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【鎌倉殿の13人感想あらすじレビュー第42回「夢のゆくえ」】
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政子に覚悟を促す丹後局
北条時房が兄の義時に、伊豆で隠居生活をしている時政のことを話しています。
なんでも最近は足を悪くして歩けないのだとか。見舞いの品でも持ち、あらためて覗いてこようかと思っているようです。
無言の圧力をかける義時。
「やめておきます!」
「太郎に行かせよ」
「かしこまりました」
ギスギスした兄弟のやりとりですね。そそくさと兄の盃に酒を注ぐ時房から見えてくるのは、壊れてしまった家族関係です。
仲の良かった大家族も、もはや元には戻れない。割れた器のような姿がそこにはあります。
そんな家族の長女である北条政子のもとへは、京都から珍しい人がやってきました。
丹後局です。暇を持て余し、修行と称して諸国を回っているとか。
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丹後局は政子に共感を抱いています。
大きな力を持つ方の側に仕えた似た者同士。困ったことがあるならば遠慮なくおっしゃい。
そう語られ、政子は思いのほどを搾り出します。たまに心の芯が折れそうになるときがある。
丹後局は「でしょうね」と納得。
四人の子のうち三人を亡くした。背負うものが多すぎる。弱音を吐く政子に、丹後局は頼朝と一緒になってから何年経ったか?と尋ねました。
四十年だと政子が返すと、丹後局が語気を強めて、まだそんなことを言っているのか!と突き放します。
「いい加減、覚悟を決めるのです! あの源頼朝と結ばれたというのはそういうこと。人並みの人生など望んではなりませぬ!」
「申し訳ありません」
思わず、咄嗟に謝ってしまう政子。尼御台という立場なのに、未だ権力に慣れておらず、叱咤されることをありがたがっているような謙虚さがあります。
「何のために生まれてきたのか。何のために辛い思いをするのか。いずれわかる時がきます。いずれ」
丹後局も叱咤するだけでなく励ますように語る。
確かに二人は、権力者のそばにいた女性ですが、状況はかなり異なります。
丹後局は、相手の後白河院がどんな存在であるか、最初からわかっていた。
しかし、伊豆の田舎で化粧していたころの政子は、頼朝がどうなるかなんて先のことまで理解していたとは思えません。
流人から征夷大将軍となった男なんて頼朝だけであり、そんな運命は誰だって想像できなかったことでしょう。
政子はたった一人しか味わえない、運命の転変を味わっています。
いわば特異な例ですが、それを指摘して余計に悩ませるのではなく、普遍的な悩みと聞いてあげる方がよいと思えます。
その点、丹後局は、なんだかんだで優しい。
同じ女性政治家の対決でも、後鳥羽院のそばにいる藤原兼子はもっと冷たい相手です。
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普請と言えば八田知家
義時は実朝の計画にイラ立ちを隠せません。
聖徳太子にならって宋の国に使者を派遣するなんて、余計なことをするな――そんな義時の心の内をはかるのが三浦義村。
それだけ大きな船となれば、鎌倉殿の威光となる。
権力は強まる。
しかし、その鎌倉殿のそばにいた北条泰時が、陳和卿に抱いた懸念を語り始めます。
実朝を見ていきなり泣き始めた陳和卿は、夢の話で信頼を得た。
ところが、その話の元となる実朝の夢日記は、出入りする者なら誰でも見られる。
つまりほぼインチキ……となれば、誰がそうした細工をしたのか。
陳和卿は鎌倉に着いたばかりでそんな余裕はなく、一人だけ可能な人間がいました。
源仲章です。
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その瞬間、義時は西の方、つまりは上皇が糸を引いていると察知し、船は坂東のためにはならぬ、完成させるわけにはいかぬと断言。
