べらぼう感想あらすじレビュー

背景は葛飾応為『吉原格子先之図』/wikipediaより引用

べらぼう感想あらすじ

『べらぼう』感想あらすじレビュー第6回鱗剥がれた『節用集』うがちで脳が捻じ切れる

2025/02/11

すったもんだの末、鱗形屋のお抱えとなった蔦重。

一緒に頑張ろうと励まし合います。

そのころ吉原では、最新の流行に着飾った「キンキン」という当世風の装いをして、かっこつける客が増えているとか。

 


「金々野郎」は馬鹿くせぇ

キンキンの客たちは、細い「疫病本多」という髷(まげ)に、裾を踏むほど長い着物を身につけるんだそうで。そんなもん着ていたら、ズッコケますぜ。

どう考えても非合理的で、動きにくいモンも、おしゃれを極めると出てくるんですね。

『光る君へ』の女君たちがつけていた装束がその典型例でしょう。

ちっと昨年を思い出してみてくださいよ。病気になった道長が柱に寄りかかってぐったりしていましたよね。

あれはドラマだけのことでもなく、『源氏物語』の登場人物も伏せたり寄りかかっていることが多い。栄養バランスも悪いし、運動もしないので、当時の貴族は虚弱だったんですね。

藤原兼家/wikipediaより引用

それに引き換え、海沿いで海産物も食べられるし、運動する機会もある関東の連中は相対的に健康なんです。蔦重なんて毎回全力疾走したり、元気にスタスタ歩いていくじゃねェですか。

しかし、そんな江戸の吉原にも、病弱気取りのスカした連中が湧いてきたってワケだ。

さらに時代が下りますと、病人がつける紫の「病鉢巻」をファッションとしてつける奴も出てきます。

この病鉢巻は歌舞伎の助六が有名ですね。

現代でもゴスやパンクは病的なメイクをしたりするものですが、そういうセンスは江戸にもあったのです。

さて、そんな気取りったキンキン野郎が花の井の客として出てきまして。カッコつけながら煙管をくゆらせておりやす。

この煙管をカッコよく使うことが、当時のおしゃれど真ん中でして。

通ぶってはおりますが、花魁と新造を間違えて失敗しておりやす。ったく、恥ずかしいぜ。

しかも煙管の中身をぶちまけて「あち、あちっ!」と大騒ぎさ。

翌朝、田舎者が気取るからおかしくなると、笑いさざめく女郎たち。

客を「田舎者」だと馬鹿にしていますが、そう語る女郎たちだって、地方から買われてくるか、はたまた誘拐されて「神隠し」扱いされたか。

そう想像するとなかなか複雑な思いは湧いてきます。彼女たちはある意味世界から切り離されているのだと思えてしまいます。

蔦重はそんな話を聞きつつ、花の井に暖簾分け狙いで鱗形屋に抱えられたと、現状を報告。

蔦重は、読む本がないとこぼす花の井に「青本」を勧めますが、「つまらない」と突き返されてしまいました。

 


「青本」はつまらないねぇ

「青本」とは、ジュブナイルやライトノベルといったところでしょうか。挿絵比率が高いという意味では漫画の方が近いといえるかもしれません。

中国では明代後半に、挿絵を大きく入れ、わかりやすい文体で記した「白話小説」というジャンルが確立していました。それを輸入しつつ、参考にしていても不思議はありません。

日本では活版印刷も伝わったものの、文字数が多いために木版印刷が主流となりました。

木版印刷は自由度が高く、レイアウトに凝り、挿絵を入れたものが作りやすいのです。

「白話小説」は、くだけていてイラスト入りで面白い!

そこがヒットの秘訣であったはずが、この「青本」はつまらない。こりゃどういうことでぇ? ポテンシャルを活かせてねぇ臭いがするぜ。

さて、そこへうつせみが、何やら蔦重に文を託してきます。

遊郭の文を渡す役目は「文使い」といい、蔦重のような若い衆が担います。平安時代の『光る君へ』での乙丸や百舌彦のような役割です。

実はこれがなかなか大変だ。

というのも、真面目な家族が受け取ってしまったら、一悶着となります。

今で言うと、妻が夫のLINEをみて、キャバ嬢からの営業メッセージを見ちまったような修羅場になるワケです。江戸時代にはパスワードロックもねぇしな。

ゆえに、どうやって周囲の目を避けて、本人に渡すか? そこにはさまざまなドラマがあるわけでして。

ま、新之助はその点、渡すのが楽な相手ではあります。

 

真があっての運の尽き

新之助はうつせみからの文を受け取り、読み始めます。

嬉しそうな表情を浮かべる新之助が蔦重に手紙の一文について意味を聞いてきます。

「花のさわりのなきようにいたす、とは?」

女郎側が自腹で揚げ代を払うということ。「身揚り」ともいいます。

うつせみが肩代わりしてまで新之助に会いたいということですね。

女郎なんてのは何通も営業文を書くものでして、文例集も出回っております。

普通はコピペしてテキトーに出すことも多い。でも、うつせみのこの文は真心がある。だって自腹を切ったら儲けになりませんしね。

花の井のように、カモとなる長谷川平蔵でもひっかけられればまだしも、うつせみにはできそうにありません。

嘘ばかりの吉原で「色」(情夫・本命の相手)を見出すなんて、それこそ千人に一人にあるかないか、砂浜の中で落とした針を探すようなもの。

しかし、こうも言われております。

真があっての運の尽き――相手が身請けできる大金持ちでもなければ、悲しい運命が待っています。

もう、この時点で泣ける話じゃねえですか。うつせみは初々しい。新之助は太い眉がいかにも生真面目そうで、思い詰めなきゃいいんですが……なんだか嫌な予感がするぜ。

ま、それはさておきまして。

ここで蔦重は新之助に『吉原細見』を渡して、リニューアル案がないか尋ねるのでした。

『吉原細見』

元文5年に発行された『吉原細見』/wikipediaより引用

開けっぴろげだねえ。そんなんだから計画が漏れるんだぜ。

ただ、蔦重は根っからの陽キャです。

人と人と語り合い、心をぶつけることでアイデアが湧いてくる。一人で考え抜く『光る君へ』のまひろや、後半に出てくる曲亭馬琴とは真逆のタイプです。コミュ力妖怪なんですね。

