こちらは3ページ目になります。
1ページ目から読む場合は
【『光る君へ』感想あらすじレビュー第47回「哀しくとも」】
をクリックお願いします。
お好きな項目に飛べる目次
行成と公任は文官上位を理解し、実現しようとしていた
公任が自宅で巻物に目を通していると、行成がやってきました。
「お前の字はまことに美しいのう……」
公任の『和漢朗詠集』です。
行成は「公任様のみがなしえた大仕事だ」と褒めます。
それにしても、行成筆の『和漢朗詠集』を書いた根本先生にも「お疲れ様でした」と言いたいものです。
矢部太郎さんの『光る君絵』のように、根本先生がドラマで書いた書の作品集も販売されないものでしょうか。あるいは展覧会でも開催して欲しいところです。
日本の書聖ともいえる行成を演じた渡辺大知さんもつくづくと素晴らしい配役でした。
「土スタ」で書道について語っておられましたが、天命を文字にして記すということを熱く述べておりました。まさにその通りで、小手先の技法ではなく、そうした精神性に到達したからこその名演なのだと確認できました。
公任は行成に、「何しにきたのか?」と問います。
道長とやりあったことがもう噂になっているのかと悟っているようで、「斉信のおしゃべりめ」と悔しそうにしている。
それでも公任は、なぜあんなことを言ってしまったのかと悔しそうに言います。
「それは、道長様を大切にお思いになるゆえにございましょう」
即答する行成。彼もそうですもんね。
「道長には伝わっておらぬがのう」
寂しそうにそう語る公任。すっかり恋に敗れた感があります。
さて、隆家たちへの恩賞を拒んだことですっかり悪徳貴族のように思えなくもない行成と公任。
これは【文官上位】、東アジアにある文民統制の伝統を汲んだ態度であるとはいえます。
上の命令なく勝手に軍を動かし、その功に対する恩賞を求めてくるとなると、統制が取れなくなります。現在にも通じる普遍的な現象です。
討伐対象が人間ではなく動物の話となりますが、イギリスがインドを植民地した時代、こんなことがありました。
毒蛇を捕らえてきたら、恩賞を出すと布告したのです。
するとなんと毒蛇を集めてきてまで提出するものが出てくる。安全確保どころかむしろ危険性が高まり、中止されました。
現代ならばYouTuberの私人逮捕が該当するでしょう。公権力を伴わない私的制裁に利益を見出せるようにすると、国家の秩序は崩壊するのです。
「武者の世」は、武者が朝廷を無視して武力行使するようになることで到来します。
そこを踏まえると、行成と公任には理がある。
ただし、彼らが正しいのかというと、そうとも言い切れませんし、大石静さんはじめチームもそこに疑念はあるように思えます。
東アジア伝統の【文官上位】は極端な運用をすると危険であり、中国史では明が該当します。
明代は「武」を軽んじ、明代最低の暗君とも思える正徳帝は「武宗」という諡号がつけられました。
他の王朝では「武帝」や「武宗」は肯定的になりますが、明代では否定的、軽蔑のニュアンスすら感じさせます。
功をあげた名将がかえって処罰や左遷されることも、明代の悪しき特徴といえます。
その結果、防衛を担う将・呉三桂が明に見切りをつけてしまい、王朝が滅びることとなります。
日本の平安貴族と明代は、【文官上位】体制の崩壊としては失敗例の典型に思えます。
隆家は獅子奮迅の武者たちを忘れない
太宰府では隆家が「こんなことだろうと思った」と、書状を確認しています。
褒賞のことは諦めているようです。
隆家は黒字どころかむしろ赤字で、高麗側が救援してきた民衆を受け入れも、自腹を切らねばならなかったとか。この朝廷の外交感覚の鈍感さも頭の隅にでも入れておきたい。
確かに行成や公任たちの言い分にも一理あるといえばそうです。
しかし今回の件は、高麗を巻き込んだ国際問題。そういう意識の弱さ、消極性が日本史の弱点ではないかと私は思います。
