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【『どうする家康』感想あらすじレビュー第26回「ぶらり富士遊覧」】
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BBCから学べること〜天下の興亡は匹夫も責め有り
NHKと同じ公共放送として、イギリスのBBCがあります。
何やら今年は大河アンチが多い様子。
そこでNHKはBBCの態度を参考できると思いまして、こちらの記事をもってきました。
◆ニコニコ大百科 モーリス・マリーナ オーナーズクラブ(→link)
理不尽な視聴者のケチの付け方に対し、こう返したんですね。
引用します。
以下はTop Gear側の反応である。
ジェレミー「まさかそんな組織に入りたがる人間がいるとは。(略)視聴者を取り乱してはいけません。例えキ○ガイであったとしても。」
ハモンド「自分の手に脱糞とか馬鹿過ぎる。暗殺者が自分の頭ごと標的を撃つみたいな。」
と、冗談はさておき、NHKはBBCから何を見習えばよいのか?
歴史ドラマとしての出来なのか、合戦シーンの迫力なのか……と、今さらそれも無理でしょう。
BBCとNHKを比較すると、商業展開への厳密性が挙げられます。
BBC以外が販売しているものとのタイアップにはかなり厳しい。企業の宣伝にもルールがある。NHKはその点どうなのでしょうか。
前回の朝ドラ『舞いあがれ』は、脚本家が自作した短歌を、作中で天才歌人設定の人物が詠むという設定でした。
劇中の編集者は、その歌を褒めちぎる。自分の作品をこうも褒め、天才の歌は売れて売れて仕方ない、そう描くってすごいことだと思いました。
で、その歌集が今度発売されるとか。朝ドラ効果もあり、なかなか好調なんだそうですよ。
それはそれで結構なことと言ってもよいのでしょうか。
脚本家は、ドラマを使った自作自演方式で和歌を褒めるよりも、支離滅裂だった脚本をもっとまともにできなかったのかと言いたくもなりますが、話はそこでもなく。
これは宣伝に朝ドラを使っているのでは?
NHKの倫理観は?
ここ10年の朝ドラは企業宣伝のようなテーマも多く、なし崩し的になっているとは思いますが、それにしてもNHKは弛緩しきっているのでは?
もしもジャニーズへの追及を阻んでいるのは大河主演俳優への忖度ゆえにだとすれば、 NHKはいま地雷の上にいるわけです。本能寺よりこちらの方が気になります。
BBCは視聴者の目線も厳しく、時代考証で間違えようものならば、国の恥だと徹底的に叩かれます。
NHKはそういうところからして脇が甘い。そんな弛緩ぶりを許しているのは、視聴者やマスコミにも原因ありだと私は思います。
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今年の大河を手放しで褒めることは、どういう意味があるのか。
NHKを甘やかしていいのか?
と、私は考えてしまいます。
歴史知識よりも芸能界裏話が重視され、大河という国民的コンテンツをどう思っているのか。そんな報道姿勢は歴史に対する侮辱だと思ってしまいます。
公平性という点でもうひとつ疑問を。
NHKの大河ドラマと朝ドラはノベライズされることがしばしばあります。
そのノベライズ担当者が、自分が手がけたドラマを絶賛する連載を持っていることが多い。今年の大河もそうです。
ノベライズされない作品や、その担当者が連載で褒めない場合、酷評が増える傾向があります。
これは果たして公共放送としてあるべき姿なのか? 公正と言えるのか?