 


鱗形屋はドッカンドッカン当てたい

結局、リニューアル案はなんも思いつかねえ蔦重。お手上げだと鱗形屋にしれっと告げています。

「上がったりやのかんかん坊主!」

そうポーズをとる蔦重。

思えば明治時代から定期的に「日本人は江戸時代に戻った方がいい」とは定期的に言われているのです。

ンなもん手垢がついていると思っていましたが、今、本気でそう思い始めています。

ミスをしたり、失敗したとき、目上の人にこういうことして許されるなら、素晴らしいことじゃねぇですかね。

鱗形屋は怒っている余裕もないようですぞ。

『細見』もいいけど、入銀ものの企画を立てて欲しい、『一目千本』や『雛形若菜』のようなものをドッカンドッカンと当てて欲しいと言います。

そして長兵衛という息子と出ていく鱗形屋。

隣室では見るからに賢そうな次男坊・万次郎が手習をしております。幼いながら立派な字が書けておりますね。

なんでも彼は、将来的に書物問屋になりたいのだとか。

地本は当たってこそですが、書物問屋は実用書なので、地本の10倍、20倍の値段で売れる。中身はずっと同じでいい。売れ行きが安定している。儲けがずっといいんだそうで。

確かに「地本」が雑誌だとすれば、「物之本」は辞書や実用書ですものね。

そうおとっつあんが言っていたとスラスラと語る万次郎。それを聞き、手代の藤八が焦った顔をしておりますが。

どうやら鱗形屋は経営が苦しいようです。そしてこの次男は紛れもなく、どうにも只者じゃねえぞ。

考えてみてもくださいよ。子どもなら、挿絵入りの本に飛びつきそうなものでしょう。

漫画雑誌でなく、辞書を引いている子どもなんてそうそういねぇんじゃないですかね。

もちろん辞書ばかり見てる子が全くいないわけでなく、たまにジーッと眺めている子はいます。そういう子は、理屈っぽい大人に成長するもんです。

そして、おとっつぁんの言うことはもっともだと考えている。自分が商売をする時のことまで考えている。

まだガキだと思って父は語っているのでしょうが、彼は覚えて頭の中で組み立てて、先を見据えているのです。

万次郎――こいつァ、とんでもねぇ奴になるぜ……。

『麒麟がくる』の松平竹千代、のちの家康でも思いましたが、このチームはかわいげのないガキを描くのがうまいんですね。

長く理屈っぽいセリフをきっちりと、かわいげなく演じさせる。

小さな子どもでも一人の人間だと理解し、観察し、作り上げていかないとなかなかできない。リアリティのある末恐ろしいガキですぜ。

 

鱗形屋は経営が苦しかった

蔦重が、藤八と共に擦り損ないの紙を切って揉む作業をしております。

紙屑売りに売らないのか?

そう蔦重が聞くと、古紙回収よりもトイレットペーパーにする方が得だと旦那様が判断したそうで。

『光る君へ』の平安時代よりもずっと手軽になったとはいえ、江戸時代も紙は貴重です。リサイクル業者に渡すことが常識でした。

この紙の使い回しが、なかなか日本史としては重要です。

後世になって、思わぬところで意外な書状が見つかることがあるのも、リサイクルをされた結果だったりします。

蔦重は、鱗形屋の経営が苦しいのか?と、それとなく探りを入れます。藤八がいうには、なんとメイワク火事で蔵までやられたそうです。

いったい「蔵までやられる」とは?

火災が頻発する江戸では、大切なものは火が回りにくい蔵に入れておきました。

火災後、すぐに開けると熱が籠っていて、引火するからまずい。冷えるまで数日待ってから開けて取り出す。そういう手筈になっておりました。

その蔵まで燃えたら、そりゃもう大打撃です。

中身はなくなる。かといって、防火機能のある蔵を再建しないわけにもいかない。蔵まで燃えたらそりゃもう、大惨事ってなもんですよ。

これを聞いて蔦重は、次男坊はおとっつあんを助けたいからこそ書物問屋を目指しているのかとあたりをつけます。

 

今も昔も、人は貧すれば犯罪に手を出す

そのころ、尾張・熱田では、血相を変えた柏原屋がこの『節用集』を売ったのは誰か?と聞いている。

なんでもお武家さまだそうで……これは妙な話だ。武家が一枚噛んでいるのかね。

柏原屋が奥付を確認すると最後の頁の奥付に「書林」と「本屋 丸山源六」の文字があります。

この時代の本ともなると、崩し字でなく活字なので、目にした瞬間に読めてスカッとします。現存数が多いことと大河効果で見る機会も増えております。是非とも皆様もご覧いただければと。

鱗形屋の長男・長兵衛が父を呼んでいたのは、どうやら大名家に用事があったようです。

父と子で青本二冊を恭しく差し出しております。さらに鱗形屋は懐から一冊の本を差し出します。

小島松平家家老・斎藤茂右衛門が「おお!」と言いつつ受け取ったのは、鈴木春信の『真似ゑもん』です。

春本=エロ本じゃねえか!

『真似ゑもん』は、小人の主人公・真似ゑもんが、誰かがいたしているところを覗き見るという話です。ここでも、その絵がチラッと映りました。

気取っておいて受け取っているのがエロ本かよ!

そう言いたくなるかもしれませんが、このころの春本は読むのが当然。よほどお堅くなければ恥ずかしがるほうが野暮だぜ。

しかし、そうはいっても、殿のために家老がエロ本を調達ってなァ。それだけのわけもないだろうよ。

すると家老は声を顰め「例のあれ」を更に倍頼むと言い出しました。

驚く鱗形屋。なんでも金になるような名産品のない、小身の大名にはまことありがたい実入りなんだそうで、鱗形屋は近いうちに持ってくると承っております。

さて、この父と子が去ったあと、「例のあれの件」で家老に報告がきます。

それにしても……なぜ、コソコソと小銭稼ぎをしなければならないのか?

