麒麟がくる感想あらすじ

麒麟がくる第15回 感想あらすじ視聴率「道三、わが父に非(あら)ず」

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麒麟がくる第15回
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無我夢中で生きるしかなかろう

父子対決の定番ともなれば、父が実権をすんなりと譲り渡さないことが原因とされます。

けれども、道三はきっぱりと譲っています。そのうえで道筋なぞ必要あるかと言い切る。

「わしは己が正しい道の上を歩いてきたなどとは微塵も思わぬ。戦も、勝ったり負けたり……」

無我夢中で生きてきた。高政もそうすればよい。そう突き放すのです。

その上で、こう言い切る。

力があれば、生き延びる。非力であれば、討ち果たされる。

わしの力でどうにもできぬ。帰蝶も孫四郎もそう。

わしはいずれ消えてなくなる。それも今日か明日かの違い。

「美濃と尾張の盟約をどうするか。明日考えることか、今日考えることか。それだけの違いじゃ」

なに現実逃避してんの? 一瞬、そう突っ込みたくなりますが、同時に真理であると思った。

柔軟性が大事です。今日は正しくとも、明日は状況が違うことはありえる。そのとき、いかに軽やかに方針転換できるか。そこが大事。そしてこうも言います。

「帰蝶には伝えた。信長が武運拙く彦五郎に負けるくらいなら、身ひとつでさっさと帰って参れ。高政は食い扶持くらいよこすであろうとな。しかし、わしはあの信長という男はやすやすとは負けぬと思う……」

まあ、道三は結構無茶苦茶なことを言っているとは思う。

我が子をもっと心配しろよ! そう突っ込みたくはなりませんかね。

道三は男性で、父親で、かつ乱世の人物だから、そういうものかと流されるかもしれない。

これが女性で、母親で、平和な時代の人物が、同じ思考ルーティンを取るとどんだけボコボコにされるか。そこは証明されています。何の誰かって、前期朝の連続テレビ小説『スカーレット』のヒロイン・喜美子のことですけれども。

彼女は陶芸の道を選んだ我が子に、自分の名声を使わせようとはしない。距離を置こうとする。彼の病気を救うためには尽力するものの、職業人としては甘やかさなかったものです。

道三にせよ、喜美子にせよ。親子だろうと、別人格なら仕方ないと突き放すところはあるのです。

そして光秀には、こう言うだけなのです。

「高政とうまくやれ。孫四郎はきつく叱っておく。行け」

光秀は道三に鉄砲を渡されて、問題解決していないことに愕然としています。そしてこう聞きます。

「殿は何故今、家督を譲ろうと思われたのですか?」

「……そのような大事な話、ただでは話せぬわ」

これも道三の、ケチと認識されているがゆえのはぐらかしではあります。

視聴者側は、深芳野の遺体を抱きしめて茫然とする彼の姿を見たわけです。そこには愛に向き合った決断があったのです。

光秀は結局、何も解決しないことに苛立ちます。

思わず鉄砲持ち上げ、投げつけようとして、踏みとどまるのです。

 


守護・斯波氏を丁重に出迎える信長の演技よ

そのころ、尾張・清須城では異変が起きました。

守護の斯波義統が、織田彦五郎の家老・坂井大膳によって暗殺されたのです。

逃げ惑うところ、生々しい暗殺。本作の殺陣は伝統と革新の融合性があります。

時代劇らしい所作を残しつつ、生々しさがある。『柳生一族の陰謀』といい、本作といい、殺陣は毎度眼福であり、安堵させられております。殺陣ができる人全員を『MAGI』に引っこ抜かれたのかと、ここのところ悩んでいたものでした。

今時の若いものはダメだなんてことはないわけです。これは作り手だけの責任でもなくて、見る側の責任もあるのかも。殺陣、殺陣、殺陣……そういう時代劇需要は大事だッ!!

そんないい殺陣でさっくりと斯波義統は討ち取られまして。その子・斯波義銀が信長の元へ逃げこみます。

信長はここで、きっちりと義銀を出迎えます。

父上のご無念を思えば胸が潰れそうだと、保護することをきっちりきっぱりと言い切る。仇討ちに手を貸して、清須に先陣を切ってご覧に入れますと宣言するのです。

ここが本当に染谷将太さんのおそろしいところだとは思えるのですけれども。

こうして出迎える信長は、ちゃんと礼儀作法ができているわけじゃないですか。うつけには見えない。

でも……一本調子というか、心がこもっていないというか、仰々しいというか。マニュアルで暗記して対応していて、感情がこもっていないように思えるのです。

父・信秀相手の時のように感情が昂っていない。義父・道三との会見のように、会話を楽しんでいる雰囲気でもない。そこを演じ分けるのだから、本当に凄いと思えるんですよね。

大きく打てば大きく響き、それなりに打てばそれなりに響く。そういう精妙な演技に毎週驚かされるのです。

 


「打つ」と「討つ」

織田信光が、そんな信長の正室・機長の元へ世間話でもするかのように来ています。

帰蝶は、義銀は殿と魚釣りに出かけているといいます。気持ちはトーンダウンしたようです。

信光と帰蝶は、完全に腹の探り合いになってゆく。

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信光は、義銀のヒートアップ度合いを探っています。本当に魚を釣っているかどうかはわからない。ただ、帰蝶がそう見せたいと思わせたいとはわかった。

清須攻めをどうするのか? 叔父上(信光/信秀の弟)の軍勢と合わせても、攻め切れるかどうかわからない。

ここで信光も、大いに迷うておると言います。

「まあ! 百戦錬磨の叔父上もお迷いに……」

帰蝶は団子を前にしてそう言い切る。

この団子は、京都で駒と伊呂波太夫が食べたものよりしっかりとしています。尾張マネーの力だ!

