光る君へ感想あらすじレビュー

光る君へ感想あらすじ

『光る君へ』感想あらすじレビュー第27回「宿縁の命」不実な女まひろを宣孝は許すのか?

2024/07/15

石山寺に参詣したまひろ。

そこへ姿を見せたのは、なんと藤原道長でした。

一体この逢瀬はどうなってしまうのでしょうか……。

 


石山寺の逢瀬

道長はまひろを気遣っています。

地震と洪水の被害があった場所はまひろの家があるため、気にかけていたとのこと。まひろはお礼を言い、無事だったと告げます。

一方、まひろは道長が痩せたことを気遣っております。

政務に疲れ切っているとか。いずれも手に余るものばかりで、そのたびに「まひろが自分を試しているのかもしれない」と言います。

これは道長のおかしなところです。帝の発言と比べてみましょう。

帝は「天譴論」、つまりは天意が己の政を監視しているととらえていました。

それが道長の場合、天意よりもまずまひろ。あの日「人のために政を為せ」と語ったことが胸に残っているのです。純粋というか、なんといいましょうか。

まひろは試したことなどないとムッとすると、道長は相変わらず怒りっぽいと返します。

道長は怒らない、まだ三郎のころ、怒るのが嫌いだと語ったと語るまひろ。これは道長の特徴でしょう。

藤原道兼がまひろ母の殺害で開き直った時には怒りで我を忘れるほどでしたが、斉信に騙されたと悟った時でも悔しがるばかりでした。

しかし、一度だけまひろに怒ったことがある。妾になるようまひろを誘い、断わられたときのことでしょう。そのことを考えているのかと道長。

偉くなったら人の心が読めるようになったのか……と驚くまひろに、そうではないと答える道長。

やはり彼は不思議な性質をしています。相手の策略は読めないのに、心は確かにわかっていると思えるのです。人徳を感じますね。

「越前はどうだった?」

「寒かった」

まひろの父である藤原為時が務めている越前守には苦労をかけると気遣う道長。

国司でも大変なのだから、左大臣はもっと大変だろうとまひろが話ながら、宋人のことも語り始めました。

宋の言葉で無難な挨拶を済ませる彼女に対し、聡明だと知ってはいたけれど、宋の言葉まで覚えたのかと感心しきりの道長。

挨拶なら誰でも簡単にできると謙遜しています。

まひろは清少納言とは異なり、いささか自己評価が低いというか、謙遜が過ぎるところがあり、これもやりすぎると嫌味にとられかねませんね。

「宋の言葉をもっと話してくれ」

道長に頼まれ、まひろはさらに喋り出します。

「越前紙を紹介して、それに歌や物語を書いてみたい」

先程の挨拶などとは打って変わって、難解そうな言葉をスラスラと語ると、道長は驚きます。

「そのまま越前にいたら宋の国にいたかもしれない」

けれどもまひろは都に戻った。そのことをあらためて喜ぶ道長です。

従者と来ているから戻るというまひろに対し、引き留めたことを詫びる道長。

別れを告げて、離れる二人。

このまま去ってしまうのか……と思われた道長が立ち止まり、じっと見つめます。道長は馳せ戻り、まひろの前に立ちました。

そして、その腕の中に飛び込むまひろ。抱きしめる道長。

唇を重ねあい、二人は思いを遂げるのでした。

朝の光が二人を照らしています。

「もう一度、俺のそばで生きることを考えぬか?」

「お気持ちうれしゅうございます。でも」

「俺はまた振られたのか」

仲睦まじく語りあう二人。いったいこの先どうなってしまうのか?

そうハラハラする視聴者も多いとは思います。

言い訳はいくつか考えられなくもありません。

逢瀬の場所は寺。

このお導きは仏の御心。

現代では通じない言い訳ですが、当時なら納得できなくもありません。

それにしても、石山寺はどうなってしまうのか。

『源氏物語』を思いついた伝説もある場所が、逢瀬の場所になってしまいました。うーむ。

 