江戸の各藩の財政について見ておきましょう。

それなりにちゃんとした大きな藩ともなれば、こんなことはしないで済みます。時間のある藩士も動員できる。それなりに特産品もある。

例えば、今週末に企画されていたものの豪雪で中止された「会津絵ろうそく祭り」があります。

この絵ろうそくも、藩の特産品として開発された一面があります。

2013年大河ドラマ『八重の桜』では八重はじめ、女性たちが会津木綿の着物を身につけておりました。武家の妻に木綿を織らせることで、特産品にしていたのですね。

日本各地の特産品は、こういう藩財政の再建策として生み出されたものがたくさんあります。

江戸時代以降の伝統名産品を調べていくと、だいたいが江戸中期から後期にかけて、優れた家老の名前が出てくるものです。名家老の顕彰碑や、名前がつけられた銘酒などもあります。

しかし、これができるのもある程度、人間を動員できればの話。

小藩や旗本御家人には無理です。では、どうするのか?

以前、旗本御家人にコンサルタントが財政再建案を出している資料を見たことがあります。

倹約、倹約、倹約……であり、私は疑念を覚えました。何か特産品を作るなりして、収入アップを目指すことはできないのかと。

無理でした。なまじ人員を動かす力のない武士は倹約しかない。その中でも才能がある連中がクリエイターになった。それが江戸中期の時代背景です。

天下に出回る金が少ない!そうなれば倹約か、工夫か、犯罪をするしかない――そんなギスギスした事情が見えてきます。

そんな世の中に、金を増やそうとしているのが田沼政治です。

 

「本嫌いな野郎」こそ、ブルーオーシャンでは?

半次郎の「つるべ蕎麦」で、蔦重は情報収集中。

留四郎という、吉原の若い衆も字幕で表示されています。相関図にも加わりましたので、今後何か見どころがあるのでしょう。

蔦重は、よりにもよって読書と無縁そうな次郎兵衛にアイデアを求めています。

すると半次郎は「絵でいいんだよ、絵は好きでしょ」と提案。

となると、次郎兵衛は「じゃあ女郎の枕絵とか?」と返します。

で、半次郎が「横っちょに好みの技が書いてあってよ」というと、次郎兵衛は「得意の技じゃねえ?」と返します。

これは現代風にすっとこうだからな。

「本は読まねえし」

「じゃあ絵でいいんだよ、二次元好きでしょ」

みたいな話よ。

でも「枕絵=ポルノ」も供給過多なんで、新たなアイデアが求められますけどね。そのうち北斎なんかは海女とタコ(→link)なんて新機軸に突き進むわけです。

しかし、これ以上エロを探究されてもまずいので、蔦重が「義兄さんはいつから本を読まなくなったのか?」と問いかけます。小せえ頃は赤本が好きだったそうで。

赤本は絵が豊富だけど、大人向けの本は字ばかりになると返す次郎兵衛。

蔦重は青本は赤本みたいに絵が豊富だと水を向けます。

赤本=児童書

青本=ジュブナイル、ライトノベル

そんな分類が見えてきましたね。

次郎兵衛は言い切ります。

「青本はつまんねぇんだよね」

「じゃあ、つまんなくなかったら青本を読むってことですか?」

「まぁ、そうかもしんないねぇ」

フォーマットのせいじゃねえ、中身のせいだ――そう気づいた蔦重の脳裏に江戸のアホ男どもが浮かんできます。

「これ、つまんなくねえよ」

「おう、つまんなくねえ」

これだ!

万次郎少年のような奴はあくまで少数派。次郎兵衛くらいの連中がなんだかんだで絶対数としては多い。層が厚い。ここを狙い撃ちにすりゃいいわけよ!

そして、腹が減ってはいくさはできぬとばかりに、ズズッと蕎麦をすする蔦重です。

横浜流星さんはこの蕎麦の食べ方がすっかり江戸っ子だねぇ、いいねぇ。

そのころ鱗形屋では万次郎が寝静まった夜中でも、何かの印刷に精を出しているのでした。

 

カビくせえ「青本」を生き返らせよう

蔦重が朝から元気よく鱗形屋へ出向き、アイデアを伝えてに行きます。

と、なにやら印刷をしているではないですか。

地本問屋の様子/国立国会図書館蔵

蔦重も薄っすらと気付いたようで、障子を開けると、あわてて何かを隠そうとする鱗形屋です。

別室で、蔦重は青本のアイデアを出します。

もともと青本は鱗形屋の主力でした。しかしそれがつまんねえのだと蔦重はいう。相手がムッとしかけると、こうきた。

「あ〜、怒んねえでくだせえ! とにかく、本好きの女郎も、本嫌いの野郎も、口揃えて青本つまんねえって言うんですよ」

蔦重の人を見る目はなかなかシビアですね。

花の井は賢い部類とし、次郎兵衛はダメなアホボンとして考えていることが伺えます。ま、実際そうなんだけどよ。

だもんで、世の中みんなつまんねえと思っている。だったら、とびきり面白え青本が出たらヒットする! 蜂の巣をつついたような騒ぎになる!

そう一気に語る蔦重。

本嫌いの野郎たちが読むようになると、「占め子の兎〜!」とポーズつきではしゃいでいます。

一時の評判どころじゃなく、本を買う裾野が広がる。つまりブルーオーシャンだってわけですね。

理屈はわかると返す鱗形屋。

面白え青本は何だ?と続ける蔦重。で、彼なりにバックナンバーを読み直して思った。「カビくせえな」と。

そう言われて、やはりムッとする鱗形屋。絵も筋書きも古臭えとよ。「今」じゃないと。

ま、そうなりますわな。江戸時代中期なのに、『今昔物語』を当世風に直したようなものだったら、オチもわかるし、説教くさいこともあるし、読みたくないってなりますね。

「もっとこう、江戸っ子が楽しめるような、活きのいい話にできねえっすかね?」

「まさか、てめえにそれを言われるとは思わなかったよ」

ここで納得できてきた鱗形屋です。詫びる蔦重。

「いいじゃねえか、蔦重。二人で、とびっきり活きのいい話を考えてみようじゃねえかよ」

鱗形屋は乗り気になってきました。さあ、ここから新しい話が始まるぞ!