隆家はそれでも、部下たちの獅子奮迅の働きを褒め、生涯忘れないといい、武力を蓄えることを軽んじてはならないと思い知らされたと一同を励ますように語ります。
先ほどの公任とは対照的に思えます。
隆家は人生も折り返し地点を過ぎたところで、かつて相手にもされなかった自分の懸念は正しいのだと確信できました。
恩賞よりも地位よりも、自分の見識が正しかったと証明されることには充足感はあるものです。
公任は自分なりに築き上げてきたセオリーが間違っていると、よりにもよって道長に指摘されたことで、屈辱感を味わっていた。
隆家は自分の正しさを確信し、武者たちが国の守りとなれるように、朝廷に働きかけ続けるから許して欲しいと言います。
そして平為賢を肥前守に推挙することにしました。
慣れぬ船戦で先陣を務め、敵を見事に撃ち破ったことに対する、当然の褒賞だと讃えています。
実際にはここで隆家の訴えが通るわけではありませんが、それでも為賢がその武名を残したことは確か。
そんな武士の黎明期を演じたのが神尾佑さんというのは、実に素晴らしいことでした。
まひろのもとへ双寿丸がやってきます。
双寿丸は主君である平為賢について、肥前に行くそうです。
肥前で武功を立て続けるというと、武功を立てることは人を殺めることではないか?とまひろが問いかける。
「殺さなければ殺される。敵を殺すことで民を守るのが武者なのだ」
険しいまひろの顔を見て「そんな顔するな」と返す双寿丸。
早く健やかにならなければ周明も成仏できないと言うのでした。双寿丸は乙丸にも別れを告げています。
周明の菩提を弔うということは、まひろをここに留めてもいるのでしょう。
まひろを母とする賢子は聡明である
そのころ道長が、邸の中で賢子とすれ違っていました。
御簾のかかった光景が実に美しく、これが残り一回の放送なのかと思うと寂しくなってきます。
頭を下げる賢子に、道長はさりげなく藤式部から便りがあったか?と尋ねています。
まだ太宰府にいると聞かされ、安堵とまだ帰らないことへの苦さが混じったような顔になる道長。
出家してもしっかりと現世に未練が残っていますね。
そして賢子にすがるような目を向け、太皇太后様には目をかけておられるかと確認しています。
「うん」
ようやく安堵したような顔になる道長。
一体なんなのかと賢子は戸惑っているようです。
ここはある意味、道長が賢子をしっかりと見ることで何かを確認したように思えます。
当たり前だけど、この女はまひろとは違う。
女三宮が藤壺とも紫の上とも違うと確認した光源氏もこんな顔になったのでしょうか。
まひろか、まひろ以外か。越えられぬ壁があるのだと確認したように思えます。
乙丸はまひろと都に帰り、きぬに会いたい
隆家は太宰権帥の役目が終わることをまひろに告げ、共に都へ戻るか?と確認しています。
望むなら次の権帥に頼んでおくと隆家。
どうやら道長の指令は来ていないようですね。
黙ったままのまひろ。すると乙丸が突然、大声をあげるのです。
「お方様! 私はきぬに会いとうございます!」
驚き目を瞬く隆家。
まひろはそっけなくこう返します。
「ならば乙丸だけお帰りなさい」
「おお……お方様! お方様も一緒でなければ嫌でございます! あんなことのあったここにいてはなりませぬ! 帰りましょう! 帰りたい……私は帰りたい、きぬに会いたい、会いた〜い! 帰りた〜い! 帰りた〜い!」
会いたい、帰りたい……と幾度も幾度も繰り返す乙丸。
まひろも氷のような顔が思わずゆるみ、微笑んでしまいます。
乙丸が笑えるようで、いろいろ腑に落ちる場面です。
道長の代わりに乙丸が叫んでいるようでもある。
乙丸としては、ここにいては周明にまひろが囚われてしまう、なんとしても引き離したいという使命感もあったのかもしれません。
当時はまだ儒教的な敬老感覚が希薄なのか、『源氏物語』の老人はわがままで堪え性がないと否定的な記述もみられます。
そういう困ったようでチャーミングな老いを乙丸が見せているようにも思えます。
※続きは【次のページへ】をclick!