定子の懐妊

春が訪れ、桜が咲き誇っております。

何気ない一瞬の場面ですが、江戸後期以降のソメイヨシノを入れないようにする工夫が必要です。

帝が定子のもとを訪れ、なぜ懐妊を告げぬのか!と喜色満面。

今度こそ皇子だと喜んでいます。

しかし、子を産むことなど許されぬ身だとして、定子の表情は暗い。そんな彼女を帝が慰め、定子に似た皇子を望み、全てがうまくいくと語りかけています。

帝は、そばにいた清少納言に「中宮のことを頼む」と念押しします。

凛としてこの言葉を受け入れる清少納言。

しかし道長からすれば困る話です。

安倍晴明の予言は当たる。生まれるのは皇子だと確信を深めています。

彰子は猫を抱いていました。

清少納言が「一番いいと思う猫の色」と書き残した背中が黒く腹が白い毛色です。鼻の黒い模様がチャームポイントで、「小鞠」という雌だそうです。

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このドラマの猫は、平安時代当時にもいた毛色で、赤い首輪をつけています。

日本における伝統的な猫の首輪は赤系統です。

 

倫子、彰子を指導する赤染衛門に疑念を抱く

源倫子が赤染衛門に藤原彰子の教育を要望しています。

勉学ではなく、華やかな艶、明るさを出して欲しい。入内して目立たなければ死んだも同然。なんとしても注目を集めなければならない。

我が家の命運がかかっていると思い詰めた様子の倫子。

ここで赤染衛門がセクシーポーズを指導すると、ぎこちない様子でなんとかあざといポーズをとる彰子です。

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一方、倫子は、娘に花を眺めさせて、情緒教育を施そうとします。

「わあ〜きれい〜」

ぎこちない棒読みしかできない彰子です。

このあと、赤染衛門が「閨房の心得を教えた」と倫子に告げています。おとなしいようで興味はありそうだ、と確信を持っている赤染衛門。

「閨房?」と倫子は驚きます。

要するに性教育ですもんね。

困惑しながら、そんなことよりも「まず声を出して笑うところから教えて欲しい」というと、赤染衛門は閨房は声も大事だと心得た顔をします。

そうではなく普段の声だと倫子がつっこむと、赤染衛門も困り果てました。私の任ではないと口ごもります。

赤染衛門は閨房以外に知恵はないのかと苛立つ倫子。そこはもう、和泉式部あたりをスカウトするしかないでしょう。

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なんだか赤染衛門がエッチなお姉さんのような扱いですが、これもありかもしれません。

来年『べらぼう』の予習も兼ねて、閨房教育について少々触れておきたいと思います。

実は当時から春画はあったとされます。絵を見て学ぶことがあったのです。

さらに『源氏物語』は、日本伝統の性教育に関係あるといえなくもない。

どうせ絵にするのであれば、その辺の男女を描くより、王朝男女の逢瀬を描きたい。

『源氏物語』は題材として最適でした。

来年大河の予習に春画について調べると、王朝ものもすぐに見つかるかと思います。

それが浮世絵需要が高まり、江戸の庶民の目線を意識するようになると、版元も絵師も顧客も意識が変わります。

隣の家が何しているか、覗いて見たいぜ!

江戸でどういうエッチなことがされているか、地方の民だって知りたいもんだろがよ――。

と、より生々しくなってゆき、その辺のカップルの行為が描かれるようになります。

こうした春画は人気の江戸土産でもあり、地方の若夫婦が手に入れたら「真似してみんべえ」となった。

そして江戸の民は思うのです。

俺らは自分たちの文化を築いたぜ!

もう、上方の王朝文化やエッチをありがたがるこたァねェよ!

源頼朝や北条政子もエロの題材に……とまぁ、春画だけの話でもないのですけれど、閨房を学べば二年分大河の知識が深められますので、おすすめです。

 


宣孝のキャリアは絶好調だ

藤原宣孝が久々にまひろを訪れました。

なんでもたくさんの役目を左大臣から仰せつかり、絶好調の様子。

これもまひろのおかげだと笑っています。

人生何が幸いするかわからん、と浮かれる宣孝に対し、顔がこわばってしまうまひろ。

石山寺のことが頭をよぎっているのでしょうか。

宣孝の土産はまたも豪勢なもので、大和の墨に、伊勢の紅でした。

どこへ行ってもまひろを思っている――そんな風に言われて、困惑気味のまひろ。

「おとなしく心を入れ替えた」と宣言すると、憎まれ口を叩かないと恐ろしいと軽薄に答える宣孝。

終始こわばっていた顔のまひろですが、深夜、墨を擦って書き物をするときは心が解き放たれているようです。

夫の寝息を聞きながら、あごを下げること、酒を飲んで寝ると息が止まることを思い出しています。

それが殿の特徴なのだと。

医学的に言いますと、睡眠時無呼吸症候群ですね。宣孝は、どうやら長生きできそうにありません。

 

