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『光る君へ』感想あらすじレビュー第27回「宿縁の命」不実な女まひろを宣孝は許すのか?

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『光る君へ』感想あらすじレビュー第27回「宿縁の命」
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倫子、彰子を指導する赤染衛門に疑念を抱く

源倫子赤染衛門藤原彰子の教育を要望しています。

勉学ではなく、華やかな艶、明るさを出して欲しい。入内して目立たなければ死んだも同然。なんとしても注目を集めなければならない。

我が家の命運がかかっていると思い詰めた様子の倫子。

ここで赤染衛門がセクシーポーズを指導すると、ぎこちない様子でなんとかあざといポーズをとる彰子です。

赤染衛門
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一方、倫子は、娘に花を眺めさせて、情緒教育を施そうとします。

「わあ〜きれい〜」

ぎこちない棒読みしかできない彰子です。

このあと、赤染衛門が「閨房の心得を教えた」と倫子に告げています。おとなしいようで興味はありそうだ、と確信を持っている赤染衛門。

「閨房?」と倫子は驚きます。

要するに性教育ですもんね。

困惑しながら、そんなことよりも「まず声を出して笑うところから教えて欲しい」というと、赤染衛門は閨房は声も大事だと心得た顔をします。

そうではなく普段の声だと倫子がつっこむと、赤染衛門も困り果てました。私の任ではないと口ごもります。

赤染衛門は閨房以外に知恵はないのかと苛立つ倫子。そこはもう、和泉式部あたりをスカウトするしかないでしょう。

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なんだか赤染衛門がエッチなお姉さんのような扱いですが、これもありかもしれません。

来年『べらぼう』の予習も兼ねて、閨房教育について少々触れておきたいと思います。

実は当時から春画はあったとされます。絵を見て学ぶことがあったのです。

さらに『源氏物語』は、日本伝統の性教育に関係あるといえなくもない。

どうせ絵にするのであれば、その辺の男女を描くより、王朝男女の逢瀬を描きたい。

『源氏物語』は題材として最適でした。

来年大河の予習に春画について調べると、王朝ものもすぐに見つかるかと思います。

それが浮世絵需要が高まり、江戸の庶民の目線を意識するようになると、版元も絵師も顧客も意識が変わります。

隣の家が何しているか、覗いて見たいぜ!

江戸でどういうエッチなことがされているか、地方の民だって知りたいもんだろがよ――。

と、より生々しくなってゆき、その辺のカップルの行為が描かれるようになります。

こうした春画は人気の江戸土産でもあり、地方の若夫婦が手に入れたら「真似してみんべえ」となった。

そして江戸の民は思うのです。

俺らは自分たちの文化を築いたぜ!

もう、上方の王朝文化やエッチをありがたがるこたァねェよ!

源頼朝北条政子もエロの題材に……とまぁ、春画だけの話でもないのですけれど、閨房を学べば二年分大河の知識が深められますので、おすすめです。

 

宣孝のキャリアは絶好調だ

藤原宣孝が久々にまひろを訪れました。

なんでもたくさんの役目を左大臣から仰せつかり、絶好調の様子。

これもまひろのおかげだと笑っています。

人生何が幸いするかわからん、と浮かれる宣孝に対し、顔がこわばってしまうまひろ。

石山寺のことが頭をよぎっているのでしょうか。

宣孝の土産はまたも豪勢なもので、大和の墨に、伊勢の紅でした。

どこへ行ってもまひろを思っている――そんな風に言われて、困惑気味のまひろ。

「おとなしく心を入れ替えた」と宣言すると、憎まれ口を叩かないと恐ろしいと軽薄に答える宣孝。

終始こわばっていた顔のまひろですが、深夜、墨を擦って書き物をするときは心が解き放たれているようです。

夫の寝息を聞きながら、あごを下げること、酒を飲んで寝ると息が止まることを思い出しています。

それが殿の特徴なのだと。

医学的に言いますと、睡眠時無呼吸症候群ですね。宣孝は、どうやら長生きできそうにありません。

 

まひろの懐妊

翌日、まひろは気分が悪いとこぼします。

吐き気がして、来るものも来ない。病かもしれない――そう、ぐったりしていると、いとが悟ります。

病ではなく、ご懐妊であると。

月のさわり(月経)が何度来ていないのかと尋ねられ、いとにそっと耳打ち。

それならば生まれるのは師走の頃になる。

ん?

