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『光る君へ』感想あらすじレビュー第47回「哀しくとも」周明たちの死を映す意義

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『光る君へ』感想あらすじレビュー第47回「哀しくとも」
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摂政の母・倫子

藤原頼通が母の倫子とすれ違います。

険しい顔をしている我が子に「どうかしたのか」と声をかける彼女。頼通は、父上とぶつかったと答えます。

皆父上の顔色ばかりを伺っているけれども、父上の仰せになることが常に正しいわけでなはない。此度のことは前例のないことだから、父上だってわかっていないと頼通は反発しています。

人の命、国の守りがかかっているのに、前例云々じゃないでしょう。と、実資あたりなら反論できそうな頼通の言い草ですね。

倫子は我が子の言い分を認め、やりたいようにすればよいと励ます。

そのうえで、父上とて若いときはさまざまなことで迷っておいでだったと理解を示します。上に立つものは誰でも苦しいものだと思いやっています。

「おきばりなさい」

これは我が子への想いなのか、それとも別のことなのか。

倫子は声がさらに丸く、穏やかになってきて、菩薩の風格すら漂わせています。

ここにきて神々しいほどに美しくなりました。

常にうっすらと光を帯びていそうなほど。黒木華さんのすべてが燦々としています。

 


尽きせぬ周明への思い

まひろのいる部屋へ藤原隆家が来ます。

調子を尋ね、前よりは顔色が良くなったと励ましのような言葉。そして、ため息をつきながら腰を下ろします。

「俺もいろいろあったが、悲しくとも、辛くとも、人生は続いてゆくゆえ仕方ない」

親きょうだい。

定子が残した敦康親王

そんな大事な人たちを失ってきた彼が言うと、深く染み入る言葉です。

周明と一緒に私も死んでおればよかったのです」

まひろは頑なにそう言います。

隆家は、周明のことは忘れずともよい、ここで菩提を弔いたいなら止まってもよいと告げます。

「好きにせよ」

すると、まひろは泣き出してしまいます。

海岸に横たわる周明の姿が見えます。

敢えてここで彼の遺体を映す。この作品の矜持を感じます。

直秀やたね、そして周明のように、名もなき人が歴史のなかで命を落としてきたのだと厳粛な気持ちになる。

歴史を学ぶ意義はこの気持ちにあるのではないかと思えてきます。

 


朝廷の武力行使はどうあるべきか?

実資が道長に「敵は対馬まで追い払った、隆家も無事だ」と報告。

この「対馬まで」が重要です。

対馬を超えると高麗になってしまう。高麗にまで到達して武力行使すると、外交問題になりますので、隆家も為賢に対馬を超えないようにと釘を刺していました。

実資は隆家を買っておりますので彼を褒め称え、以前から武力が大事だと語っていたことを補足します。

しかし道長は武力に頼ってはならんと返す。

実資もそこには同意しつつも、朝廷の状況を振り返ります。

平将門の乱以降、武力を持たずに80年が経ち、こうして賊に襲われるとは先例だけではどうにもならぬ」

実資は日記をもとにした先例を出すことが得意なので、何か反省しているのでしょう。

帰ろうとする実資に、太宰府の隆家に文を出すのか?と尋ねる道長。消息を尋ねたい者がいると言いつつも、誰のことかと返されて「いやいい、よい、すまぬ」と誤魔化すしかありません。

まひろも、生きているならば文くらい託せないものでしょうか。やはりまひろは変人です。

それから二ヶ月後――隆家たちの褒賞についての陣定が行われました。

公卿たちは既に太宰府への興味など何もない様子。

若い公卿は褒賞に賛同すると、行成は時系列を整理しました。

刀伊の撃退は4月13日。朝廷が襲来を知ったのは4月17日。太宰府に敵の追討を命じたのは18日。

つまり、13日の行動は朝廷に関わりがないと言うのです。

行成の指摘に公任も同意し、朝廷の命令のない戦は前例を見ても褒賞を与えていない、放っておいてよろしいと続けます。

「何を申すか!」

猛然とこれに反対するのが実資です。

刀伊は千名もの民を連れ去り、数百の民や牛馬も殺した。壱岐守すら殺めた。重大な事件ではないか!