蔦重がネタ集めに松葉屋にいくと、松の井が笑いながらこうきました。

「そりゃやっぱり、金々野郎たちでありんすなぁ」

「金々野郎〜!」

勘違い野郎っすね。いつの時代も笑いものになるのはこのあたりか。

しかし、ここで志津山の挙げる実例がきつい。

「てな具合でね、そっちはキンキンじゃないざんすよ!」

やべぇな。毎週子どもに説明できねぇセリフが増えていくぜ。意味は各自お考えください。

次郎兵衛は「目ばかり頭巾」の客をあげます。

大谷刑部のような、目しか見えない頭巾のことでやんす。今なら目出し帽ですね。

絵・富永商太

それをかぶって店に入ったら、下手すりゃ通報されますわな。ンなもん当時でも不審者扱いされるに決まってる。そもそも禁止されている。

どっかの半可通(はんかつう)に教えられたのか、被ってきて大門でひん剥かれたってよ。

この「半可通」がキーワードです。

素朴だったらそれはそれでいい。半端にイケてるフリをした状態が最低最悪なのだと。

「キンキンするのも大変だ」

蔦重がしみじみと言います。ほんと、今も昔も同じなんですなぁ。

 

「日光社参」は金がかかる

そのころ、江戸城では勘定吟味役の松本秀持が、財政について老中に報告しています。

倹約、新しい炭による暖房運用、株仲間の冥加運上、そして南鐐二朱銀の利益もあり、御金蔵の残高はメイワク火事の起きる前の水準まで立て直せたようです。

これには田沼意次も満足げです。

しかし、あのお堅い松平武元は嫌味を言う。

褒めておきつつ「そなたの金への執念には感服いたす」と付け加えることを忘れません。

意次はそつなく、皆様のおかげだと返します。

田沼意次/wikipediaより引用

ここで武元は「日光社参」を執り行いたいと切り出します。

動揺する意次に対し、そもそも大火さえなければ、社参は既に執り行われていたものだと続ける武元。

稲荷ナビがイラスト付きで、莫大な金がかかる徳川家の墓参りだと説明します。

意次はやっと御金蔵を建て直したばかりで、莫大な金がかかるイベントは困ると困惑するのですが、武元は上様のご意向を天下に知らしめる大事だと譲りません。

上様にお取り継ぎいただきたいと、頭まで下げてきます。

この対話は実におもしろい。

参勤交代のように定期的ならば、街道沿いに施設やら何やら整備されて、経済的にはプラス効果もあります。

しかし、こういう不定期な大規模イベントは所詮は一過性なんですな。

それなのに負担が大きすぎて、大名たちにとっては頭の痛い嫌なイベントです。

幕政初期ならば、機嫌を損ねたら改易されかねないと、せっせと御威光にひれ伏したことでしょう。

しかし、それも薄れてゆくものでして、時代が降って幕末ともなると、日光東照宮は憎悪を掻き立てる存在になっていました。

たとえば高杉晋作のような長州藩士が江戸まで来たとなる。足を伸ばして日光へ向かう。

そして「こねぇなん大したことない、ない方がええ」といった罵倒を書き残す。明治政府元勲は破壊しようとしたところ、明治天皇が止めたそうです。

これは大河ドラマにも、現代社会にも関係がありまして。

今はその効果も薄れたとはいえ、かつては大河ドラマ招致は観光に大きな効果ありとされました。

これを利用しようとする政治家は、自分の選挙区に大河を呼び込もうとする。あるいは放映後、ご当地で演説中にやたらと大河を自慢しだしたりする。そんな話は聞こえてきたものです。

もうひとつ、オリンピックのようなイベント。これも現代の「日光社参」みたいなものだと思いますね。

そもそもがクーベルタンの狙いは、古代ギリシャの行事を復活させることで、西欧の優位性や文明をアピールしたい、威光を示したい狙いはどうしたってあるわけです。

第二次大戦前夜、この威光をファシズム国家たる枢軸国の日独伊が利用しようとしました。その反省を踏まえて五輪憲章で誤魔化した。

とはいえ国家の威信や威光を見せたい思惑は残存し続ける。1980年代以降ともなると、テレビ放映権や商業に乗っかったと批判されるようになっていく。

そして言うまでもなく、オリンピックの経済効果は一時的です。

私にとってのオリンピックとは、田沼意次にとっての日光社参みたいなものかと、ここで腑に落ちました。

この田沼意次は、日光社参を讃える青本があったら、破り捨てて尻を拭く紙にでもしそうなくらい嫌っているでしょう。

たんまり税金をかけるなら、水道管補修のようなインフラ整備に使って欲しい。それを公共放送の看板たる大河ドラマで扱うなんてごめん被るわけです。

これが私が『いだてん』が嫌いな理由そのもの。

いくらドラマ通や有名人も好きだの、脚本家の知名度だの、スタッフキャストが被る朝ドラもヒットしただの、ファンダムは熱いだの、そういった“権威”を振り翳しても何も響きません。

そして往々にして“権威”をありがたがるどころか、ますます憎むようになる。先ほどから書いてきた日光東照宮の歴史からも学べますわな。

我ながら、なぜこんなこと書いているのか……『べらぼう』は、ちっと勉強になりすぎるんだわ。

 

家治は、我が子も意次も大事だ

田沼意次と徳川家治が将棋を指しています。

屋内から縁側にいる二人を映すカメラワークが実に素晴らしく、時代劇や日本家屋の美が凝縮されたように見えます。

意次は日光社参を上様に勧めるどころか、押し留めようとしております。

御金蔵がせっかく立ち直ったのに金は使いたくない。旗本も諸大名も、高利貸しや大名貸しに借金を抱える者が多いと苦い口調で言います。

慈悲深い上様の性格を知り尽くしている意次は、金を出させるのは「お慈悲なきこと」と指摘します。

「家基が社参を望んでおる」

そう苦い口調で返す家治。気品があり、聡明そうな顔です。

家治は将棋の達人で、棋譜が現在まで残されています。

そのため劇中では、監修として堀口弘治八段が入り、本格的な指導をするだけではなく、演出にも参加し、棋譜とドラマの展開をあわせたのだとか。

こういうことを知ると、なぜ、今までこの時代の民衆をじっくりと描く大河ドラマがなかったのかと思ってしまうほどです。

徳川家基とは家治の嫡男であり、生き延びた唯一の男子となります。

次期将軍の候補。そんな我が子と意次の間で迷う気持ちが、ここでの将棋の展開にあるそうです。譲ろうとしない意次に対し、家治は攻めていっていると。

意次は帰宅し、意知と三浦庄司相手にこぼしています。

意次は「白眉毛」こと松平武元が大奥を通じて上様に根回ししたと踏んでいます。

大奥は田沼贔屓であったはずでは?と意知が疑問を呈します。

意次は史実でもドラマでも美丈夫でしたので、彼が大奥に近づくと、女中たちは袖を引き合って彼をうっとりと眺めていたとか。ルックスだけでなく、挙措や態度もよかったのでしょう。