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だんだんと、信光は迷ってきます。そのうえで彦五郎から囲碁を打つ誘いがあると語るのです。

かつて彦五郎の父と打っていた。懐かしむためだろうと言います。

距離を詰めてくる帰蝶。

「よいお話ではありませんか。うちにお行きになればよろしいかと……碁を」

これはダブルミーニングで「打つ」と「討つ」をひっかけているとは思えるわけです。

信光は、信長殿がわしを疑わぬか?と聞いてきます。

「団子の蜜が……」

団子の蜜が垂れることに気付かぬほど、気の迷いがあることを帰蝶は見抜きます。信光は、彦五郎の心情を推察して語るのです。斯波義統を討ったものの、義銀を信長に押さえられて焦っているのだと。

そうそう、討つのであればその後継者ごと始末しておきたい。これは本作最終回まで重要になってくる点です。

「こちらも手詰まりでございました。あちらから誘いがあるのは好都合ではありませぬか。叔父上が心変わりなさるとは誰も思いませぬ。お迷いになられず、お行きになればよい」

行けばよろず片が付く。そう言いながら、二人は団子を食べるのです。

「……美味じゃ」

さて、美味であるのは団子だけでしょうか。

小道具の使い方、セリフ回し。お見事です。流し見ができない境地に至りました。

役者がよいとか。題材が面白いとか。そういうことはわかるのですが、脚本と演出の質がともかく高いのが今年の大河です。この一点だけでも、この作品は他の大河との比較が難しく、あまり意味がないとは思えるのです。

2016年と2017年は、改革を考えた助走として比較はできる。それ以外は、そもそもセオリーが違うので、比較する意味がないと思えるのです。2020年代には、2020年代の大河が必要なのです。

 

ゲーム感覚でサラリとやらかす

清須城では碁盤を挟んで織田彦五郎と織田信光が向き合います。

そして不意を突き、生々しい殺陣で彦五郎が暗殺されてしまう。彦五郎もずいぶん油断したとは思います。思いあがる要素があったのか? そこが気になるところです。

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城の主を失った清須城の崩壊は早い。

信長はやすやすと城を乗っ取り、碁石を手にして満足げな顔をしております。

さて、帰蝶の描き方がここのポイントではあります。

今週の帰蝶は、かなり策略を練っています。夫を救うにせよ、今回はなかなかえげつないものはあった。

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でも、それを痛快なゲームとして描いているところが新しいとは思います。川口春奈さんで正解だとも思える。

これは染谷さんもそうなのですが、毒々しい役者よりも、むしろこういう無邪気で愛らしい顔もできる人物の方がふさわしいとは思えるのです。道三も、出家後子どもらしさが出てきていて、本木雅弘さんが圧倒的でもあるのですが。

わざとらしく毒々しい悪女ではなく、ゲーム感覚でサラリと何かをやらかす。そういう女性像。強烈な自我がある女性像。

アンチもつきやすいとは思いますが、嫌われてこそ帰蝶だという個性はあります。2020年代にふさわしいヒロイン像として、これからも描かれてゆくことを願うばかりです。

といっても、別に帰蝶が信長を天下人に導くわけでもないとは思います。

帰蝶はのびのびと振る舞ってはおりますが、これは信長が制限していないからこそではある。

「おなごは黙っておれ! 口出しするな!」

そう怒鳴りつけて威張っている信長ならば、こうはならない。共に歩む選択をした二人だからこそ、こうなるのですね。

信長は家督を継ぎ、斯波義銀を擁して大義名分を得ました。母からの承認は得られなかったものの、帰蝶は彼を認めてくれている。

充実して、これから強くなる一方。そんな条件が揃ってきたのです。

美濃と尾張が対照的になってゆきます。

 


高政の心の傷に塩を塗り込む稲葉の嫌らしさ

信長のこの進撃は、周辺諸国に衝撃を与えます。岩倉城以外、ほぼ尾張を掌中に納めたのです。

稲葉山城では、高政が稲葉良通を前にして苛立っております。

道三がわしの目に狂いはなかったと自慢している、まるで我が子のように喜んでいると。孫四郎は、高政に代わってと称し、帰蝶に馬まで贈った。孫四郎は尾張の後押しで、この城の主になろうとしていると焚きつけます。

本作で一番苦手な人物が、この稲葉良通のような気がしてきました。

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彼は高政の劣等感を刺激している。「我が子のように」とわざわざ言って、心の傷に塩を塗り込んでいるわけです。

