麒麟がくる総集編

絵・小久ヒロ

麒麟がくる感想あらすじ

麒麟がくる総集編 感想あらすじ視聴率「仁義礼智信」

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【義】筋を通す、ぶれずに通すこと

義とは? 私利私欲よりも、社会全体をよりよくする。そのためには自分はどうすべきか、正しい道を考えること。

大河ドラマの感想を見ていると、一種のアレルギー的な反応があります。

「嫌でございますぅー」

「愛のために! 義のために!」

そんなふうに揶揄される。ええかっこしいをする主人公周辺はバカにされて当然だ。そんな空気があります。

敵対勢力を狡猾に描き、主人公が撫で斬りしてもそれが正しいと演出する――こういう大河ドラマの悪癖は、何も悪名高い2009年『天地人』だけのことでもありません。

往年の名作扱いをされている1987年『独眼竜政宗』でも、ダブルスタンダードが酷いものでした。

伊達政宗のなで斬りは綺麗な殺戮、最上義光の謀殺は汚い策略ですと? そりゃないでしょう。

ただ、戦や殺戮を避けることを、どうして批判されなければならないのかという疑念は湧いてきます。

人を殺すくらいどうだっていい。それが戦国時代だ。

そう言い切るとすれば、それはそれで現実逃避ではありませんか。

乱を好み、禍を楽しむ姿勢とは、むしろ悪いことではないでしょうか?

むしろ戦争の悲惨さを知らないゆえの甘えのようにも思えます。

2013年『八重の桜』では、会津戦争の描写が生々しすぎて見ていられないという感想もありました。生々しい犠牲は避けて、安心安全でスカッとできる戦争をみせるのだとすれば、それは不誠実極まりない。

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本作は、そこへ誠実に向き合ってきました。

道三らの暗殺だけでなく、女性や子どもが殺される生々しい場面がある。

しかも、それが主人公が仕える側の人間が行う。光秀自身も殺戮に関わった。戦に苦痛を感じているものの、戦わねばならない時もあるとしみじみと語る。

戦とは何か?

それと向き合うとはどういうことか?

そこまで丁寧に描いてきました。

主人公のする殺戮はよい。敵がするものは汚い。そういう甘えや妥協は一切なく、誠実な姿勢がそこにはあり、その上で殺戮を引き起こしたと責められても受け止めていたのです。

そういう描き方をするからには【義】の再定義も求められます。

光秀が掲げる義とは? タイトルから明確にされています。

麒麟がくる世にすること――光秀はそう目標を設定し、主君を替えてでもそのことを模索し続けます。

そのことをハセヒロさんは理解していました。

◆長谷川博己、『麒麟がくる』明智光秀役の約18カ月を振り返る 「一生の宝物になりました」(→link

上記の記事にこんな一節があります。

明智光秀は、孔子の言う「義」の人であったと思います。

それは光秀を演じる上で、最後まで一貫して崩してはならないと思っておりました。

世のため、民のため、平らかな世を目指し貫き通した男だと思います。

この通りだと思います。

そして光秀の言動は、かなり丁寧にそれを説明していました。

『麒麟がくる』での明智十兵衛光秀は、ズレた善意と人徳が『鬼滅の刃』の主人公・竈門炭治郎とも似ています。

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2020年代の幕開けに「人徳」が重視されるヒーローが現れた――これは偶然ではなく、必然ではないか。

にも関わらず、ネット上には批判的な意見が踊ったものです。

「ゆるふわで何を考えているのかわからない」

「この光秀は何がしたいのか理解できない」

そういう声に私は驚きながら、実は納得できるところもありました。本作に立ち塞がる大きな壁があったからです。

視聴者の儒教知識が低下していることです。

このことは非常にまずいのではないか?

日本人の思考という道具箱から、漢籍知識というツールがなくなってしまったのでは?

と、おそろしいものすら覚えたのです。

『麒麟がくる』の鑑賞中に『FACTFULNESS 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣』(→amazon)という本を読みました。

そこには「なんでもかんでもひとつの専門知識だけで切り抜けようとしても無理である」と記されておりました。

なんでもかんでもハンマーだけで修理しようと思っても、むしろぶち壊すだけだからやめましょうね、ということを指摘しています。

常々思うところではありました。

学者、研究者、成功したビジネスパーソン。いわゆる「賢い」という肩書きのある人物が、テレビやSNSで専門外のどこかおかしなことを語っている。それが拡散されていく。

そのシステムは見抜かねばならないのに、どうすればよいか(ハロー効果という定義はあります)?