しかし、それも御台所こと五十宮倫子存命時までであったとか。三浦は、白眉毛に手を貸しているのは知保の方ではないか?と推察します。

知保とは家基の生母です。

家治は御台所を仲睦まじく、子が生まれると彼を生母ではなく、御台所に託していました。その御台所が亡くなり、実母の知保が重きをなしているのです。

そもそも、この知保を家治の側室に推薦したのは田沼一派です。

世継ぎの母となるだけで満足できぬのかと、不満げな様子。意次は「欲深なのだ、あの女!」とまで口走っています。

意知に次の一手を聞かれ、意次は貧乏旗本や御家人からの嘆願を集めると言います。『鎌倉殿の13人』でも、梶原景時排斥のために連判状が募られましたね。現代でも署名活動は有効です。

先ほど出てきた松本秀持は田沼派のようで、彼が手配することになりました。

 

「うがち」が作品を面白くする

鱗形屋と蔦重が面白ぇ青本のネタを練っています。

このドラマはジョン・グラム氏によるサウンドトラックの使い方が巧みでして、田沼邸の幕切れからここまで、どこか重々しい音楽が使われていて不穏です。なお、このサウンドトラック第一弾は先日発売されております。

二人が話し合う内容が「悪い奴を一人作る」という点なのも興味深い。苦々しい顔をしていた田沼意次と、そのことがどうにも重なってきます。

すると蔦重が、悪い手代は「源四郎」にしたらどうか?と提案します。

当時、金をちょろまかす手代の隠語は「源四郎」だったそうで。江戸時代のこうした時代に即した文学は、隠語や流行が読み解きにくいので現代人にとっては難解になります。

鱗形屋は「うがってらぁ」といい、蔦重は「うがち」を全編に散りばめると言い出します。着物の紋をみれば、誰のことかとわかるような仕組みだそうで。

これも後の伏線になりますね。浮世絵でも使える手法です。

そしてこの「うがち」は私たちも使っていると気づきました。

西村屋与八のことを「マシリト」呼ばわりをしています。『Dr.スランプ』の悪役という意味がまずありますが、あのマシリトとは鳥山明氏の「うがち」なんですな。

鳥山氏は鳥嶋和彦氏という担当編集者に、原稿をボツにされることを恐れていました。あまりの憎たらしさに「トリシマ」を逆さから読んで「マシリト」とし、顔を似せた悪役を出したわけです。

そういう含みがあることを知らずに読んでも面白いけれども、知ればもっとニヤニヤしてしまう。

「マシリト」には悪役という意味と、クリエイターを苦しめる悪どい奴という意味が込められるということです。

そう考えていくと、ここも「うがち」を考えてしまいます。

歴史は田沼意次をわかりやすい悪役としているんじゃねえか? そんな問いかけです。

蔦重と鱗形屋の二人は、さらに「地口」も入れると言います。「ありがた山の鳶鴉!」のようなダジャレですね。

江戸っ子といえば「地口」であり、このドラマを外国語に翻訳するのは大変でしょうねえ。

そして蔦重は、絵と文を書くものはどうするのかと考え始める。

と、鱗形屋は既にアタリをつけているとか。

さるご家中で団扇絵を描いて糊口を凌いでいるそうです。となると、貧乏武士でしょうか。

「本作るのがお好きなんですね、鱗の旦那」

そうしみじみと言う蔦重。

なんでも曾祖父さんが「赤本」を江戸向けに作り替えたそうで。

そのころの本は全て上方から流れてくるものでした。しかし江戸と上方では気風が違うから、江戸のガキ向けに作り出したのだそうです。

赤本を読んで育った子どもが楽しめるように青本を作ったそうで、だからこそ青本リニューアルに運命を感じたとのことでした。

 

鱗形屋は「丸屋源六」ではないか?

蔦重が鱗形屋を出て歩いていくと、須原屋の「書林」の前でなにか揉めていたようです。

使用人が憎々しげに塩を撒いています。なんでも大坂の柏原屋という本屋が、何かを出したんじゃないか?と難癖をつけてきたとか。

『節用集』です。どうにも「偽板」だそうで、今で言うところの「海賊版」です。この海賊版の業者「丸屋源六」のことを「須原屋じゃないか?」と疑ってきたとか。

字引なんざ誰が書いても違えねえと須原屋はこぼしています。

すると蔦重の脳裏に、何か暗いものが浮かんできます……。

「丸屋源六が見つかったら大阪の本屋はどうするのか?」

「そりゃおめえ、お役人に訴えて出るさ。あの荒い鼻息だとな」

蔦重、ますます考え込んでしまいます。

その夜、蔦重は九郎助稲荷のところで座っています。

鱗形屋こそ……偽板「丸屋源六」の正体ではないか?と、気づいちまったんですね。

隠れて何かを摺っていた。

儲かってねえはずなのに摺損じがたくさんあった。

とはいえ、金繰りも厳しいというのに訴えられたら潰れるかもしんねえ。

そこまで考えています。稲荷は潰れたらとって替われると納得しますが、この大河の舞台は太平の世。

そんな真田昌幸みてぇな発想にはなんねえのよ。

「あ〜! 告げ口ってのはクズ山クズ兵衛だよな」

稲荷は、悩む前に確かめては?と思うものの、眼の前の人間にその思い届かない。

「俺、確かめるわ!」

って、通じてんじゃねえか! 蔦重は稲荷にお礼を言って神社から出て行きました。

そうなりゃ行動は早い――翌朝、蔦重は鱗形屋へ向かい、腹痛を装って厠へ向かいます。

そこで紙を確認すると……ありましたぜ!