まひろの懐妊

翌日、まひろは気分が悪いとこぼします。

吐き気がして、来るものも来ない。病かもしれない――そう、ぐったりしていると、いとが悟ります。

病ではなく、ご懐妊であると。

月のさわり(月経)が何度来ていないのかと尋ねられ、いとにそっと耳打ち。

それならば生まれるのは師走の頃になる。

ん?

いとは勘付きます。

その時期だと、宣孝が来なくなっていた二月頃に懐妊した計算となる。まずい状況を察したいとは「殿様には黙っておく」と告げます。

そのときはそのとき、殿と仲直りできたのだからどうにかなると励ますのです。

いやぁ、とんでもないことになってきました。

宣孝がまひろのために鮎を届けても、つわりの影響なのか、食が進まない。

顔をこわばらせたまひろは、結局、懐妊を打ち明けました。

この歳で子ができるのか!と無邪気に喜ぶ宣孝。

今年の末に産むというと、忙しくそばにいられないと宣孝は残念そうな顔になります。

「よい子を産めよ」と相変わらず喜ぶ夫を見て、「気の回るこの人が気づいていないわけがない」とまひろは決意を固めました。

気づいていてもあえて黙っている夫に、わざわざ「あなたの子でない」と言うのは無礼だ。

しかし、黙っていることも罪深い。

どこまでも呑気な夫に、まひろは深刻な顔をします。

「俺たちは夫婦だ」と言われ、ついにまひろは別れを切り出しました。

瞬間、深刻な顔になった宣孝は、夜更けにそんな話は止めるように言いますが、彼女は頑なです。

「この子は一人で育てます」

対する宣孝は、寛大そのものでした。

まひろの子はわしの子だ――そう言いきると一緒に育てよう、それでよいというのです。

「わしと育てるのは嫌なのか」とまで言い、そうではないと否定するまひろに、宣孝は、さらに念押しをします。

「おまえへの想いはそのようなことでは揺るぎはしない。何が起きようと、まひろを失うよりもよい」

そう語り、さらに慈しみ育てれば、左大臣はますます大事にするとも付け加えます。

そうです。二人が一緒になるとき、まひろは不実な女だと言っていました。

それはお互い様だとして受け入れていたという宣孝は、こういうこと(懐妊)でもあるのだから、別れるなど二度と申すなと告げるのでした。

いったい宣孝は寛大なのか、それとも狡猾なのか?

宣孝は道長の贔屓を受けていることを、ホクホク顔で語っております。

出世と引き換えに自分の妻を差し出すことの是非はどうなのか?

歴史的にいうと、この慣習が根付いていた国があります。

フランスです。

フランスでは国王が愛妾である「公式寵姫」を持つことが当然のこととしてありました。この寵姫には、未婚女性が選ばれるのは例外的で、既婚者から選ぶことが通例でした。

未婚の処女を寵愛するのはよろしくない。既婚夫人ならばよい。現在とは異なる倫理観があったのですね。

以下の記事に、その一例がございます。

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これは日本の江戸時代でも通じたようで、水戸藩では徳川斉昭の目につくところにいる女中は未婚者の髷を結ったそうです。

既婚者だと斉昭が手をつけてしまうのだとか。

そうはいっても、妻を捧げる夫はどうなのか? 納得できるのか?

