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『光る君へ』感想あらすじレビュー第47回「哀しくとも」周明たちの死を映す意義

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『光る君へ』感想あらすじレビュー第47回「哀しくとも」
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そして京へ戻る

寛仁4年(1020年)、かくして隆家、そしてまひろと乙丸は都へ戻りました。

今年の大河は衣装が素晴らしい。馬上の隆家が見にまとうのは、淡い藤色系統に見えます。

韓流や華流時代劇を見ていて目を惹くのは、中高年男性でも淡い暖色系統の衣装を身につけていることだと以前思いました。

実は東アジアの伝統では、男性でもああいう色を身につけることはあり、『麒麟がくる』の朝倉義景も淡い暖色系統の衣装です。

現代に至るまで男性の和装といえば、紺や黒系統が主流。

それは江戸幕府が倹約令を出してから変わった色彩感覚であって、『べらぼう』の時代あたりから確たるものとなります。

そうした時代以前の伝統色の素晴らしい世界が再現されていて、今年は本当に眼福の一年間でした。

大河ドラマを見る意義が衣装からも感じられる。楽しんでデザインして作り上げていることが伝わってくる繊細な世界観でもありましたね。

まひろと乙丸が懐かしの我が家へ。見慣れた顔が、よくぞ戻ったと歓迎しています。

これがまひろらしさなのですが、彼女は感情の切り替えが表情に出ていて、かつゆっくりであるとわかります。

太宰府でも京都へ戻るかどうか隆家に言われた時は、鈍い反応をしていた。それが乙丸が何度も訴えたことでじわじわと表情がやわらいでいった。

今回もそうで、都大路を行くときはまだ太宰府に未練があるのか、暗い顔でした。

それが見知った顔に出迎えられて、だんだんと表情が穏やかになってゆきます。

このあと賢子と為時から【刀伊の入寇】について聞かれてもどこか虚ろな顔。

これもわかりやすい演出ならば、この時点でまひろが涙ぐむか、なんなら泣き出してもよいのです。

しかしまひろはとことんめんどくさい性格ですので、まず周明が何者か説明しないと意味がないとすら思いかねない。でもそんな長く説明するのも面倒くさい。だからこうきた。

双寿丸に会ったわよ」

「えっ」

「平為賢様が肥前守になられるので肥前についていくと言っていたわ」

驚く賢子。双寿丸の話を聞いて彼女がどう思うかまひろは想像したのでしょうか。

ショックを受けるでしょうよ。全部語るのは面倒くさいにせよ、いろいろ説明をすっ飛ばし過ぎでしょうよ。

賢子はため息をつきました。

「私、光るおんな君となって生きようかしら」

この宣言にいとは動揺し、為時も「落ち着かぬか」と慌てている。まひろだけは平然としています。

彼女はやはり、どこかズレています。

為時は初恋に敗れて自暴自棄になった賢子を心配しているけれど、まひろはそうではない。人の心の痛みに鈍感なのか、敏感なのか。よくわからないんですよね。

きぬが野菜を刻んでいると、乙丸がそっと紅を差し出します。

太宰府で買った土産にきぬは感激し、乙丸の頬を両手で挟みます。

このために乙丸はここまで帰ってきたのですね。なんて素敵な思いでしょうか。

ある意味『源氏物語』の世界観とは異なっていて、血筋も身分もどうでもよく、お互いが思い合っている姿です。

身分が低いからこそできる「野合」の世界だと言われたらそれまでですが。そういう身分が賢子と双寿丸では異なるのだとも思いました。

 


思うままにならぬのならば、信じた道を

夜、まひろは座り、硯箱に目をやります。

そこへ賢子がきて『源氏物語』を何度も読んだと言います。

帰ってきたらどう思ったか聞かせておくれと言ったことを覚えていたのかとまひろは返します。

「人とは何なのであろうかと深く考えさせられました……母上は私の母上としてはなっていなかったけれど、あのような物語を書く才をお持ちなのは、途方もなくすばらしいことだと敬いもいたしました」

しみじみと言います。

このドラマはヒロインに対し、良妻賢母であることを一切求めておりません。清々しいほどです。まひろは人間的には凸凹しておりますから。

「されど、誰の人生も幸せではないのですね。政の頂に立っても、好きな人を手に入れても、良い時は束の間。幸せとは幻なのだと、母上の物語を読んで知りました。どうせそうなら好き勝手に生きてやろうかしらとも思って、さっき、光るおんな君と申したのです」

娘の情操教育に悪影響を及ぼしている『源氏物語』。

確かに時代が下りますと、『源氏物語』だけでなく王朝文学全体が、教育によろしくないという見方も出てきておりますね。

「よいではないの。好きにおやりなさい」

そう微笑むまひろ。

ここにも価値観の逆転があるように思えます。

太宰府にいた隆家にせよ周明にせよ、世間が思う成功する道からは外れているように思えます。

では彼らが不幸なのか?というと、そうとも思えない。

隆家は武者たちとの間に強い心の交流があり、褒賞はもらえずとも、自分の成し遂げたことに満足感はある様子でした。

周明も、ああしてまひろを救い、その嗚咽を聞きながら世を去ったことは、幸せだったのかもしれません。

 