父の強行な姿勢を見て、今更ながら泰時も慌てていますが、知らせてくれたことに感謝する義時です。
とにかく船を完成させねばならない。
そんな思いに駆られたのでしょう、泰時は、八田知家に「陳和卿を手伝って欲しい」と申し出ます。
そいつの腕を信じてもいいのか?と尋ねる知家に、泰時はこう返す。
「普請といえば八田殿」
世話役だと理解した知家は、この一件を快諾。
確かに知家は源平合戦におらず、土木工事は得意だったのでしょう。陳和卿の描いた図面を見て興味津々、任されたら全力を尽くす――そんな素敵な個性が見えてきます。
その頃京都では、後鳥羽院がほくそ笑んでいました。
実朝が船を作っていると聞かされ、思いのほか早かったと嬉しそうだ。
造船が成功すれば実朝の価値が高まり、逆に北条の影が薄くなるとホクホク顔。
しかし兼子は不思議がっています。上皇様はなぜそんなにも北条を目の敵にするのかと。
北条ごときが将軍に指図するのが気に入らないようですが、そこで慈円がこう語ります。
「人が最も恐れるものは、最も己に似たもの……」
慈円がそう口にした瞬間、後鳥羽院が抜き払った刀をつきつけます。鼻先につきつけられ、「親譲の大事な鼻だ」と返す慈円。
確かに後鳥羽院と義時は似てきている。
自分の思い通りにならないものを強引に排除しようとするところがそっくりだ。
刀を抜いてしまう後鳥羽院は、果たして理解しているのでしょうか。似たもの同士の権力者が二人以上いれば必ずぶつかる。ぶつかったら最後は武力がある方が勝つ。
個人的武勇でしたら、後鳥羽院も有しています。
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だからこそ白刃をかざしているのでしょう。
しかし、軍勢を率いるとなれば話は別。
武力同士がぶつかる時、血筋の良さなんて全く関係ない。相手が取るに足らぬ虫ケラのような血筋でも、危険なものは危険なのです。
朝廷ばかり向いていると頼家のように
由比ヶ浜で進められている大船の造船作業。
作りかけの船を前にして、知家が陳和卿に質問しています。
船の帆に竹を使うというが大丈夫なのか。
知家からすれば、帆は筵(むしろ)で作るもの。重さで折れたりしないのか、と問いかけると陳和卿は硬い方がいい、頑丈に作ればよいと言い切ります。
こうして進められる造船作業を止めたい一心の義時は、姉の政子と対峙していました。
「わかるように話しなさい」
苛立つ政子を前にして、義時が淡々と語ります。
頼朝は西と一線を画し、鎌倉を武士の都にすることを考えていた。それなのに鎌倉殿は今、上皇様の言いなりである。
だから何だ?と政子が跳ね返すように答えると、義時は「頼朝の意志に戻す」と言い出します。
鎌倉殿は表舞台から降りてもらい、政は宿老が決める。それが実朝のためであり、このままでは敵が増えると説明する。
「あなたのような」
政子がそう言うと、義時は淡々と自分はまだいいという。
これ以上、朝廷を第一とすれば、いずれ坂東の御家人全てを敵に回すと言い切り、ついには「あのお方のようになって欲しくない」と……。
政子は悟ります。
義時の言うとおりにせねば、いずれ実朝は源頼家のようになると脅迫じみたことを念押ししてきた。
ここのやりとりは日本の歴史を考える上でも重要かもしれません。
つまり、この時点で坂東武者には天皇の威光が及んでいないと。
そんな母と叔父のやりとりなど露知らず、源実朝は泰時に向かって夢を語っています。
いずれ宋に渡りたい――。
鎌倉殿自らなのかと驚く泰時に対し、医王山に詣でてお釈迦様のお骨をいただきたいという希望も告げています。
同時に、宋へ渡るときには泰時もついてきてほしい、さらには千世も来て欲しいとのこと。
私も連れて行ってくれるのかと喜ぶ千世。海が怖いかと実朝に聞かれ、彼女はこう返します。
「とんでもない。千世はいつでも鎌倉殿のおそばにいとうございます」
この夫妻は、子はできぬさだめで、他とはちがうけれど、彼らなりの敬愛があります。
そしてこの話なのですが、ちょっと変だと思いませんか。
インド生まれのお釈迦様の骨が、どうして中国にあるのか?