「丸屋源六」の文字がよ!

懐に証拠を入れて出て行こうとすると、話し声が聞こえてきます。

あの高笑いは西村屋与八ではないか!

なんでも『雛形若菜』は信じられないくらいの評判だそうで、鱗形屋さんの手引きのおかげだと語っております。蔦重をはめた金を受け渡してやがるんですね。

西村屋から蔦重の様子を聞かれ「うちのために駆けずり回ってくれてらあ」と満足げに語る鱗形屋。

西村屋の狙いは、蔦重という忠犬に首輪と縄をつけることであり、そうする理由も吉原から出てきた自前の板元なんて生まれたら最後、自分たちは甘い汁を吸えなくなると言いやがりました。

こいつら……どこまでも外道なんじゃ!

さしもの蔦重も、証拠を持って奉行所にでも駆け込むかと思ったところが、行き先は近場の書林の須原屋です。

しかし、お人好しの蔦重は誤魔化して帰ってしまいます。まぁ、太平の世だからな。

稲荷に顛末を報告する蔦重。腹は立つが、告げ口は性に合わねえとこぼします。そりゃ仕方中橋だと稲荷。

蔦重は「運天」にしました。

運を天に任せるってことは、つまり何もしねえで、なりゆきですってよ。

 

田沼意次の屈服

松本秀持のもとへ「社参取りやめ嘆願書」を届けにきた者がおりました。

応対する秀持は、嘆願書の下に小判がギッチリと詰まっていることに気づきます。

なんでもこの家中の中に、偽板出版に噛んだ家臣がいるとか。それを大阪の板元が探していて、訴えが上がってきてしまう。そうなったら当家は切断処理をして欲しいという嘆願でした。

ケッ、裏金で政治も動かせるってかい! 江戸時代も今も、そこは同じってことかよ。

田沼意次は嘆願書を集め、家治のもとへ提出しにやってきました。

将棋を指しつつ、家基からの懸念を伝える家治。

徳川家治/wikipediaより引用

意次は政治を言いなりにしている。そして幕府を骨抜きにしている。成り上がりの奸賊だと考えているとか。

「奸賊……」

そう噛み締めるように言う意次。

成り上がりであることは認めつつ、眉間に皺がよります。

しかし、こうもキツい言葉を家治が発したのは、自らの死後を懸念してのことでした。

家治の死により寵愛を失えば、田沼一派は排除されると懸念しているのです。

これは江戸幕政の宿命であり、かつては柳沢吉保間部詮房も、主君の代替わりにより権力を失ってきました。

しかし家治と意次の場合、改革を長いスパンで捉えていると伝わってきます。

結局、社参は実行ということで決まってしまいました。

松平武元が老中たちの前で、勝ち誇ったような態度を見せています。

さらに「田沼は馬に乗れるのか? 武具や兜はどこで誂えるか知っておるか?」と煽ってきます。なんという嫌味か。

田沼意次を演じるのは、あの渡辺謙さんですので、より屈辱的に思えます。本人へのあてこすりというだけでなく、田沼家中には三浦庄司はじめ、武家以外の成り上がりが多いことも皮肉っているのでしょう。

意次も、右近将監と「高家吉良様」のように指南して欲しいと当てこすりを言う。

忠臣蔵』でおなじみの悪役ですね。浅野内匠頭をネチネチいびった態度そっくりだな! そう「うがち」をやられているわけです。

ここも歴史の教訓を思い出します。

馬だの兜だの、田沼意次ならばもう古いと把握できていてもおかしくない。

しかし頭が固いとそうはなりません。それが発揮されたのが幕末水戸藩の【天狗党の乱】でした。

天狗党の面々はまるで戦国武士のように着飾り、景気付けに日光東照宮に参拝してから上洛しようとし、東照宮側から断られています。

そして彼らは破滅するわけですが、御三家である水戸として威光を振り翳しても無力だった一例のように思えてなりません。

田沼意次の正しさ、その先見性は歴史が証明しているといえるのかどうか。

田沼邸には貧乏旗本の佐野政言がやってきました。慇懃な調子で意知に名乗り家系図を差し出してきます。

意次は帰宅し、苛立ちつつ武具や馬の手配を進めています。

そこへ意知が、佐野政言の巻物を見せてきます。

なんでも田沼家は、佐野家末端の家来筋にあたるとか。その由緒を改竄することを条件に、よいお役目につけて欲しいと依頼してきたとか。

意次はその巻物を手にし、庭の池に投げ捨ててしまいます。

「由緒などいらん」

そう意知に言い捨て、意次は去ってゆきます。

 

天下太平でも、世に事はあり

鱗形屋で、蔦重が「団扇の方」と話がついたのか?と聞いています。

問題なかったと確認すると、蔦重は暗い顔をして店を眺めつつ、こう呟きます。

「天下太平、世は事もなし」

するとそこへ客として「カモ平」と呼ばれるようになってしまっていた長谷川平蔵宣以がやってきました。

今日はピョロリとした後毛である「シケ」はありませんね。

「字引はあるか?」

じっと見つめる蔦重に、鱗形屋が「知り合いか?」と尋ねてきます。吉原の客だと返す蔦重。

平蔵は本を手にすると、それを掲げながら宣言します。

「あったぞ、偽板だ!」

平蔵の声に応じ、ぞろぞろと与力が入ってきました。

「上方の板元、柏屋与左衛門より訴えがあった!」

そう容疑を読み上げる与力。鱗形屋はシラを切ろうとするも、与力の号令のもと、同心が店に入ってきます。

店の者が連行される中、蔦重が身分を聞かれると「この店抱えの……」と答え、鱗形屋と共に捕まりそうになると、平蔵が首をピッと振りつつ、こう言います。

「おう! そいつはまこと吉原の茶屋のもんだ。関わりねえ!」

その瞬間、鱗形屋が憎々しげに蔦重を睨みつけます。

告げ口野郎と誤解したのでしょう。同心は証拠となる偽板の本を見つけています。

鱗形屋は穴が開きそうなほどの憎悪と共に蔦重にこう言います。

「おめえか?」

「いや……違います!」

「おめえが漏らしたのか?」

「違ぇ、俺じゃねえ! 俺は本当に何も言ってねえんです!」

「このままで済むと思うな! 必ず後悔させてやるからな!」

毒づきながら連行されていく鱗形屋の後を万次郎が叫んで追いかける。

「おとっつぁん! おとっつぁん!」

もはや父を見送るしかありません。こういう泣き叫び方をするガキは、後に父の仇討ちをしたりするんだよなァ。大丈夫か?

