光る君へ感想あらすじレビュー

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『光る君へ』感想あらすじレビュー第47回「哀しくとも」周明たちの死を映す意義

異国からの賊に襲撃され、胸に矢を受けた周明は倒れてしまいます。

「逃げろ」

微かにそう言うのが、もはや精一杯。

泣き叫び、混乱するまひろの手を乙丸が無理やり引っ張り、その場から逃げだします。

幼少のころ、口減しのために対馬の海に捨てられた周明。

運命は彼を宋人として生かし、ここまで連れてきて、その手を離したのです。彼が最期に聞いたのは、まひろの慟哭でした。

 


太宰府からのおそるべき知らせ

寛仁3年(1019年)、藤原行成藤原頼通の前にいます。

するとそこへ太宰府の飛駅にて解文が届きました。急いでそれを広げる頼通。

大きな“印”が押さえれていることが印象的です。

この中国由来の古代印章文化は廃れ、時代がかなり降って江戸時代に復帰してきます。

さらには文化を味わいたい町人にまで広まってゆきますので、来年の『べらぼう』でも篆刻には注目ですね。

解文の内容は恐るべきものでした。

刀伊が襲撃し、鉾、太刀、弓箭で応戦している。

馬牛を切って食い、老人子供を殺し、男女を船に乗せて穀物と共に去っていった。

対馬壱岐の被害人数は不明。

ただちに太閤様にも知らせねばならない!と焦る行成ですが、頼通は「父は政に関わっておらぬ」と止めます。

それでも抗弁しかける行成ですが「黙っておれ」と止められてしまうのでした。

これまた日本の宿痾を見る思いがします。

幕末の優秀な幕臣である小栗忠順は「どうにかなろう」という責任回避が幕府滅亡の一因だとしました。

それはこの時代から変わらないようでして……。そうはいっても、江戸幕府の対応の方が随分マシであることを来年の『べらぼう』から学びたいところです。

 


実資は波乱を知っていた

藤原実資はなぜそんなことを察知できたのか。

道長の元へ向かい、ことの顛末を報告しています。

「摂政(頼通)は太閤に相談しないのか」と確認する実資に対し、道長は知らせてくれたことに礼を言います。

つまり、黙っていたということですね。

実資は船が50艘ということはただの海賊ではないと推察。

劇中では『鎌倉殿の13人』の船を再利用しているので、ちょっと小さめに見えます。『平清盛』以来の大型船もあればよかったかもしれませんね。

実資がなぜ知っているのか?というと、解文だけでは黙殺される危険性を考慮して、藤原隆家が実資にも直に文を送っていたのでした。

道長が、朝廷は太宰府を見捨ててはならないと答えると、実資が一刻を争う事態だと説明します。

文の日付は7日であり、今は18日になっている。10日あまり空いたとなれば、太宰府を陥落され、海路で都を目指しているやもしれない。

そのためには山陽道、山陰道、南海道、北陸道も警護すべきであり、陣定ではかるべきだ――この実資の献策を受けて、道長は全て心得たと答えました。

実資が去ると、道長は思わず呟きます。

「はぁ……生きておれよ」

まひろの生死はどうなったのか。気になって仕方ないところでしょう。

しかし、そういう私情を前面に出さないあたり、成長を感じます。

 


危機感のない公卿たち

さて、陣定では左大臣の藤原顕光が寝てしまい、太宰府での一件は任せきりにしてあくびをしています。

若い公卿もあてになりません。皆、意見を求められても「わかりませぬ」、あるいは「須(すべから)く討つべし」と言うばかり。

行成は「朝廷は武力を使うべきではないから、祈祷をする」と最低の回答をしました。行成が太宰府にいなくて本当によかった。

公任は「太宰権帥に解決させる」という、なかなかよい答えです。兵は拙速を尊ぶ。いちいちお伺いを立てていては危険です。

俊賢は「様子を見る」という、どうしようもない答え。

斉信は「武力を振るうのはいかがなものか、しかし攻め入ってくるならば討たねばならぬ」と、これまたしょうもない答えときた。

道綱は聞くだけ無駄でしたね。「同じく」だけですから。

ノンキな音楽も流れ、絶望的な気持ちにさせられます。

すると、ようやく実資が登場!

「公卿が揃ってこそ陣定だ」と言いきると、斉信が遅れてきて何を言うのかと返します。

その上で意見を求められる実資。彼は道長に披露した都防衛案を語りました。

しかし道綱はこうだ。

「面倒だな、それ」

確かに軍事行動は面倒臭いことばかりです。

「面倒だなどとは何事か!」

実資だけが真っ当ですね。

ともあれ、陣定はこれまでだと終わらせられるのでした。実資はこれから話し合わねばならないと訴えるも、皆やる気がありません。一人憤る実資。

摂政である頼通は現実逃避中です。

「いくらなんでも都までは攻めてこないだろう?」と確認するだけ。藤原公季に聞いても、当然、わからないという返答です。

そして「様子見」ということになりました。

はぁ……そんなことでいいんですか?

『光る君へ』という作品は、なまじ『源氏物語』が有名なだけに、平安貴族といえば歌を詠んで色事ばかりしているという像を変えようとしたとされます。

結果、見えてきたのは個々人によるという姿です。

実資のように有能で多忙な者もいれば、行成のように真面目に働いても能力に偏りがある者もいるし、道綱のように全てどうしようもない者も。

一人一人の個性が見えて、歴史を考える上での解像度が高くなりました。有意義な一年間だったとしみじみと思います。

 

道長、頼通を一喝する

「一大事に何をしているのか!」

道長が頼通の尻を叩きにきました。

しかし、頼通は「私とて考えています」と答えるだけ。警護は大変だし、武者も容易には集まらない。様子を見ると言います。

「民が! 数多死んでおるのだぞ! お前はそれで平気なのか!」

ここで道長は切り札を出しました。

彼らしからぬと言いますか、実資、いや、まひろが乗り移ったように思えます。

まひろも、視聴者も、涙をこぼしたであろう周明たちの死。それが公卿たちには見えていないし想像もできない。なんとも悲しいことではないですか。

すると頼通はこうだ。

「私は摂政でございます! 父上であろうとそのようなことを言われる筋合いはございませぬ!」

そう吐き捨てて、話を打ち切ろうとします。道長も折れて、備えを固めることだけでも頼むと言い残すのでした。

ここは歴史の予言のようになっております。

頼通が頼りにするのは己の地位であり、肩書きです。

しかし、そんなものがどうでもいい相手と対峙した際、肩書きごとぶった斬られる――それが平安貴族の宿命です。

『鎌倉殿の13人』のラストと重なってきます。

あれも後鳥羽院が自らの権威を盾にして、まさか坂東武者が都まで到達するとは想定していなかった。

防衛がない都に攻め込まれたらその時点で終わります。

上皇だろうが気にしない猛犬のような坂東武者たちは御所までズカズカと乗り込み、上皇も天皇も流罪としてしまうのでした。

権威という実態のないものに頼るのは危険でしかありません。

もし本作が大河初体験という方がおられましたら、次は『鎌倉殿の13人』がおすすめです。本作で提示されたセキュリティホールが突破される様がわかります。

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