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『光る君へ』感想あらすじレビュー第17回「うつろい」

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『光る君へ』感想あらすじレビュー第17回「うつろい」
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関白道隆、最期の願い

藤原道隆が、全ての政務を内大臣の伊周に委ねることを許してもらいたいと帝に頼み込んでいます。

帝はしばし考えて、のちに宣旨を下すといいます。

即答できないのは、実資の言葉が脳裏にあったからでしょう。

道隆は、いますぐ約束していただきたい、ここで決めて欲しいと訴えるものの、帝は道隆を下がらせます。

道隆はやはり、政治力は鈍いようです。力押ししかできません。

思えば定子のサロンを華やかにして、公卿の心を掴む計画は、道隆ではなく貴子のものでした。

夫と妻を比較しても、政治力は妻の勝利なのかもしれません。

貴子は漢籍教養もある聡明な女性で、定子は母に似たと思えます。

道隆の欠点を見ていると、伊周と隆家兄弟の今後が早くも心配になってきます。

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貴子の影も重要な伏線です。

貴子と定子が生み出し、清少納言が『枕草子』に描いた華やかなサロンの幻影は、彼らが去ったあとも残り続け、のちに紫式部を悩ませることとなります。

このあと、帝は本音を漏らします。

関白の言うことを無碍に断るわけにもいかないが、言いなりになってばかりでもいられない。

「伊周のこと、朕は嫌っておらぬ。しかし、なにぶんまだ若すぎる……」

そう悩む帝。

もしも道隆があと十年長生きできれば、歴史は変わっていたことでしょう。

「皇子を産め! 早く皇子を産め!」

錯乱した道隆が定子のもとへ。定子こそ唯一無二の妃だ。他の姫は入内するかもしれないのに、何をしているのかと訴えます。

定子は帝はまだ若いというものの、とっくに元服している、わしが摂政から関白になって支えてきたと荒ぶる道隆。

歴史上の人物にはハズレ値を出す人がいるので誤解されがちですが、いくら若いうちに結婚しようが、子が簡単にできるわけでもありません。

昔の貴人は政治的思惑で結婚が早いのであって、出産に適しているとはかぎらないのです。

定子はそれなりに仕え、帝のお召しに応えているというものの、道隆は聞く耳を持ちません。

「足りない足りない足りない足りない……まだまだ足りない!」

皇子を産めば我が一族は安泰。皇子がないゆえ帝の心がうつる!

そう言い、こう繰り返します。

「皇子を産め皇子を産め皇子を産め」

鬼気迫る道隆。これが彼の限界かもしれません。

「迂直の計」という概念がありまして、まっすぐに力押しするよりも、根回しした方が目的を達成できることがあります。

同じきょうだいでも詮子はそれができるのに、道隆はできない。

兼家が道隆をのびのびとまっすぐに、汚いことを見せずに育てたことも影響しているのでしょうか。

さて、公卿が集まっていると、藤原道綱が藤原道長に対して、大納言朝光が3月20日に亡くなったと囁いてきます。

疫病が怖い」と怯える道綱。

陣定(じんのさだめ)のときは罹っていなかったと思いたいのだとか。あっという間に亡くなる、屋敷から出ない方がいいと怯えている公卿たちです。

実資は屋敷にこもっていたら政治はできぬとキッパリ。

この公卿たちは道長が悲田院に向かい、まひろを看病したと知ったらどう思うことでしょう?

実資だけは目を見開いて、見直すかもしれませんね。

というのも、実資は疫病は関白のせいだと毒づいています。

チョートクという舐めた元号だわ。息子を内覧にするわ。

道綱が聞かれちゃうと心配すると、実資は間違ったことは何も言っていないと強気です。

内大臣伊周など気に入らん!と妥協しない。

実資のようにやる気があり、かつ有職故実に詳しく、カリスマもある公卿は使い道があったはずです。

例えばスポークスパーソンになれる。

道隆は実資を抱き込むようなことはできなかったものでしょうか。言っても仕方ないことですが。

ちなみに実資は、アホのくせに出世が早い道綱が嫌いです。

道綱は実資を追い越して出世しています。となると、道綱の出世したあとを進むことになる。

とはいえアホボンの道綱は大臣になぞなれるわけがない。つまりわしの出世も滞る!そう怒りを日記に綴っております。

するとここで伊周がやってくるのでした。

道隆はなおも伊周を関白にするようにと願っており、源俊賢にも頼んでいます。

さらには這いずるようにして、帝にも伊周を関白にするようにと頼みに行こうとして止められています。

 