ま、お武家じゃねえから切った張ったにはなるめぇが。

 

ありがたく受け取って、噛み締めて前へ進め

柏原屋から奉行所に相談があった――平蔵が手入れに入った経緯を蔦重に告げます。

訴えたいものの、江戸の板元の口が堅い。「丸屋源六」の正体が掴めない。

普段なら「おめえらが調べろ」となるところを、この件については何故か上から鱗形屋を調べろと命がくだった。

あの贈賄大名を庇った田沼一派の差金でしょうな。

平蔵は、探りを手伝っていたと言いつつ、鱗形屋の前で椅子に腰掛けます。

当時のこうした椅子は座る時以外はひっくり返しておいて、座る時に立て、立ち上がったらまたひっくり返す仕組みです。

平蔵は奉行所ではなく、御書院番士を務めていたようです。

無役を脱したのはよい。三河以来の名門でなければ就けない役ではあります。

しかしこれが性に合わないんだってよ。んで、奉行所に移るために顔を売っているんだとか。

ちなみにあの与力は江戸のモテ男ベスト3こと「江戸の三男」に入る役職でさ。残りは火消しと力士ですね。

町人は、なんとなく武士が煙たいもの。しかし与力は町のトラブルを解決するし、町人に距離が近いってんで、モテました。

平蔵も、与力になってモテたいのかもしれない……と思いましたが、町人と近い役目があっているということですかね。

そしてここが平蔵のよいところ。

佐野政言も、平蔵も、三河以来の名門旗本でして。佐野はその由緒を使い、田沼に取り入ることで打開しようとする。一方で平蔵は、顔を売り込むことで打開しようとしているのです。

トップダウンで打開しようとする佐野政言か。

ボトムアップで打開しようとする長谷川平蔵か。

この対比があるわけですな。

そんな平蔵は懐から粟餅を取り出し、食べ始めます。

鱗の旦那の悪行も、柏原屋が騒いでいることも知っていたと打ち明ける蔦重。そのうえで一言「危ねえ」といえばこうならなかったと悔やんでいますが……。

「何故言ってやらなかったんだ?」

「そりゃあ、心のどっかで望んでたからっすよ。こいつがいなきゃ、取って代われるって」

「じゃ、願ったり叶ったりじゃねえか」

平蔵にそう言われ「濡れ手に粟」「棚からぼた餅」とつぶやく蔦重。

腰を下ろし、こう言います。

「俺ぁうまくやったんでさ。けど、うまくやるってなぁ……堪えるもんっすね。すいません、つまんねえこと言って」

そう頭を垂れてしまいます。

いい奴だな、天下太平だな。真田昌幸なら室賀正武を謀殺成功してもこんな態度をしなかったもんな。

「武家なんて、関取争いばっかりやってるぜ。出し抜いたり、追い落としたり、気にするようなことじゃねえよ。世の中、そんなもんだ」

そう言いつつ「そろそろ行くか」と立ち上がる平蔵。

そして粟餅を蔦重に渡してきます。

「濡れ手に粟餅。“濡れ手に粟”と“棚からぼた餅”を一緒にしてみたぜ。とびきり上手い話に恵まれたってことさ。おめえにぴったりだろ」

受け取る蔦重。

「せいぜいありがたく受け取っておけ。それが粟餅落としたやつへの、手向けってもんだぜ。じゃあな」

そう去ってゆく平蔵でした。ずっと澄ましていられなかったのか、最後の最後で吹き出しているところに味がありますね。

吹っ切ったように粟餅かぶりつく蔦重。

「そうだよな。鱗の旦那! 濡れ手に粟餅、ありがたくいただきやす!」

そう決意を固めるしかない。

ま、今さら何したところで、取り返しつかねえしな!

 

MVP:鱗形屋孫兵衛

蔦重を罠にかけるところは憎たしいようで、あとはどうにも悪人に思えない人物像でした。

彼のことを憎めなくなったのは「赤本」と「青本」のくだりです。

思えば彼の衣装は赤と青を基調としたものの二種類があります。その意味がつかめました。

曽祖父が作り上げたものを磨き上げて残したい。そう語る彼は本当に本を作るのが好きで、誇りがあるのだと思えたものです。そりゃあ、蔦重も告げ口を踏みとどまるわな。

そして鱗形屋を片岡愛之助さんが演じる意味が実に素晴らしい。

片岡愛之助さんは上方歌舞伎の出で、いわば「下りもの」。江戸まではるばる流れてきたともいえる役者です。

今でも歌舞伎や落語は東西で違う。いわばその違いを肌で感じてきた役者がこう江戸っ子らしく語っていると、実に味と説得力があるのです。

鱗形屋孫兵衛は、上方と江戸を繋ぐ片岡愛之助さんが演じるに相応しい人物。本来誇り高く、立派な商人です。火災で家が傾く不運がなければ、あんなことにはならなかったかもしれない。

鱗形屋だけでなく、話を持ち込んでおきながら、裏で賄賂を贈って、逃げた大名も酷いわけでして。

突き詰めてゆくと、江戸中期の財政逼迫が根元にあるのではないかと思えてきます。

となると、田沼政治は正しいと思えてくるようで、その田沼一派が鱗形屋を地獄に落としたところが実に難しい。

問題解決は困難だ――そう突きつけて毎回毎回、頭が捻れきれそうなほどに惹きつけてくるのが、このドラマの味なんですね。

業が深ぇよ。

鱗形屋の失墜と、田沼政治をこうもうまく絡めてくるなんて、とんでもねえことですよ。

 