いとは勘付きます。

その時期だと、宣孝が来なくなっていた二月頃に懐妊した計算となる。まずい状況を察したいとは「殿様には黙っておく」と告げます。

そのときはそのとき、殿と仲直りできたのだからどうにかなると励ますのです。

いやぁ、とんでもないことになってきました。

宣孝がまひろのために鮎を届けても、つわりの影響なのか、食が進まない。

顔をこわばらせたまひろは、結局、懐妊を打ち明けました。

この歳で子ができるのか!と無邪気に喜ぶ宣孝。

今年の末に産むというと、忙しくそばにいられないと宣孝は残念そうな顔になります。

「よい子を産めよ」と相変わらず喜ぶ夫を見て、「気の回るこの人が気づいていないわけがない」とまひろは決意を固めました。

気づいていてもあえて黙っている夫に、わざわざ「あなたの子でない」と言うのは無礼だ。

しかし、黙っていることも罪深い。

どこまでも呑気な夫に、まひろは深刻な顔をします。

「俺たちは夫婦だ」と言われ、ついにまひろは別れを切り出しました。

瞬間、深刻な顔になった宣孝は、夜更けにそんな話は止めるように言いますが、彼女は頑なです。

「この子は一人で育てます」

対する宣孝は、寛大そのものでした。

まひろの子はわしの子だ――そう言いきると一緒に育てよう、それでよいというのです。

「わしと育てるのは嫌なのか」とまで言い、そうではないと否定するまひろに、宣孝は、さらに念押しをします。

「おまえへの想いはそのようなことでは揺るぎはしない。何が起きようと、まひろを失うよりもよい」

そう語り、さらに慈しみ育てれば、左大臣はますます大事にするとも付け加えます。

そうです。二人が一緒になるとき、まひろは不実な女だと言っていました。

それはお互い様だとして受け入れていたという宣孝は、こういうこと(懐妊)でもあるのだから、別れるなど二度と申すなと告げるのでした。

いったい宣孝は寛大なのか、それとも狡猾なのか?

宣孝は道長の贔屓を受けていることを、ホクホク顔で語っております。

出世と引き換えに自分の妻を差し出すことの是非はどうなのか?

歴史的にいうと、この慣習が根付いていた国があります。

フランスです。

フランスでは国王が愛妾である「公式寵姫」を持つことが当然のこととしてありました。この寵姫には、未婚女性が選ばれるのは例外的で、既婚者から選ぶことが通例でした。

未婚の処女を寵愛するのはよろしくない。既婚夫人ならばよい。現在とは異なる倫理観があったのですね。

以下の記事に、その一例がございます。

モンテスパン侯
俺の妻を返せ!ルイ14世に愛妻を寝取られたモンテスパン 奇行に走る

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これは日本の江戸時代でも通じたようで、水戸藩では徳川斉昭の目につくところにいる女中は未婚者の髷を結ったそうです。

既婚者だと斉昭が手をつけてしまうのだとか。

そうはいっても、妻を捧げる夫はどうなのか? 納得できるのか?

というと、これができたんですね。

妻を国王に差し出すと、それと引き換えに昇進を得られます。むしろ妻が国王の目に留まることは幸運とされたのです。

フランス貴族は性の倫理観もゆるく、既婚者なのに愛人を作らないと「枯れているの?」と言われたほど。

そこで騒いだら無粋の極みなので、少数例外を除いては怒ることもありませんでした。

宣孝からはそんなフランス貴族のような余裕を感じさせますね。

人間の性的規範なぞ、所詮は社会システムが作り上げるものです。

科挙でも導入されていればともかく、コネと血筋で出世ルートが開けるとなれば、そのあたりは妥協できるのでしょう。

視聴者としては、まひろと道長のロマンチックな愛に酔いしれていれば気にならないのかもしれませんが。

権力者とその下半身事情で人事が決まるとは、腐敗ここに極まれりではないでしょうか。

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