というと、これができたんですね。

妻を国王に差し出すと、それと引き換えに昇進を得られます。むしろ妻が国王の目に留まることは幸運とされたのです。

フランス貴族は性の倫理観もゆるく、既婚者なのに愛人を作らないと「枯れているの?」と言われたほど。

そこで騒いだら無粋の極みなので、少数例外を除いては怒ることもありませんでした。

宣孝からはそんなフランス貴族のような余裕を感じさせますね。

人間の性的規範なぞ、所詮は社会システムが作り上げるものです。

科挙でも導入されていればともかく、コネと血筋で出世ルートが開けるとなれば、そのあたりは妥協できるのでしょう。

視聴者としては、まひろと道長のロマンチックな愛に酔いしれていれば気にならないのかもしれませんが。

権力者とその下半身事情で人事が決まるとは、腐敗ここに極まれりではないでしょうか。

 

道長、公卿たちを籠絡する

どうにかして娘・彰子の入内を盛り上げたい――。

そこで倫子と道長の夫妻が思いついたのが、公卿たちの歌を貼り付けた屏風でした。

歌よりも書が得意である藤原行成に清書を任せればそれはもう、豪華なものになると語り合っています。

東アジア国家らしい取り組みともいえます。

今作のテーマにも関わりますが、権力者が文学を高めることは、立派な政治行為。

文化文学に政治を持ち込むことは伝統です。

中国ですと『三国志』の曹操が有名ですね。

曹操とその二人の子・曹丕と曹植は文才に秀でていた。そこで曹操は文才に秀でた人材を自らの宮中に集め、華やかな文壇形成を目指したのです。

文章は人間の意識を変えてゆく。そこから始めることも立派な手段です。

当時の和歌は出世手段とまでは言えず、清少納言の父である清原元輔は歌の名人でも大抜擢されたわけでもありません。

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では文化文学を無視できるのか? というと、そうもできない。

実際、道長の依頼を受けた藤原斉信は自信たっぷりに歌を渡しています。

ふえ竹の よふかき声ぞ きこゆなる きしの松風 ふきやそふらん

藤原公任に至っては「下手な歌を詠んでは名が折れる」と言いながら渡してきました。

どうやら時間がかかったようで、受け取った藤原行成もホッとしています。

出世だからと詠む斉信とは異なり、公任には芸術に対するプライドが感じられますね。

むらさきの 雲とそ見ゆる 藤の花 いかなる宿の しるしなるらん

清書する行成の手元が写ります。

かな書道ならではの雅な手元。

行成が書をこなす場面を見ると、渡辺大知さんと根本知先生のことを考えて見ている方まで緊張してしまいます。

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だが実資は断った

「歌は詠まぬ!」

一方で断固として断るのが藤原実資でした。

源俊賢が「そこをなんとか……」と声を濁すものの、公卿が屏風歌を詠むなどありえぬ、先例もないと実資は言いきる。

入内前で女房でもない相手のために、何ゆえ公卿が歌を詠まねばならぬのか!道長の公私混同だ!と手厳しい。

そうなんですよね。ドラマ内でのこととはいえ、まひろの夫だからという理由で宣孝を抜擢しているとすれば、その点で大問題です。

実資が知ったら「ありえん!」と怒るでしょう。

実資はちょっと浮いているというか、宋の官僚になった方が性格的にも向いている気がします。司馬光なんかと気が合うのではないでしょうか。

斉信、公任、実資の並びはグラデーションのようにも思えます。

斉信はまず出世ルートに繋がるチャンスは断らない。

公任は迷うかもしれない。芸術家としてのプライドと、妥協がある。行成が詠まないのではないかと気を揉んだのはそのあたりにあるのか。

実資は断固断る。道長もあえて粘り強く言葉巧みな俊賢を派遣していましたが、結局、叶わなかった。

なお行成は、歌が苦手なので清書担当です。

道長はだからこそ、報告を受けると「実資殿らしいな」と感心していました。

そこへ行成が「花山院から歌が送られてきた!」と、満面の笑みを浮かべて運んできました。

奇矯な振る舞いが目立つとはいえ、こういうことはしてくるらしい。

花山院は道長の父である藤原兼家たちの謀略で出家した人物です。彼の歌があれば「そんな過去はもう流れた」とアピールできますね。

道長には人望があったのでしょう。実資の塩対応にも納得できているほどです。

怒らないぶん、組織としてはだらけてしまうかもしれない。しかし実資タイプの者がネジを巻き直せばシャキッとする。

そういう適材適所もわきまえているし、みんなが心地よくなれる組織づくりに向いている。

いわば癒しのリーダーなのだと見ているとわかります。

この道長は腹黒いというより、流されやすく、善良なのですね。

乱世はともかく、平時のリーダーとしては理想的でしょう。

道長を見ていると、戦国幕末ばかりが大河の定番として取り上げられるのは、やはりまずいのではないかとも思えてきます。

乱世特化型のリーダー論にばかり浸かりすぎるのは危険なことでしょう。

 