塗り込まれる高政は、自我がないからそういうことになるとは思うのですけれども。焚きつけねば、我が身が危ういから仕方ないとはいえ、どうにも好きになれない。そこまでいやらしい演技をする村田雄浩さんは本当に素晴らしい。

高政は動揺します。

「馬鹿な! 父上はわしに家督を譲ったのじゃ!」

そう高政が言っても、稲葉は執拗です。

国衆の中には、孫四郎は正室の子、高政は側室の子だとはっきり申す者もいると言うのです。

「よろしいか。家督なぞ、道三様の腹ひとつでどうにでもなる。尾張がこうなった以上、孫四郎様から目を離せませぬぞ」

 

憎悪がたぎって冷静に認知できない

視聴者からすれば、道三はむしろキッパリと家督を譲っているとわかるのです。

高政らにはそれが通じない。

これも伏線があったし、父子の性格の差があるのです。

信長はうつけだと、噂を聞いた高政は言った。

それに対して道三は、自分で確かめたのかと言った。そして自分はこの目で見てきたと言う。

もしも、高政がここで道三の元に向かっていたら。せめて光秀に話を聞いていたら。そもそも道三が、我が子に対して心を見せていたら。

これまた尾張と美濃の違いですが、信長も父・信秀に不安感を募らせていました。そこで帰蝶が自らの機転で、信秀の気持ちを聞いて、信長に伝えたのです。

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この違いは何か?
コミニケーションエラーですね。

高政が狂ってしまったとも、愚かであるとも思えない。道三が極悪非道ともいえない。

信長はいい子ちゃんじゃないし。信秀が素晴らしいパパだとも思えない。

けれども、誤解を解消できなかったか、できたのか。そこの違いはあるのです。

本作は流し見ができない。あきらかに、難易度が高い。

道三が我が子をコケにして仕切るとか、そういうわかりやすい対立ではない。もっと細かいヒビが割れていくような怖さがある。

これまた前期朝ドラを持ち出しますが、『スカーレット』は主人公夫妻の離婚原因がまさしく人間関係のすれ違いでして。これが「わかりにくい!」と散々叩かれたものです。

最近のNHKには「人間関係の齟齬がもたらす悲劇」を追求したい流れが、セオリーがあるのでしょう。

ここで高政が城から下を見下ろすと、道三と孫四郎の姿がありました。

「これこれ孫四郎! 何をしておる早く来い! ははははは!」

「父上、お待ちくだされ」

孫四郎はここで、兄を見上げるのでした。

ここも高政目線だと、腹立たしく思えるのですけれども。

道三は家督を譲って隠居生活を楽しんでいるだけかもしれないし、孫四郎はただなんとなく見上げただけかもしれないわけです。

けれども、高政の胸には憎悪がたぎっています。

あんなふうに父に甘えられたことはない。かわいいと思われていたかもわからない。それなのに孫四郎は……。

今、高政は地獄にいます。

 


今川家でも対応に大わらわ

駿府では、太原雪斎が清須の織田彦五郎が討たれ、信長が清須城に入ったたことに焦っています。

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彦五郎がああも油断しきっていたのは、今川義元斎藤高政との同盟あればのことなのでしょう。慢心が生じ、そこをつけ込まれた。

そこにいるのは、治療にやって来た東庵と駒でした。

東庵は、薬草の鴨子芹を差し上げようとしたのにと忘れたとぼやいています。そこで駒が買いに行くのです。

雪斎は、明日の歌会は取りやめると殿に伝えるよう指示を出しています。事件があればこういうイベント中止は当然のことです。信長が膨れ上がり、一気に三河に雪崩れ込むことを警戒しています。

東庵はこう言います。

「あの、急なご事情がおありのようでしたら、今日の療治は……」

「いつもの療治を」

「はっ」

「それでは鴨子芹を……」

雪斎は敢えていつもの日常を送ろうとする。

かえってその方が落ち着くのか、考えを張り巡らせられるのか、動揺を悟られたくないのか。さあ、どうなのでしょう。

それにしても、東庵は重要人物になりました。彼は権力と共に移動している。今後、尾張で信長の治療をしても何ら不思議はないのです。

雪斎は苦々しげに、世情の噂ほどあてにならぬものはないと言い切ります。

織田信秀の倅は大うつけと言われておったが、そのうつけが尾張をほぼ掌中におさめようとしておる。由々しきことじゃ」

「ほう。左様でございますか」

さりげない会話ではあるのですが、重要だと思われます。

美濃の高政は、割とすんなり「うつけの噂」を信じている。そして父の道三とは違い、今日のことは今日、明日のことは明日と柔軟に考えられない。

噂を信じて失敗した基本計画を押し通そうとして、限界にぶつかってしまう。そういう失敗が見えて来ました。

高政が信長の清須入りを知り、ゲームのルールが変わったとあっさり接近できれば、この先の展開は違うはずなのです。

このドラマは、もちろんただのドラマではあるのですが、そうとも言い切れない何かがある。

破滅する人間には、古今東西通じる、危険な何かがある。それがどういうものかを考察することは、無駄にはならないでしょう。
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