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【鎌倉殿の13人感想あらすじレビュー第42回「夢のゆくえ」】
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知家最後の仕事
かくして続行された大船の建造は、予定通り4月にできると知家が報告しています。
船が完成したら、丸太のコロにのせ、皆で海まで引っ張るのだとか。
実は知家にとっては、この造船が最後の仕事になるそうです。
あとは隠居する予定とのこと。
康信が「まだ若い」と引き留めますが、若く見えるがあんたと同世代だと返し、最後にやりがいのある仕事に出会えたと満足しています。この船が完成すれば思い残すことはないと。
そうです。八田知家は三善康信と同年代なんですね。奇跡の若作りで、いつ引退するのだろうかとは思っていました。
そんな驚きの若さは横に置いて、結局、知家のセクシーさとは何だったのか?という点を考えたい。
胸筋?
確かにそれも一つかもしれませんが、もっと別のことです。
大江広元は、政子に対する忠臣であることに酔いしれるとセクシー。
知家の場合、チャレンジすること、奮起して頑張るところがセクシー。
知家は時代の変わり目に生きた。自分の親世代はやらなかったようなことをどんどんやる羽目になる。
それを嫌がるのではなくて、前向きに取り組んでいくところが若さになり、セクシーさになったと思えてきます。
宋の技術者から学ぶなんて、もう俺も歳だと諦めていたらできない。そこで、新たに学び、チャレンジしていく姿勢が素敵なんですね。
演じる市原隼人さんにとってもそうなんじゃないかと思えます。
時代劇で鎌倉時代。
八田知家を一から作ることそのものが挑戦なれど、それを楽しんだことが魅力になったのではないでしょうか。
しかし……。
建保5年(1217年)4月17日――ついに完成した大船。
海へ出そう、と由比ヶ浜の砂の上を転がしていくはずが、途中で止まってしまいます。
何がどうしたのか?
設計図を見て、値が違う!と嘆く陳和卿。
実は夜陰に乗じて北条時房とトウが造船の作業現場へ忍び込み、設計図に細工を施していました。
数値を書き換え、当初の計算より重くなるように設定したのでしょう。
船が動かず、知家も、康信も、必死になって引っ張ります。
しかし、ついにはコロが折れてしまい、船は浜に沈むばかり。
なぜか三浦義村も引っ張っていたようですが、午の刻から申の刻まで船を引くも、結局、出航は叶いませんでした。
重さの勘定を間違ったかと冷たく言い放つ義時。
唖然とする実朝に、政子は優しく寄り添います。
その後、船は浜辺で朽ち果てた姿を晒し続けたという――。
なんと哀しいナレーションでしょうか。
実朝の独りよがりに終わってしまった……と虚しさが心に広がりますが、しかし、無駄になっただけではないとも思いたい。
船に名を刻み、共に引っ張った御家人の心には何かが残った。
そしてこの後、日宋貿易が実現したとき、彼らは実朝の正しさを実感するでしょう。
食卓に並ぶ磁器。猫。香木。仏典。書籍。
海を越えてやってきた物に囲まれつつ彼らがこの船を思い出すのならば、意味がなかったわけでもないのです。
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実朝の大御所宣言
政子が実朝を励ましています。
船の失敗ぐらいで挫けてどうするのか。やるならとことんやれ。
それでも自信を喪失し、御家人たちを跳ね返す力がないと嘆く実朝に、政子は言います。
「母は考えました。あなたが鎌倉の揺るぎない主となる手を」
いったい母の策とは?
北条義時や政子などを集めた実朝は、おもむろに宣言をします。
家督を譲る。鎌倉殿をやめて大御所となる――。
子ができたのか?と早合点する実衣を前にして、よい機会だからと実朝は自身の事情を説明します。
この先、子ができることはない、全ては私のせいだ。
あからさまに狼狽し、諦めないようにとせっつく実衣ですが、実朝は淡々と、外から養子を取ると宣言します。
朝廷に連なる高貴な血筋のお方を迎えるといい、上皇様にお願いするとのこと。
実衣はありえないと即座に否定。義時も、鎌倉殿は源氏からだと引きませんが、実朝も文書は残っていないと切り返す。
そして源仲章が話を進めることに……。
義時はなおも、鎌倉殿とは武士の頂に立つものだと言いますが、実朝も負けてはおらず、その鎌倉殿を大御所として支えていくと気丈な答え。
理路整然と進んでいく問答に対し、ついには義時も「どなたの言い出したことかわからぬが一人で決めてしまうとは」と実朝一人の考えでないことを見抜いています。
ここで政子がダメ押しの言葉。
「鎌倉殿の好きなようにやらせましょう」
「尼御台……」
義時も政子の策と気づいたのでしょう。
すぐに取り掛かるよう促す政子に対し、北条はどうなるのかと義時が詰め寄ります。鎌倉殿と北条が並んできた体制をこれからも維持すべきだと主張するのです。
しかし政子も最初から理論武装していたのか。力強く弟に言い返します。
「鎌倉あっての北条! 北条あっての鎌倉ではない!」
かつて自身が放った言葉を引き出され、返す理屈を失いつつある義時。政子、泰時、実朝と、的確に急所を突いてきます。
泰時に「鎌倉は、父上一人のものではない!」と言われ、義時は「黙れ!」と語気を荒くするほか術がありません。
「都のやんごとなき貴族から養子を取る。実現すればこれ以上のことはございません」
そう語る政子に、実朝は「ありがとうございます」と満面の笑みを浮かべ、一方で苦い顔しかできない義時。猛獣が唸り声をあげる前のような迫力があります。
最終章になってから義時が人間に見えない。伊豆にいたころのお兄ちゃんはもういない。
義盛が嘆いたように、木簡をつぶさに眺めていた彼はどこへ行ってしまったんだ?
