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【『どうする家康』感想あらすじレビュー第26回「ぶらり富士遊覧」】
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どうする衣装
大久保忠世の桃色がどうにも受け付けない。
『麒麟がくる』の朝倉義景が紅梅を思わせる色合いなら、こちらはスイカバー。
いかつい男(自称・色男)にピンクを着せてウケ狙いをしているんですよね?
さらに、井伊万千代の赤と黒の横縞甲冑はなんでしょう。
こちらは殺虫剤あたりのパッケージを連想させますが……はて、なんだったかな。画像の引用は避けておきましょう。
本作は、イメージ像を描くのが本当に稚拙だと思います。
『鎌倉殿の13人』の作画担当者が歌川国芳と、月岡芳年ら国芳一門の弟子一同ならば、『どうする家康』は何と言うか……“いらすとや”とワードアートを用いたチラシのようなセンスと申しましょうか。
イマジナリー信玄にしても全くダメ。それでも家康より信玄のほうがマシに見えるのはどうしたものか。
月代を剃った家康は確かに変わりました。
江戸中期以降、色好みで家を潰す豪商三代目みたいな雰囲気になりましたね。
そういう土曜時代劇の主役なら、もっと演者さんの魅力を引き出せた。
しかし、これは戦国が舞台の大河です。
信長のベストにしても、どこの古着屋で調達したのか?という出来合い。
大阪のおばちゃんコーディネートを思い出してしまいました。飴ちゃんをやたらと配りそうなファッションにしてどないするん?
このノリでひらパーが広告を作ってくれるならよしとしましょう!
どうする遺体損壊と配慮
このドラマは、遺体損壊が好きですよね。
明智光秀に、勝頼の首をいたぶるようなゲス発言をさせて、家康を持ち上げる。
そんなことをしないと家康の魅力を引き出せないということでしょうか?
光秀って、残された逸話から察するに、そういうことをしない人だったはずで、要は『麒麟がくる』の逆張りをしたいだけですよね。
本作は初めからそうでした。
今川義元の首を槍につけて投げる信長。敵兵を踏みつける鵜殿長照。なぜ、そんな下劣な感性を前面に押し出すのか?
生首を出すにせよ、兜つけたままというのがマヌケでついていけない。実際にそういうことがあっても、あえて劇中でやらない配慮ができないものでしょうか。
公暁は、殺した源実朝の首を持ち歩いていたと記録されています。
しかし『鎌倉殿の13人』では、源実朝の首のかわりに源氏に伝わる髑髏を持ち歩くようにされていました。
このドラマを批判する側は、想像力不足で「史実」にうるさい連中だというニュースが出ています。
◆「史実からかけ離れたファンタジー」なのか?繰り返される大河ドラマの史実問題…それでも『どうする家康』が“ナシ”とは言い切れない理由(→link)
記事タイトルに二度も「史実」という言葉を入れ、まるでそれだけに固執しているかのような印象。
史実にこだわる頭の固い連中が喚き散らすだけで、実は面白いドラマなんだよ、とでも誘導されていますよね。
違います。とにかくドラマとして陳腐な上に、配慮に欠けるシーンが多いから、心底受け入れられないのです。
若者や女性には受けているという誘導も好きですよね。
しかしその若者像って、平成レトロくらいで止まっていませんか?
「今の若い子はやっぱり、ドット絵絵文字が好きなんだよな〜w」
あたりで止まっているでしょう。
そういう絵文字が打てないからスマートフォンは流行しない――ドヤ顔でそう語っていた人の顔が浮かんできます。
どうする歌舞伎役者
歌舞伎役者と大河ドラマといえば、大変な事件がありました。
とはいえ、私は歌舞伎役者を大河に出すことには反対しません。むしろ安心できます。
彼らは和装所作がともかくうまい。現場にいれば、それだけ底上げがなされます。
つまり、主役級と近い位置に入る配役がよく、『鎌倉殿の13人』の坂東彌十郎さん、中村獅童さんがその好例でした。
皇族を演じることも多いですね。後鳥羽上皇の尾上松也さんや『麒麟がくる』の坂東玉三郎さんは適役だったし、両作品に出ていた片岡愛之助さんも実に素晴らしかった。
しかし、本作の茶屋四郎次郎は一体……。
存在を忘れたのかと思うほど出番が少なかった。
そして今年は他の役者の所作が甘いから、彼だけ浮いてしまう。むしろ大仰な動きを笑い物にしているようにすら見えます。
歌舞伎役者としての技量や経験より、『いだてん』のヒャーヒャー叫んでいた姿と、大河主演というブランド、製作者のリベンジ欲求枠に思えてきます。
今年は日本の伝統芸能が嫌いなんでしょうか。
人をガチャのカードみたいに扱う。そういう良識の無さも滲んできて、いたたまれない気持ちになります。
どうするアニメ
富士山へ向かう途中、小冊子を動かす、なんだかわからないアニメが入りました。
あの微笑ましいタッチは何なのでしょう。
『あまちゃん』の鉄拳さんとは違いますよ。
あれがウケるww とか思っているんだとしたら、もう絶望的にセンスがない。
中国時代劇『天意』という作品があります。SFと楚漢戦争にぶち込んだバカ時代劇であり、かなりの低予算で作られています。
ゆえに合戦シーンはアニメでカットすることが多い。
とはいえダークレッドに金色の兵士が動き回り、重々しいナレーションが重なるため、重厚感がある。
同じアニメの使い方でも、どうしてここまで差がつきますか?
どうする立ちっぱなし
所作といえば、このドラマは目下の人間が平気で尻を目上の相手に向けたり、立ちっぱなしで見下したりするんですよね。
基本ができていない。
どうする富士山
日本の霊峰・富士山が、まるで銭湯でした。
いや、銭湯には風情があるが、これはただの手抜きでは……。
富士山の前の水面がゆれていないって、あれはもう完全に絵ですよね。
どうする万千代
万千代のモテ描写が、昭和平成のレトロ感覚で辛い。
ボンクラで性格の悪さが滲み、自分のことを「おいら」と呼ぶこいつが、なぜモテるのか意味不明です。
確かに綺麗な顔をしている。静かに佇んでいればモテることでしょう。
それが、本作の味付けのせいで緊張感がなく、まるで武士らしさが感じられません。なぜか狡猾さだけはいつもあるんですよね。
といってもこれは彼一人の問題でもなく、スイカバーの精霊・大久保忠世もそうです。
天下国家に肉薄できる立場にいながら、考えることは女、モテ、女……なんてくだらない連中なのでしょう。
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