あまりに見事な屏風の完成

いよいよ屏風が作られる、そんなシーンが出てきました。

作品というのは、用途を想像してこそわかるものがあります。

和紙の色合い。

かな書道の流麗さ。

そして和歌。

当時の鑑賞環境が見られることはドラマの利点です。

来年も、博物館のガラスケースに入っているのではない、手に取って楽しむ「浮世絵鑑賞の場面」が出てくるでしょうから、楽しみですね。

道長の思惑通り、この屏風は公卿の多くが支持していることの証明となりました。

彼の政に大きな意味を持つことになる。道長視点に立てば素晴らしいことです。

とはいえ、政治的ライバルからすればどうなのか。

ましてや、かつてその公卿と親しくしていた清少納言あたりからすれば、どうなのでしょう。

その前に、実資が屏風を目にして驚いています。

実資は教養に溢れる人ですので、政治的思惑を抜きにして芸術を鑑賞するとなると興味津々なんですね。さっそく公任の歌に感心していました。

さらに花山院の歌まであるとなると、目が泳いでしまう。

道長に、歌を詠んだ公卿リストを渡されると、さしもの実資にも動揺が見られます。

それでも道長は、筋を曲げない姿に感銘を受け、忌憚なくご意見を賜りたいとまで言ってきます。

すっかり参ってしまう実資なのでした。

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彰子の入内と、定子の皇子出産

11月1日、ついに彰子の入内となりました。

そのころ読経が響き、藤原伊周と藤原隆家の二人が弓を射ております。

出産の穢れを祓う儀式であり、中国由来です。本国では文を重んじるため廃れたとのこと。中国由来ながら現地で廃れたといえば打毱もそうですね。

程なくして産声が響き、子が無事に産まれました。

彰子入内から6日後、定子は皇子を産んだのです。

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帝は、中宮と皇子の無事を喜んでいます。

しかし、その姿を見る行成はどこか複雑な顔。心優しい行成は、道長も、帝も好きなのです。

皇子出産の一報に落ち込んでいるのが居貞親王(のちの三条天皇)でした。

道長が祝いの品を手配するというと、親王は叔父上も痛手であろうと言います。

そのようなことはないと返す道長に対し、居貞親王は道長の娘が入内したことも意味がなくなると続けます。

しかし、意味はあると力強く返す道長。

皇子の誕生でますます傾く帝の心を、彰子が戻すのだと確信を込めて語ります。

そんなによい女子なのか?と興味津々の親王。

「おかげさまで」

そう語る道長は、どこか自信がないようにも見えますが……。

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藤原伊周は、定子の産んだ皇子を東宮にする望みを抱き始めました。