日本の仏教は中国大陸を経由しておりますので、その影響が大きかった。そして中国とは行き来があるけれども、インドとなるとそれがない。
ゆえに色々曖昧になっています。
仏教を信じているけど、発祥の地はなんとなくイメージでしか掴めていないんですね。
時代がくだると、水戸の徳川斉昭がこんな考えに至ります。
「仏教って天竺のもので、そもそも日本にそぐわないのではないか?」
そして領内の寺の鐘を鋳潰して、大砲を作ってしまった。そんな水戸から思想の影響を受けた明治政府上層部は、廃仏毀釈を進めて禍根を残しています。
政子に心酔する広元よ
船の建造は止めていただきたい。御家人の間で不満が出ている。
兄・義時の意を受けたのでしょう。北条時房が神妙な面持ちで源実朝に大船建造の中止を願い出ています。
むろん実朝もそう簡単に引き下がれません。
聖徳太子を持ち出し、功徳を積むためにも船に乗って医王山に行きたいと語ります。
北条政子の意見が求められ、彼女は答える。
徳を高めるのも大事だけれども、そればかり求めていると疲れてしまわないか。ゆっくり時をかけて立派な鎌倉殿になるように……。
実朝はムッとし、結局、兄上と同じではないかと吐き捨てる。
そして船の中止を命じると、実朝の本心を慮ったのでしょう、三善康信がせめて船は作るべきだと反論。
ここで泰時が提案します。
船に御家人の名前を記すのはどうか。そうすれば鎌倉殿のためだけではなく、御家人たちと共に作り上げたことになる。
建造の中止を提言したはずの北条時房も、思わず「いい案だ」と感心してしまいます。
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康信も、どうか鎌倉殿のためにも船を建造させて欲しい、と政子に訴える。
それでも義時は冷静に、何が一番大切か鎌倉殿に考えて欲しいと言うのですが……義時にも少しおかしなところがあります。
義時は何かにつけ頼朝を持ち出します。
その頼朝は最晩年、宋との貿易をしてみたいと言っていましたが、それを忘れてしまったのか。あるいはフリをしているだけなのか。
彼の理屈は分裂しています。
あるときは頼朝のやり方を持ち出す。そうかと思えば亡くなった兄・北条宗時の言葉を持ち出し、坂東は坂東武者のものだと言い出す。
意図的に嘘をついて使い分けているのか。それともそんな天命が聞こえているのか。
終盤に突入し、義時がまるで暗い闇の淵そのものに思えてきます。何かが詰まっているようで、何もない、深くぽっかりと開いた穴のような……。
だからでしょうか。北条政子も、義時だけではなく大江広元に意見を求め、こんなアドバイスを受けています。
確かに頼朝は朝廷の干渉を拒んだけれども、時代は変わった。いま頼朝が生きていればどうなのか。
広元は、一方で義時の言うこともわかる、と立場を重んじながら結論を出します。
「あとは尼御台のお気持ちひとつ……」
「私が決めるのですか」
そんなことは決められないと政子が迷っていると、逃げられぬと広元は言います。
頼朝が世を去ってどれほど月日が流れようと、妻であったことに変わりはない。あの方の思いを引き継ぐのはあなた。逃げてはならない。
そう自分の言葉に酔ったように語る広元。政子はとうに腹を決めたはずなのに駄目だと言いつつ、皆を集めるように命じます。
「はっ」
広元の声が完全に心酔していますね。京都から来た彼は、鎌倉の坂東武者と違い、冷静で理知的な判断を常としてきました。
しかし、政子に近づくとカッと酔ったように燃え上がる。
この場面は広元の艶っぽさが頂点に達していて、抑制しつつも溢れ出てしまう興奮と情熱が、見ている者も酔わせてしまいそう。
自分で書いた物語に酔いしれているようで、今まさに理想の君主を前にして、自分も歴史という舞台に立っている――そんな興奮が感じられます。
漢籍に詳しい広元のことなので、
「尼御台が武則天なら、私は狄仁傑!(てきじんけつ・武則天の忠臣、小説および映画ディー判事シリーズも有名)」
とでも思っていそうなところです。
セクシーさというのは人それぞれで、大江広元は政子の前において「忠臣である」と噛み締めている時が、最も輝きます。
政子は、あくまで頼朝未亡人であることが重要なので、政子が自分のことなどよりずっと実朝を気にかけていることが当たり前で、むしろときめくところ。
そんな政子が自分に頼ってくることが、ともかくうれしい。
栗原英雄さんが流石の演技です。
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