ステマどころかダイマ(ダイレクトマーケティング)ですよね。
◆なぜ「アナ雪2のステマ騒動」は起きたのか (→link)
渇しても盗泉の水を飲まず
渇しても盗泉の水を飲まず。陸機『猛虎行』
喉が渇いていても、「盗泉」の水ならば飲まない(=困窮しようと不義はせぬ)。
毎週この作品を絶賛する識者はいます。
その冒頭にはこうあります。
◆松本潤、『どうする家康』家康役で“憂い”の魅力発揮 思慮深さのある役で放つ輝きと説得力(→link)
「もっと驚き! もっと見応え!」と青い松本潤と紫の松本潤がNHKの新BSのCMをやっている姿は華々しい。
鮮やかなカラーシャツに白いパンツでソファに座っている姿にはスマートなセレブっぽさがある。
スマートなセレブって、一体なんなのでしょう。
定義も意味もちょっとわかりませんが、それはさておき、同じものでもこうも見え方が違うのかとしみじみ思ってしまいます。
私には、あれは犯罪隠蔽と加担を平然とする公共放送の姿勢に見える。
こちらの記事にあるように、
◆「嵐が過ぎ去るのを待つ」でいいのか ジャニーズ問題とテレビ局(→link)
テレビ局側がジャニーズ問題と癒着し、嵐が過ぎ去ることを待っているようにしか思えません。
お前らがいくら騒ごうがどうせ世間は忘れるだろ。無駄なんだからおとなしくテレビでも見てろよ。そう言われているようで腹が立つのです。
被害者の救済や犯罪の糾明よりも、忖度や保身が大事なのでしょうか。
そんな姿勢で愛だの大義だの語られたところで笑止千万。
識者曰く、主演をジャニーズにすればヒットは固いとか。
◆松潤主演NHK『どうする家康』は「シン・大河」になる? 大ヒット大河ドラマ“勝利の方程式”とは | 2023年の論点(→link)
人身御供と引き換えに手にする勝利の果実とは、そんなに甘いものでしょうか?
このようなニュースも出ています。
◆【山下達郎全コメント】「私の姿勢を忖度と解釈するなら構わない。そういう方々に私の音楽は不要でしょう」(→link)
しかし既に海外と取引のある企業は姿勢を変えました。
◆ 資生堂 キムタク“資生堂CM起用案”が性加害問題で消えた(→link)
大河もそうしないと、 NHKは未来まで燃やすことになりかねないのでは?
私にとって、今年の大河は稀に見る駄作でよかったかもしれません。流石にこの流れの中、ギルティ・プレジャーを覚えつつ、絶賛するとなったら辛い。
しかし、結局瀬名は傾城傾国の悪女です
磯さんには申し訳ありませんが、結局、瀬名が悪女という点は覆せていないと私は思います。
◆dメニューニュース:築山殿最期に1000人涙 中区で大河PV、トークショーも(→link)
トークショーでは、磯さんが瀬名について「今までは悪女として描かれることが多かったが、今回は等身大の姿を描きたかった」と解説。
悪女とする文書などは江戸時代以降に書かれたことが多いとして「事件までの展開を丁寧に考えてきた」と振り返った。
楊貴妃という日本でも有名な女性がいます。
彼女自身は天真爛漫とした性格であったものの、悪女枠に入る存在でもあります。
瀬名も楊貴妃も、呂雉や西太后のような枠ではないけれど、政治に影響を与え、家を傾けかけた。瀬名の場合、さらに嫡子まで殺す羽目になった。
これはもう悪女。傾城傾国の類なんですね。
ゆえに、以下のようなことを説得されても
◆有村架純が演じた「瀬名」の最期に涙が止まらない…大河ドラマ『どうする家康』に秘められた「裏のテーマ」(→link)
私は納得できません。
こんな話は大河の歴史を考えればすぐわかります。
第1作目は井伊直弼が主役の『花の生涯』。
原作が異例のヒットを飛ばしていました。というのも、明治維新礼賛論への見直し路線が画期的だったからです。
いちいち筆者祖母の言葉を引くまでもなく、一作目の主役を持ち出せば終わる問題です。
日本人にとって大河ドラマとは?『大河ドラマが生まれた日』から考察
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古い話を長々と持ち出さずとも、2020年『麒麟がくる』がありました。
あのドラマは、主役のオファーがあった長谷川博己さんですら、アンチヒーローとして描かれるのだろうと思ったそうです。
足利義昭役の滝藤賢一さんも、足利義昭ならば小悪党だと思っていて、台本を読んで驚いたとのこと。