そんなに急がないで欲しいと願う定子。

すると弟の隆家が、皇子を東宮にするとなると、今の帝を退位させねばならないと気乗りしない様子です。

帝が退位すれば、肝腎要の定子の力も弱まる。焦るとよい目が出ないと語っています。

伊周がムッとしていると、か細い声で「喧嘩しないで」と定子。

帝の心を掴んで離さない定子がいなければ、もう中関白家はどうにもならないだろうに……その定子が弱っているように見える。

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詮子と帝の決裂

一方で、健在である女院こと藤原詮子が帝の前に姿を見せました。

詮子は皇子の誕生を祝いつつ、帝のような優れた男子に育てると宣言します。

しかし帝その人は、皇子を自分のようにはしたくない、己を優れた帝とも思っていないとつれない態度。

私が手塩をかけて育てた帝が優れていないはずがないと詮子が続けても、中宮一人すら幸せにできていないと嘆く帝です。

母の仰せのままに生きてきた。それなのに公卿に後ろ指をさされている。

そう落ち込んでいると、伊周のせいであり、帝をたぶらかした定子が悪いにおわせる詮子です。

しかし帝の心に母の言葉はもう届かない。

彼女の言われるままに彰子を女御を迎えたが、愛することはないと告げるのです。

詮子が中宮ばかりを気遣うことを嗜めると、そういう母から逃れたくて中宮に救いを求め、のめりこんでいったのだ!と言い切ります。

「全てはあなたのせいなのですよ!」

帝から強く非難され、愕然とする詮子。

我が子にそんなふうに母を見られていたのかと衝撃を受けています。彼女にしても、どれだけ辛い思いで生きてきたか……と訴えますが、帝は帰るよう冷淡に言い放ちます。

詮子は嘆きます。父の操り人形で、政の道具であった。それでも生き抜いてきた。

しかし帝にすれば、自分だって母の操り人形なのです。父から愛されない母にとっての慰み者であった。

詮子は言葉に詰まります。

帝は女御の顔を見て参ると立ち去る前に、母の顔を立てねばならないと言い捨てていくのです。

詮子は深い絶望に沈んでいくように思えます。

帝は変わりました。天譴論すら忘れたようです。

宣孝に続いて、ここの詮子もフランス宮廷を連想させます。

イタリアのメディチ家から、フランスのアンリ2世に嫁いだカトリーヌ・ド・メディシスという王妃がおりました。

聡明で初々しい少女であったものの、夫は年上の寵姫を熱愛している。

そのせいでだんだんと性格が歪み、我が子を支配し、フランス史に残る大殺戮事件の糸を引いたともされています。

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高貴なお方に嫁げばハッピーエンド♪

なんてのは夢物語であり、その間に真摯な思いがなければ、心はねじれてしまう――そんな嘆きがみえる、圧巻の演技でした。

 

「一帝二后」という策謀

その日は、入内から間もない彰子の女御としての盛大なお披露目でした。

道長が持たせた屏風を背にして帝が座ると、道長がうやうやしく御礼を述べ、帝の言葉に従って彰子は顔を上げます。

「そなたのような幼き姫に、このような年寄りですまぬ。楽しく暮らしてくれれば朕もうれしい」

「はい」

公卿たちは目を泳がせ、機知にあふれる応対をできぬ女御に失望したような空気が流れています。

道長は晴明に、女御宣下の日に巫女が生まれた不運をこぼします。

我が運が傾いているのではないかと嘆くと、傾いてなんかない、何のさわりもないと断言する晴明です。

それでも気弱な道長は体調不良を訴えます。

すると晴明が策を授けます。

女御を中宮にする――という驚きの人事でした。

扇の上に白い石を置きながら、晴明は説明します。

太皇太后昌子が亡くなった。

皇后の遵子を皇太后とすれば、今度は皇后の座が空くのでそこに中宮定子を入れる。

そして彰子を中宮にして、皆をひれ伏せさせよというのです。

「一人の帝に二人の后などありえん!」

即座に否定する道長に対し、やってしまえばよいと焚き付ける晴明。

道長は反発していますが、そもそも国家安寧のために彰子様を入内させたのではないか?と晴明は引かない。

中宮にすれば彰子の力は強くなる。

道長の体調も回復する。

そう言い切る晴明。そううまくいくかと立ち止まれないのが道長です。流されやすい性格でその道へ進むのでしょう。

その頃まひろは、無事に娘を出産しておりました。

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MVP:藤原宣孝

ここまで評価が乱高下する人物がいたでしょうか。

はじめはまひろにとっては親戚のおじさん。

そんなおじさんからアプローチされてもどうかと思っていたら、セクシーな求婚者に変身。

お熱い夫婦愛を見せつける一方で、人を人とも思わない発言や女遊びという無神経さで視聴者をイラつかせる。

そして今や、大河史上に残るほど寛大な夫へ。

睡眠時無呼吸症候群が生じていて、もうすぐ退場する未来も見えてきました。

そうはいっても、彼自身はそこまで変わっておらず、飄々としていて空気が読める人物に思えます。藤原斉信に近い性質なのでしょう。

藤原実資のようにガチガチのこだわりもないし、藤原公任のようなプライドもない。

流されるまま自由に生きて、目の前の美味しいものを食べて、可愛い女の子に戯れればいい――そんな気軽で良いという生き方の体現者にも思えます。

こうも寛大だからこそ堅苦しい為時とまひろ親子につきあっていられるともいえる。

あれだけ頑固な人は普通相手にしにくいものです。この二人は劇中でも友達が多いタイプに見えません。

結局、宣孝はむしろ、全くブレていなかったんですよね。

このドラマの男性は、家族の女性を出世の駒に使っています。

妻を出世のために使うか。娘を使うか。

そう割り切ってしまえば、そうそう悪くないのではないか?