というと、このハンマーの話を使えば、きっちり説明できるわけです。

なぜ大河のことでハンマー話をしているのか?

『麒麟がくる』は、道具箱にハンマーしか入ってないと読解力が悪化する、ちょうどよいサンプルだと思えたのです。

タイトルの時点で、本作の背景には儒教があるとわかります。作中でも、何度も漢籍、漢詩が出てきた。

けれども【漢籍】【東洋思想】【儒教】【東洋医学】のネジを外すドライバーがないと解けはしない。そもそも麒麟が何か?と問われたら、むしろ明瞭に出現しない方が正解でしょう。

それでも「結局、麒麟はどこにいるんだ!」論争がやまないのは、儒教があると理解できないから。

日本人の漢籍や中国史由来の知識低下は指摘されることです。

1989年の天安門事件を契機に、中国離れが進み、さらに中韓蔑視と嫌悪が軽やかなトレンドとなった感もあり、現代の30代以上はカジュアルに中国蔑視、漢籍軽視の傾向が根付いたと感じます。

日本史には不可欠である「漢文」の不要論すら定期的に出てきます。

先行者ロボットやらチャイナボカンシリーズでケラケラ笑っていれば、そりゃあ漢籍で学ぶ知識なんて軽視するようになっても仕方ないでしょう。

しかし、2020年代ともなれば、それは非常に危険でもったいないことです。

中国はどんどん発展してゆく。となれば東西をつなぐ知識の担い手として、日本の出番はあった。

そこで漢籍や中国史知識を捨てたらどうなるか?そういう焦燥感がありました。

【漢籍】【東洋思想】【儒教】【東洋医学】が必要されるところに、【過去大河ドラマ】や【日本史】ハンマーで殴りかかっても、かえって事態は悪化します。

【イケメン】【芸能ニュース】【萌え】ドライバーでは絶対に解けない。

『麒麟がくる』は、そんな問題をも炙り出すドラマでした。

駒と東庵の不要論もかなり執拗にありましたね。

彼らの東洋医学知識は、思想の理解にも役立ちます。それを巧みにプロットに組み込んでおり、かつ医療考証もかなり綿密であった。しかし、肝心の見る側に【東洋医学】知識のドライバーがない。

本作はあえて難しい道を選びました。

【義】を再定義するなんて面倒なことは放り投げてよい。うわっつらでもいい、善良で綺麗なセリフをイケメンたちに言わせていればいい。愛妻家だと強調して、ほっこりきゅんきゅんセクシーに演じさせればよい。

それである程度ウケる。ヒットのセオリーです。

SNSがここまで発展したからには、バズるパワーワードを仕込めばそれである程度の数字は稼げます。

そういう反応だけがヒット作の【義】であるならば、そうしたって文句はないでしょう。

それでも、この作品と主人公である明智光秀は、面倒で理解されにくい、儒教による【義】の構築に挑みました。

漢籍を引用し、登場人物の言動に思想を反映させる。できあがったその像は、奥深く精緻極まりない。ゆえにハンマーで殴れば、ただただ割れてカケラになっていく……そうして欠けているものを炙り出し、そこをもう一度見直すべきではないかというところまで踏み込んできた。

【義】とは苦しみを伴うものだともわかった。

耳に痛いことを言えば、かえって嫌われる。楽しいことだけ考えていて、わきまえていた方が賢いと思われる。誰かのお気に入りになれる。

それでいいのか?

ご飯は食べないでおやつを食べていればいいじゃない! 楽しければいいじゃん! そういう見方はありました。

「大河ドラマなんて、わかっている結果だけ見ればいい。架空の人物だの新解釈だのついていくことをファンは求めていない」

そういう趣旨の分析もありました。

お説教臭さはなく、楽しいことだけをあっけらかんとする大河に対し「これこそ斬新だ!」と評価する声も少し前にありました。

私はそういう趣旨のことを見かけるたびに、憂鬱になりました。

上司のカラオケに拍手をするような、忖度による服従はもう懲り懲りだ、うんざりだ! もっともっと、難しく精緻なものを投げてきてくれ! そうじゃないと、海外のドラマに負けて終わるぞ!

と、そこで本作は、難易度を上げ、苦しい展開にした。

野菜嫌いでおやつばかりを食べたがる子どもに対し、それではいけないよ、と丁寧に説得するような、芯の通った【義】をつきつけました。

生きることには責任が伴うと示し、視聴者の思考回路や道徳を鍛える【義】がありました。

良薬は口に苦し、忠言は耳に逆らえども行いに利あり――です。

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