」は動物福祉ばかり注目されますが、前述の通り人間への残虐な仕打ちも取り締まるものでした。

こうした部分は廃止されることはなく、幕府の基本方針として継続されました。
これは重要な点でしょう。

「生類憐れみの令」以前とそのあとでは、日本人の命に対する考え方・態度は実際に変わっているのです。
そのことを考えると単なる悪政とは決して言えないのではないでしょうか。

文:小檜山青




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【参考文献】
犬将軍』ベアトリス・M. ボダルト=ベイリー
国史大辞典

 





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