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【『光る君へ』感想あらすじレビュー第27回「宿縁の命」】
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道長、公卿たちを籠絡する
どうにかして娘・彰子の入内を盛り上げたい――。
そこで倫子と道長の夫妻が思いついたのが、公卿たちの歌を貼り付けた屏風でした。
歌よりも書が得意である藤原行成に清書を任せればそれはもう、豪華なものになると語り合っています。
東アジア国家らしい取り組みともいえます。
今作のテーマにも関わりますが、権力者が文学を高めることは、立派な政治行為。
文化文学に政治を持ち込むことは伝統です。
曹操とその二人の子・曹丕と曹植は文才に秀でていた。そこで曹操は文才に秀でた人材を自らの宮中に集め、華やかな文壇形成を目指したのです。
文章は人間の意識を変えてゆく。そこから始めることも立派な手段です。
当時の和歌は出世手段とまでは言えず、清少納言の父である清原元輔は歌の名人でも大抜擢されたわけでもありません。
清原元輔(清少納言の父)は底抜けに明るい天才肌!光る君へ大森博史
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では文化文学を無視できるのか? というと、そうもできない。
実際、道長の依頼を受けた藤原斉信は自信たっぷりに歌を渡しています。
ふえ竹の よふかき声ぞ きこゆなる きしの松風 ふきやそふらん
藤原公任に至っては「下手な歌を詠んでは名が折れる」と言いながら渡してきました。
どうやら時間がかかったようで、受け取った藤原行成もホッとしています。
出世だからと詠む斉信とは異なり、公任には芸術に対するプライドが感じられますね。
むらさきの 雲とそ見ゆる 藤の花 いかなる宿の しるしなるらん
清書する行成の手元が写ります。
かな書道ならではの雅な手元。
行成が書をこなす場面を見ると、渡辺大知さんと根本知先生のことを考えて見ている方まで緊張してしまいます。
かな書道が光る『光る君へ』「三跡」行成が生きた時代
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だが実資は断った
「歌は詠まぬ!」
一方で断固として断るのが藤原実資でした。
源俊賢が「そこをなんとか……」と声を濁すものの、公卿が屏風歌を詠むなどありえぬ、先例もないと実資は言いきる。
入内前で女房でもない相手のために、何ゆえ公卿が歌を詠まねばならぬのか!道長の公私混同だ!と手厳しい。
そうなんですよね。ドラマ内でのこととはいえ、まひろの夫だからという理由で宣孝を抜擢しているとすれば、その点で大問題です。
実資が知ったら「ありえん!」と怒るでしょう。
実資はちょっと浮いているというか、宋の官僚になった方が性格的にも向いている気がします。司馬光なんかと気が合うのではないでしょうか。
斉信、公任、実資の並びはグラデーションのようにも思えます。
斉信はまず出世ルートに繋がるチャンスは断らない。
公任は迷うかもしれない。芸術家としてのプライドと、妥協がある。行成が詠まないのではないかと気を揉んだのはそのあたりにあるのか。
実資は断固断る。道長もあえて粘り強く言葉巧みな俊賢を派遣していましたが、結局、叶わなかった。
なお行成は、歌が苦手なので清書担当です。
道長はだからこそ、報告を受けると「実資殿らしいな」と感心していました。
そこへ行成が「花山院から歌が送られてきた!」と、満面の笑みを浮かべて運んできました。
奇矯な振る舞いが目立つとはいえ、こういうことはしてくるらしい。
花山院は道長の父である藤原兼家たちの謀略で出家した人物です。彼の歌があれば「そんな過去はもう流れた」とアピールできますね。
道長には人望があったのでしょう。実資の塩対応にも納得できているほどです。
怒らないぶん、組織としてはだらけてしまうかもしれない。しかし実資タイプの者がネジを巻き直せばシャキッとする。
そういう適材適所もわきまえているし、みんなが心地よくなれる組織づくりに向いている。
いわば癒しのリーダーなのだと見ているとわかります。
この道長は腹黒いというより、流されやすく、善良なのですね。
乱世はともかく、平時のリーダーとしては理想的でしょう。
道長を見ていると、戦国幕末ばかりが大河の定番として取り上げられるのは、やはりまずいのではないかとも思えてきます。
乱世特化型のリーダー論にばかり浸かりすぎるのは危険なことでしょう。
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