倫子は知っている

まひろは太皇太后彰子のもとを訪れました。

旅の話、太宰府で起きたことを話して欲しいとせがむ彰子。

しかしまひろは目を泳がせ、気持ちがまとまらず、まだ話せないと拒みます。

いずれ物語にすればよい、それを読ませてもらいたと彰子はいいますが、そんな力は残っていないとまひろは返す。

硯箱を眺めつつ、自らに余力を問いかけていたのでしょうか。

彰子は呼び出したことを詫びつつ、旅の疲れを癒してから再度出仕するよう持ちかけます。

賢子ではいけないのか?とまひろが聞き返すと、越後弁は優れた女房だけれども、まだ若く相談役とまではいかないと彰子は言い、そばにいてもらいたいと訴えてきます。

「考える時を賜りたく存じます」

「それでよい、待っておる」

そう言い合う二人。これも贅沢な悩みといいますか、面倒臭さといいますか。

これが定子とききょうなら、考えるまでもなく仕えると即答できそうに思えます。

まひろのいったん消化する時間を必要とする個性は最終盤まで健在でした。今に生きていたらメッセージの返事が遅くて誤解を呼ぶタイプですね。

別に相手が嫌いなわけではなく、考える時間が必要なのです。理解されない相手からは、しばしばただの怠惰だと誤解されますが。

まひろが廊下を歩いてゆくと、道長の姿を目にします。

歳月が流れ、ましてや道長は剃髪しているにも関わらず、切ない思いが蘇るように見える。

二人の間の橋はまるでカササギの作る、織姫と彦星の間にあるもののよう。そう言えば、まひろは「カササギ語り」という物語を書いていましたね。

するとここで、北の方様、つまりは倫子がまひろを呼び出していると告げられます。

いかに見つめ合おうとも「北の方」にはなれない、まひろの運命の象徴のように思えます。

まひろが向かうと、彼岸花のように立っている倫子。

「今、あなたが初めてこの屋敷に来た日のことを思い出したわ。誰よりも聡明で、偏つぎを一人で皆取ってしまって」

倫子はそう言い出しながら笑います。

一人で取ってしまうものは偏つぎの札なのか。それとも別の何かでしょうか。まひろは若い頃の非礼を謝ります。

五節の舞でもまひろは倫子の代理を務めた。倒れたと聞いて、倫子は申し訳ないと心配だったと言います。

「それで……あなたと殿はいつからなの? 私が気づいていないとでも思っていた?」

そう微笑む倫子でした。

 

MVP:道長、実資、隆家

最終盤に【刀伊の入寇】を出した意義が今回ますますはっきりと見えてきました。

褒賞についてまで描くことで、貴族の政治がなぜ崩壊するのか、その道筋まで辿れます。

実資と隆家は、国土防衛について踏まえた上で政治的な見通しを語っています。

あの前例踏襲にこだわっていた実資が「それだけでは足りない!」とサッパリした顔で語りました。

人生も後半戦に入ってまだ伸び代がある、成長ができるとも証明しています。実にえらい。政治家としてのセンスは彼が随一に思えます。

隆家も、武士道の萌芽を感じさせます。信頼し合う人間関係の素晴らしさが彼からはあふれてきています。

政治家としての道長には、随分酷いことを言ってきたと自覚しております。

今回もまひろの安否ばかりを気にしていたらどうしようかと思っておりましたが、人命の損失を踏まえ、それを国家の一大事としてとらえています。

その器の大きさに公任は圧倒されているようにも思えました。

しかし、彼らの路線でいけば、「武者の世」到来は起こりません。

このドラマは序盤から貫かれている特徴があります。

大胆かつ抜本的な政治理念を掲げた者が失敗する姿、あるいはその予兆まで描くこと。

人間的には放埒で無茶苦茶だった花山院。

しかし政治理念としては改革を志していて、側近を刷新し、その実現を目指していました。それが彼自身の精神の不安定さをつけ込まれ、退位させられてしまいます。

その花山院を騙して退位させた道兼。

道兼も政治理念を変えたいと道長に熱く語っていました。しかし、関白になりながら急死してしまい、実現できませんでした。

道長の場合、皮肉なことに出家し、まひろと距離を置いたことで、政治家として急成長を遂げたように思えます。

まるでまひろが乗りうつったのかと思わされるほど。

陣定に出られなくなってからなぜ覚醒するのかと悔しくなってしまう。遅すぎました。

頼通は実資を頼りにするとはいえ、前例参照型といいますか、政治改革には向かわないことが今回示されております。

隆家についていえば、公任が死を願うほどですので、パワーゲームの悪影響のせいで彼の策が今後取り上げられないであろうこともわかる。

この三者の対比としては、頼通、行成、公任のトリオがいるように思えます。

その点、彼らは気の毒な描き方はされているとも感じました。

人間性やキャラクターではなく、変わろうとしないことはよろしくないとする、そんな思いがこのドラマに貫かれていると思います。

そしてここで、さらに恐ろしい対比も見えてきます。

今回、道長は頼通の政治姿勢へ失望しました。そして自分とまひろの間に生まれた賢子をじっとみつめていました。

その脳裏に、こんな問いがチラついていたらどうでしょうか。

「ああ、俺とまひろの間に生まれた子は賢いのに。まひろを妻にして俺の間に男の子が生ませていられたらなぁ。頼通よりもっと優れていたかもしれんなぁ」

残酷極まりない発想ですよね。

けれども私は、この道長ならそう思うのではないかと感じました。だからこそ頼通と、そして賢子と対面する彼を見せてきたのではないのか、と。

そこを踏まえていくと、ラストのまひろと倫子の対峙がさらにおそろしくなってきます。

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