そう思わせる説得力があります。

佐々木蔵之介さんを知り尽くした大石静さんだからこそできた役に思えます。

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大河ヒロインが不義の子を産む時代へ

まひろが不義の子を孕み、悩む――。

不義がプロットの根幹にある『源氏物語』をふまえていると思えば、ギリギリの「あり」にも思えます。私としてはどうにも言えません。

しかし、果たしてそれだけなのでしょうか?

アメリカHBOのドラマシリーズ『トゥルー・ブラッド』で、ヒロインがこんなことを言い放ちました。

「男が女をとっかえひっかえ遊べば自慢できるけど、逆だったらビッチじゃない? おかしくない?」

価値観をひっくり返して私がかっこいい女になってやらぁ!

そう皮肉っているような場面でした。

あのドラマは2008年から2014年にかけて放映されました。10年以上前にこの場面が流れたことがわかります。

それから時を経て、まさか日本の大河ドラマでやることになるとは、思いもよらぬことでした。

しかも『源氏物語』のヒロインとは違って、まひろも宣孝もさして気に病んでいない。

まひろは当初気が重かったものの、宣孝は怒るどころか認めてしまいます。

不義の子の出産を、こうもあっけらかんと、痛快な仕上がりにまでするとは、何が起きているのか???と驚かされるばかりです。

さらに、詮子の絶望も生々しいものがあり、連続テレビ小説『虎に翼』を連想させました。

あの作品には梅子という女性が出てきます。

弁護士である夫に嫁ぎ、三人の男子を産む。

当時の良妻賢母そのものの生き方であったのに、夫も、息子たちも、彼女を裏切ります。

あれほど愛し、尽くした男の冷たさ、情けなさに、梅子はもう耐えきれない。

高笑いを共に絶縁を宣言し、己の道へと邁進してゆくのです。

詮子も、梅子も、時代は異なるものの、周りが敷いた女として最前最良の道を歩んできたように思えます。

けれどもその道の先は崖っぷちだった! もうこんなの笑うしかないでしょ!

詮子はそこまで到達できていないものの、梅子はそう笑いました。

NHKの看板ドラマが、女性の生き方に対し、別の道を示しているように思えます。

こんな過激なことをしてしまって、大丈夫なのか。そう心配になってくるほどです。

大河も朝ドラも、女性のロールモデルを作り上げる役目がありました。

それは偏見を推し進める役目を担いかねないことでもあります。

そのことを真摯に踏まえ、反省し、変わりたいのだとすれば、その志にケチをつけるつもりはありません。

描写の好みはあるだろうし、歴史劇として見た場合、紛糾することはわかりきっています。色々不安にはなるし、暴虎馮河かもしれません。

しかし、志があるのであれば話は別だ。それだけでも値千金です。

私の受信料はその志に使って欲しいものであり、理想的と言わざるを得ません。

大河ドラマを見ていると、どうしたってミソジニー傾向は感じています。

歴史に興味関心を持つ絶対数は、そこまで男女差があらわれません。自治体の歴史講座でも受講してみればわかるかと思います。

それなのに、どういうわけか日本では歴史は男のものとされ、女性を揶揄し、おちょくり、小馬鹿にするような言動が拡散しやすいとも感じているところです。

昔はやった「歴女」なんて言葉もその象徴でしょう。

そんな中で、敢えて挑む女性脚本家、ヒロイン、役者がいたら、ひとまず大丈夫かと気遣ってしまいます。

どうか、ご無理なさらず。

作品作りには気を抜けないにせよ、そうでないところでは、適宜休み、ご無理なさらないでいただければと思います。

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【参考】
光る君へ/公式サイト

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武者震之助

2015年の大河ドラマ『花燃ゆ』以来、毎年レビューを担当。大河ドラマにとっての魏徴(ぎちょう)たらんと自認しているが、そう思うのは本人だけである。

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