総評

毎回毎回、見ているうちに頭がテカテカしそうなほど面白いこのドラマ。どうしたもんでしょう。

今回は「青本」について蔦重が語るところで、グッときました。

これは様々なものに当てはまるのではないかと。

思いつくところでは時代劇ですかね。

時代劇はエンタメとして堂々と王道をいくもののはずでした。

それがいつの間にか、途中で筋書きがわかるというか説教くさいというか、「カビくせえ」ものになってしまった。

しかし、フォーマットが悪いわけではない。

そのため、韓流や華流時代劇が日本に追いついて入ってくるとヒットしてしまう。そういう流れがあったんだと思います。

そこを意識して変えてきて、その成果がここ最近出てきたと感じています。

これは、そうした苦境の中でも続けて放映されてきた、大河ドラマそのものにも言えるんじゃないですかね。

ここ数日、『豊臣兄弟』のキャスト発表を見ていて、心がさして動かないことにハタと気づきました。

カビくせえは言いすぎにせよ、見た瞬間にどういう人生を送るか把握できているんですよね。

そりゃ、美女をキャストする。こういう優等生タイプを好演した俳優を据えてくるだろう。そう予測がついてしまう。

確かに戦国乱世は面白い。でも、わかりきった展開じゃないか?と思ってしまいました。

そう思ってしまうのは、きっと『光る君へ』と『べらぼう』で、予測のつかない面白ぇ、かつ「今」を取り込んだ大河ドラマを見てしまったからじゃねえかと思った次第でして。

そういう業の深さがあるんだな。

本作もまさに「うがち」で、ドラマを通して何か深いもんを語りかけてくる気がするんです。

それを読み解こうとして毎回脳が捻じ切れそうになりやす。疲れます!

 

またしても重なる因果(ネタバレ注意)

さて、以下は思い切りネタバレしますんで、読みたくない方はすっ飛ばしてください。

鱗形屋と西村屋の因縁は続きます。

あの聡明な万次郎は、のちに西村屋に養子として入り、西村屋与八の名前を継ぐ。

まだ幼い彼は、この偽板事件の顛末を曖昧にしか知らない。そして父は蔦重がチクったと誤解している。この父から蔦重への恨みつらみを聞かされ、逆恨みしてもおかしくありません。

次週以降、西村屋と蔦屋の対決が始まります。

ラウンド1ともいえる【美人画】対決は、喜多川歌麿というカードを擁した蔦屋の勝ち。

そしてラウンド2は何か?

【役者絵】です。

蔦重は東洲斎写楽というカードで挑む一方、西村屋は歌川豊国を擁してきます。

結果は西村屋と歌川豊国の大勝利となります。

このラウンド2のころは、初代でなく、二代目の与八(万次郎)です。

父の仇討ちに成功したということになるのでしょう。

それにしても、この万次郎を演じた野林万稔さんの目元の涼しさ。それに見るからに賢そうな顔立ち。成長したら、ぜってぇ出るはずだと私が信じている、ある役者さんを彷彿とさせるんですよ。期待しかありやせん。

もしこの予感が当たったら、見ている側は頭がドッカンドッカン、てぇへんなことになるぜ。

こう考えてくると、やはり唐丸の正体は喜多川歌麿だと思えてきます。

歌麿は「写楽なんか売り出しやがって」と恨みつらみを残しています。彼が唐丸だとすれば「唯一無二の“相方”を替えたから負けたんだい!」となりましょう。

ちなみに西村まさ彦さんが西村屋与八を演じるのは二度目となります。

『眩(くらら)~北斎の娘』で二代目を演じ、今回は初代を演じているんですね。別人物ですので注意が必要です。

それから佐野政言。

彼の田沼意知殺害の動機は不明とされます。錯乱していたともされます。

ドラマでは家系図の扱いにより、その動機の発端が見えてきました。

黒幕なし、単独犯になるのか。それとも一橋治済でも動くのでしょうか。

一橋治済といえば、知保と家基の周辺も何やら匂いますな。この母と子を田沼一派が警戒していることも、伏線なのでしょうか。

そして「赤本」と「青本」と来まして、別の色の本も気になってきますね。

その別の色の本のアイデアも、キンキンから粟餅まで、今週にはみっちりと出てきました。

ドラマ関連のニュースではことさら伏線回収ということを取り上げます。

しかし、伏線がありゃァ回収するのはフィクションの基本っちゃそうですぜ。ゆえにあれだけ伏線が張り巡らせた唐丸が実は再登場しない……とかなんとか言うのは失礼な気がしますけど。

でも、わかったことがあるんです。

伏線もフラグも、受け止める側が偏見なく、材料を集めてこそ見えてくるもんだと。

伏線云々、ネット、特にSNSで騒がれる作品というのは、ただのお約束に忠実で、やりすぎていて「カビくせえ」ことすら時にあるんすね。

今年の場合、稲荷が蔦重に向かって言うように、証拠を掴まねえと読み解けねえ因果だらけで、脳が毎回捻じ切れてまさ。

これのどこが簡単な大河ドラマなんですかい!

📘 『べらぼう』総合ガイド|登場人物・史実・浮世絵を網羅


あわせて読みたい関連記事

鱗形屋孫兵衛
『べらぼう』片岡愛之助が演じた鱗形屋孫兵衛|史実では重三郎とどんな関係だった?

続きを見る

徳川家基
徳川家基は意次に謀殺された?18歳で謎の死を遂げた幻の11代将軍

続きを見る

田沼意次
史実の田沼意次はワイロ狂いの強欲男か 有能な改革者か? 真の評価を徹底考察

続きを見る

松平武元
松平武元は頭の堅い老害武士か『べらぼう』で石坂浩二が演じた幕府の重鎮

続きを見る

田沼意次
史実の田沼意次はワイロ狂いの強欲男か 有能な改革者か? 真の評価を徹底考察

続きを見る

【参考】
べらぼう/公式サイト

TOPページへ


 



リンクフリー 本サイトはリンク報告不要で大歓迎です。
記事やイラストの無断転載は固くお断りいたします。
引用・転載をご希望の際は お問い合わせ よりご一報ください。
  • この記事を書いた人
  • 最新記事

武者震之助

2015年の大河ドラマ『花燃ゆ』以来、毎年レビューを担当。大河ドラマにとっての魏徴(ぎちょう)たらんと自認しているが、そう思うのは本人だけである。

-べらぼう感想あらすじ

右クリックのご使用はできません
目次