貴子から、光る君へ

道隆は伏せっています。

「まだ死ねない」

そう言う道隆に、貴子はまだ大丈夫だと言います。伊周を気遣う道隆に、内裏に行っていると返す貴子。

ふと憑き物が落ちたように、道隆はこう言います。

「そなたに逢ったのは、内裏の内侍所であった。スンと澄ました女子であった」

「道隆様はお背が高く、キラッキラと輝くような殿御でございました」

そう笑い、夫の手のひらを握りしめる貴子。

道隆が歌を詠みます。

忘れじの 行末までは 難ければ 今日をかぎりの 命ともがな

【意訳】いつまでも忘れないという言葉が叶うことは難しい。ならばいっそ今日限りの命であって欲しい。

「あの歌で、貴子と決めた……」

そう語る道隆。

彼は貴子の和歌に描かれた懸念通りではなく、ずっと貴子を愛し抜いて命を終えました。

貴子の目に映った道隆も「光る君」だった。

恋をした相手は光る。出会ったころのことを思い出しているときの道隆は、そのたびに光っていました。

最期の時にも光を取り戻していました。

長徳元年(995年)4月10日、道隆は43で世を去ったのでした。

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MVP:藤原道隆

本作で道隆役を務める井浦新さんは『平清盛』で崇徳天皇を熱演していました。

今度は、あの悲劇の帝から穏やかな貴公子になったと安堵する方もいたようです。

しかし、崇徳天皇とて序盤はそこまで荒れ狂っておりません。

そして道隆も退場間際には狂気すら感じさせる圧巻の演技でした。流石です。最終週の今回は冬の嵐のようでした。

もうひとつ、道隆には重要な役目があります。

男性の政治力が低いと、女性が補うというひとつのモデルを示したということです。

思えば序盤の「漢詩の会」から、プロデューサーは貴子でした。

道隆がおっとりしていたころから、貴子はテキパキと物事を取り仕切っていたものです。

そんな貴子が腹黒く思えたこともありましたが、あれも全て道隆への愛ゆえかと理解できました。

その貴子の願力も、夫が衰えると心配なのか、削がれてしまったことは残念です。

今回は貴子だけでなく、女性の政治力が目立っていました。

定子は母譲りのしたたかな知略がある。

その定子の宿敵である詮子は圧巻の政治力と策謀を誇る。

倫子も侮ってはならない。財力も知性もあるからこそ、道長を手のひらで遊ばせる余裕がある。

明子を操縦したいと兄の俊賢は考えているものの、彼女はその思惑を食いちぎりかねない凄みがある。

この道隆と貴子の関係は、道長とまひろの今後も示唆しています。

二人が月の下で書物を向き合う場面がありますが、まひろの方が賢いことが伝わってきます。

道長はお勉強が苦手であることは、日記『御堂関白記』から推察できます。

解説者がつっこみたくなるのがこの日記でして。

「この日は事件があったでしょう、天気だけでなく、もっとちゃんと書くことがあるでしょう!」

「文法が無茶苦茶です。ちゃんと勉強しましたか?」

「馬をもらったことはしっかり書いているね。馬が好きなのはわかったけどさ」

道長は、性格的におおらかで、お気楽なお坊ちゃまだと推察できます。

藤原行成の『権記』は生真面目で細かい。藤原実資の『小右記』は教養と情報量に圧倒される。それらと比べると道長はなんとも言えません。

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そんな教養面でどこか頼りない道長に、いろいろと指導するのがまひろであり、彰子サロンのプロデューサーになるなら盛り上がるでしょうね。

そして、そのまひろは物事を隠したがる内向性が強いところも注目です。

道長は姉である詮子の引き立て。妻である倫子の財力。娘が皇子を産んだこと。そして紫式部が教養面でサポートしたこと。

そんな女性が担ぐ神輿だから望月になれたのだということが、ドラマでしっかりと描かれるようで実に楽しみです。

道隆も貴子にとっては、キラッキラの光る君だったと示されました。

光る君とは、自ずから光るものではなく、周りが磨いてこそ輝くものであるようです。

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