彼の器に黒い運命が流れ込んで蠢いているようで、人ではない何かに操られているようにすら思えてくる。まるで無慈悲な運命の操り人形だ。
どすどすと義時が廊下を歩いてゆくと、源仲章が「鎌倉殿の望み通りにしかるべき人を見つける」煽るように言います。
時房が「腹の立つ顔だ!」としか言えない。
生田斗真さんもいいですよね。
言うまでもなくイケメンで、散々美貌を褒められてきたと思う。
でも、この歳になると、ムカつくとか腹が立つとか敢えて言われてみたい、そんな新境地を求める気持ちもあるのではないでしょうか。
俳優としての幅がより広がると言いましょうか。
そういう嫌な奴を楽しんで生きているのが伝わってきて、毒を持つ源仲章から目が離せない。
そして6年ぶりに公暁が鎌倉へ戻ってきました。
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鎌倉が揺れ始める――。
政子は愛情が深い女性です。
我が子のために鎌倉殿に養子を迎えると言い出した。
そうすることで北条の血と鎌倉殿を切りわける効果があるが、一方でそれは孫である公暁を追い詰めてしまう。
政子がそのことに気づいた時は手遅れなのでしょう。
時政、最後まで何なんだよ
北条泰時が伊豆へやってきました。
訪問先は、北条時政の館。
うつらうつらと眠っている老僧に、声をかけます。
「太郎です」
「こりゃ驚いた、よう来たなあ!」
足を痛めて歩くのに一苦労とのことですが、元気そうな時政。泰時は、義時から見舞いを言付かってきたと語りかけます。
なんでも、りくは京都へ戻ったとか。
時政は、ここの暮らしな似合わねえと理解を示しています。
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祖父の顔が穏やかになったと泰時も嬉しそう。政から離れて久しいけど、今が一番幸せな気がするとのことで。
「力を持つってのはしんどいなぁ」
そうしみじみと語る時政に向かって、泰時の見知らぬ女性が寄ってきました。
「何よ、じいさん、全くあってないじゃない!」
サツキという女性に対し、孫が様子を見に来たと時政が説明しています。なんでも、頼んだわけじゃねえが面倒見てくれてるんだってよ。
「よく言うわよ!」
「はぁ〜、なんだろうな。昔っから女子には苦労してねえんだよな」
おいおい、何を言ってんだ爺さん!
女子のせいで苦労って、りくの時さんざん……いや、むしろ、りくのせいで苦労したのは時政周囲の連中か。
情けねえところを見られちまったとデレデレしている時政は、確かに女子相手に苦労したかけらもない。どこかズレていて、キノコキノコとうるさい義時とはまるで違います。
しかし時政よ……畠山重忠を筆頭に大勢の御家人たちを地獄に叩き落としておいて、こんな理想の老後って、一体何様のつもりなのか。
滅法かわいらしいので、思わず微笑んでしまいそうになりますが、心の底からどす黒い思いがフツフツと湧き上がってくる。
歴史上、残酷なことをした連中は、意外と穏やかな最期を迎えているという、そんな統計を見たときの気分を思い出します。
結局、時政は追放から十年生きたってよ。
享年78。
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こうなったら、義時だけでも地獄に堕ちてもらわないと怒りの持っていきようがない。
凄絶な最終回に期待するしかないでしょう。
そのためには、のえに頑張ってもらわないとな。
こんなに酷い結末を迎えて欲しいと願う大河主人公、今までいません。なんて斬新なんだ。
MVP:八田知家と大江広元
自分が一番輝ける場面は、好きなことをしているとき――そんな生き方を見た気がします。
知家は新しいものに挑んでいるとき。
彼は普請名人と言われる通り、特技が土木工事でした。戦ではそこまで活躍していない。
頼朝の火葬計画とか、道路工事とか、今回の船とか。
生粋の土木作業マイスターなのに存在感がある。武士の世の中を描いた作品で、これは凄い偉業でしょう。
亀のときも感じたのですが、人生を謳歌している人は、それだけで魅力的でセクシーなものです。
全く人生を楽しんでいない義時に対し、知家はいつでも全力で謳歌している。
彼は鎌倉時代の坂東武者でもあるのだけれども、一方で現代の由比ヶ浜でも見られそう。サーフィンを楽しんでいても違和感がない。そういう普遍的な人生の達人だと思いました。
大江広元は、そんな知家とは違い、抑制的な仕事人です。
楽しむことは二の次でストイック。
そんな広元も、理想の主君である政子の前では酔っぱらいます。
自分が描いたシナリオにくらくらきて、理想の主君に忠誠を誓う自分が好きですきでたまらなくなっている。
そこが素敵です。
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