このままではことが起きたとき、奮戦する者がいなくなる。

都であぐらをかいていた我らが命を賭けた彼らの働きをを軽んじるなどあってはならぬ!

そう一人気を吐いております。

 

嫉妬し、苛立つ公任

実資はこのことを道長に報告し、力およばずと語ります。

褒賞は僅か一人のみだったとか……無念の極みであり、命を賭けた隆家たちに申し訳ないと悔しがっています。

そこへ公任がやってきて、入れ違いで実資は帰ってゆきます。

公任は太宰府の件を知らせに来たものの、実資と通じているのならば、俺の出番ではなかったようだと言います。

「陣定を心配していた、政に関わって以来、これほど驚いたことはない」

道長がそういうと、公任は「何も動じぬ道長が驚くのか」言いながら、実資と話していた様子に嫉妬じみたことを言い出します。実資よりも、嫉妬すべき対象はまひろかもしれませんね。

そして公任はパワーゲームの話を持ち出します。

隆家は道長の敵ではなかったのか。だからこそ陣定でもあいつをかばわなかった。「お前のために!」と強調しています。

公任もプライドが高いので、実資の理論も同意すべきところはあったのかもしれません。

だからこそ、それを否定したことがチクチクとしているのかも。

公任としては伊周のあと、道長にとって最大の政敵となりかねない隆家を庇うわけにはいかないと言います。

いっそ戦いで死んでいればよかったとまで付け加え、太宰府でこれ以上力をつけぬよう、道長のためにあいつを認めなかったと強調します。

しかし、道長には通じません。

国家の一大事の前はそんな些細なパワーゲームよりも、起きたことの重大性を考えるべきだと返します。

「何が起き、どう対処したのか。此度の公卿のありようは、あまりに緩み切っており、あきれ果てた」

にべもなく言う道長。

屈辱の極みに到達した公任。

「俺たちをそのように見ておったのか。俺たちではなく、実資殿を信じて……」

公任は話を自分なりの理論に持っていき、己の忠誠心をアピールしようとします。彼なりに完敗を噛み締めているのかもしれない。

若い頃の彼は【貞観の治】を引き、それを目指すと語っていました。

そのころの道長はノホホンとしたボンボンであり、天下国家を俯瞰しながら大きな目線を持つという点では公任が上だったでしょう。

それが今となっては、道長が些末なことにこだわると公任に呆れ果てている。

いつ、逆転されたのか?

人としての器の大きさを感じ、悔しがっていることがわかります。

ここのやりとりは『鎌倉殿の13人』最終盤における、北条義時三浦義村を思い出します。

若い頃は義村の方が義時よりはるかに頭のキレがよかった。それがいつの間にか地位において逆転している――プライドが高く、クールな男がそう歯噛みすることでしか出せない魅力があります。

蒼白い嫉妬の炎を燃やす藤原公任が爛々と輝いていますね。

公任を演じる町田啓太さんは大河においてはポスト山本耕史さん、さらに遡れば近藤正臣さん系統ではないかと私は確信しております。

このままずっと何作も大河に出て欲しいものです。

「まあまあまあまあまあ……何を揉めておるのだ」

ビリビリしている二人の間に、飄々と藤原斉信が割って入ってきました。

マイペースな彼からすれば、親友同士が痴話喧嘩をしているようにも思えますもんね。

そして綺麗な所作で優美に腰を下ろす斉信。ドラマも最終盤ともなると、皆さん所作が磨き抜かれております。

「何があっても、俺は道長の味方だから」

斉信がそういうと、道長は目を潤ませて瞬いています。

思えば斉信はずっとムードメーカー、癒される男でしたね。金田哲さんの軽やか個性が生かされた素晴らしい人物像でした。

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