あの作品で描かれた明智光秀と足利義昭の像を、薄汚くしたのが『どうする家康』の人物像です。
それに瀬名こと築山殿の再評価はすでに『おんな城主 直虎』で済んでいました。
あの作品では、家康の苦悩、妻を救うべく信長を欺くこと、悪女とされてしまった瀬名の悲劇……何もかもが綺麗にまとまっていました。
小野政次も、瀬名も、あの作品では悪評をひっくり返していたのです。
『青天を衝け』は、悪質な歴史修正的をしてまで徳川慶喜像をクリーンアップしました。
演者にあわせて歴史人物像を更新するというのは禁じ手であり、私は全く評価しませんが、それでもドラマとしての出来は今年より上です。
『鎌倉殿の13人』でも、北条政子、梶原景時、源実朝といった人物像が、最新研究をもとに上方修正されています。
北条政子を演じるとなったとき、小池栄子さんは調べると悪女とばかり出てきて驚いたそうです。
その像を上書きすることに成功したのです。
なぜ北条政子は時代によってこうも描き方が違うのか 尼将軍 評価の変遷を振り返る
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人は、自分の知らないことを長々と、肩書きの立派な相手からやられると、なんとなく「あ、そうかも……」と呑み込んでしまうものです。
さらにそれを読み解き、作者の結論を理解したのだと思うと、なんかスッキリする。
要は権威ですね。
大きな媒体で立派な肩書を持つ男性が小難しいことを言っていると、「じゃあその意見に合わせようか」となる人は一定数いるでしょう。
こちらのような記事が量産され
◆松本潤、『どうする家康』家康役で“憂い”の魅力発揮 思慮深さのある役で放つ輝きと説得力(→link)
そして、刷り込みが進んでいく。
けれど、『どうする家康』は、そうではない物語を模索している。なにかをやろうとして失敗した物語をあえて描く。傍から見たら笑われそうな、とるに足らない計画を思いついた結果、案の定、失敗してしまったという悲劇の物語なのである。でも、戦をしたくないと思うことは自由だし、間違っているわけではない。願いや思いつき、最初の芽がこれから育っていけばいいわけで、その芽を『どうする家康』は描いている。
実に嘆かわしいことです。
『真田丸』で勝てぬとわかっていながら、家康に突っ込んでいった『真田丸』とか。
井伊直親と小野政次と平穏に暮らす世界なんてほど遠く、崩れてしまったけれど、それでも顔を上げて歩いていく『おんな城主 直虎』とか。
信長と笑顔で語った「大きな国」の構想を思い出しつつ、本能寺へ光秀が向かっていく『麒麟がくる』とか。
ここ10年の作品が挑戦してきたことをまるっきり無視して、なぜ『どうする家康』ばかりを過剰に褒めるのか。
どうして今年の大河は、褒める記事がことごとく既存大河を不正確に貶める歴史修正をやらかすのか。
まるで宣伝戦略にも思えてきますが、ある意味、一貫性はありますよね。
劇中でも他の人物を貶めることで、家康や瀬名を持ち上げますもんね。
自己鍛錬を回避する卑怯な戦術ですが、それでも今作から大河を見る役者のファンは騙せるとでも考えているのでしょうか。
『どうする家康』を褒めるとなると、やたらと『花より男子』が持ち出されますよね。
10年以上も前の民放ドラマを持ち出されて「今どきの若者はこういうのが好きだから」というスタンスはもう呆れるしかありません。
あのドラマを知っているというだけで、三種の神器を手にした平家みたいに威張っているようだ。
私が幼い頃、こういう大人はいました。
「お前みたいに、本で仕入れた知識でこっちを言い負かす、こましゃくれた頭でっかちのガキよりも、芸能情報や、ご近所人妻のよろめきを知っている俺様の方が世の中の真理を知ってるんだよッ!」
冗談みたいな話ですが実体験です。そのことを思い出すんですよね。
『花より男子』といえば、小栗旬さんも出ていましたが、『鎌倉殿の13人』ではしつこく取り上げられたりしてませんよね。
完全に過去の作品になっていて、そもそも知らない視聴者も大勢いたでしょう。
この一点でも、役者の相違が明らかになってむしろ残酷……。
思いつきで褒める側と、それに乗る側にとってはどうでもよいのかもしれませんが。
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