麒麟がくる総集編

絵・小久ヒロ

麒麟がくる感想あらすじ

麒麟がくる総集編 感想あらすじ視聴率「仁義礼智信」

麒麟がくる総集編感想あらすじ~視聴率は2/24に発表予定です

麒麟がくるキャスト

麒麟がくる全視聴率

麒麟がくる感想あらすじレビュー

※文中の記事リンクは文末にもございます

コロナ禍という大きな困難を乗り越え、成功作品として評価されている『麒麟がくる』。

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本日(2021年2月23日)午後1時5分から『麒麟がくる』総集編が放送されます(→link)。

それに先立って、弊サイトでも総評をまとめました。

早速ご覧ください!

 


大河中興の祖となった『麒麟がくる』

2020年から2021年にかけ、日本のみならず世界を襲った新型コロナウイルス。

そんな最中に放送されていた『麒麟がくる』については

トラブルがなければもっとよくできたのではないか?

という意見も見かけますが、それは望蜀(ぼうしょく・限りがない欲望でさらに望むこと)だと思えます。

むしろこの状況下、数年ぶりの視聴率という結果を残したこと。

大河ドラマ不要論を払拭したこと。

望み得る最善の結果だったのではないでしょうか。

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消化不良であるとか、モヤモヤするとか。そんな意見も散見されますが、それは作品そのものに一定の満足感があったからとも考えられます。

本当に作品がマズかったら?

これ以上望めそうにない出来だったら?

たとえどれだけ良い作品になっても、人というのは何かと不満を感じてしまいがちな生き物です。

『麒麟がくる』――本作は、大河ドラマという王朝にとって「中興の祖」と呼べる可能性を感じます。

このドラマ枠が、主演を演じた役者を一回り大きくすることも再認識させてくれました。

大河を機として一気にブレイクする緒形拳さんや渡辺謙さんとは違う。

それまで一定のキャリアがあり、主演を務めることで人間としての深みに到達する。

まるで菅原文太さんの再来とでも言いましょうか。奇しくも主役としての退場が一致。彼らの演じたヒーローは、風のように歴史の中にふっと消え去るのです。

菅原さんは本人に歴史への造詣が深く、あの半藤一利さんと対談するほどの極みに到達しました。

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役者としてだけではなく、人間としての成長があるのではないか?と、ドラマが終わった今でもワクワクが止まりません。

往年の高視聴率は達成できない。社会状況やライフスタイルの変化をふまえれば当然と言えます。

むしろこの作品は、コロナ禍という異例に対応した作品です。

しかし『麒麟がくる』の困難は、コロナ禍だけだったのか?

そうではありません。不祥事による出演者の降板のみならず、さまざまな課題がありました。

まず大きな課題が視聴率。国民的番組だった大河ドラマはどうなってしまうのか?

裏番組の『ポツンと一軒家』と『イッテQ』が近年大きく育ち、なんとしてもこの層を取り返さねばならない。のみならず、BSプレミアムでは先行放送が実施され、NHKプラスによる配信も開始されました。

視聴率だけではありません。

アマゾンプライムビデオやNetflixといった「VOD」の脅威もあります。

例えばAmazonプライム『MAGI』では吉川晃司さんが織田信長を演じ、豊臣秀吉に緒方直人を配するという大河経験者がキャスティングされました。

しかも、スペインやポルトガルの影響による秀吉の朝鮮出兵という、最新鋭の説も柔軟に取り入れています。

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『麒麟がくる』は定番の戦国ものであり、三英傑全員が出てくるため、人気磐石のように見えたかもしれませんが、実際のところは未知なる脅威と戦わねばならない、極めて難しい局面にいたのです。

もしも失敗したら?

大河ドラマは不要論が決定づけられてしまうかもしれない。

それでも本作は踏ん張った。

次へと種を撒く中興の祖『麒麟がくる』には、守るべき徳が備わっておりました。

その五常の徳にたとえて、偉業を振り返りたいと思います。

本作は衣装にまで五行説を採用したことをふまえ、「五常」によって進めて参りましょう。

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『麒麟がくる』とは、危難の時代であればこそ、その徳を示したと思えるのです。

大道廃れて、仁義有り。 智慧出でて、大偽有り。 六親(りくしん)和せずして、孝慈有り。 国家昏乱して、忠臣有り。

大いなる道が廃れたとき、仁義が生じる。

悪知恵を抱くものが現れたからこそ、秩序なり制御が必要となってくる。

家族が仲良くできないからこそ、親孝行や慈悲という観念が生まれてくる。

国家が乱れて争うからこそ、忠臣があらわれる。『老子』

 


【仁】時代劇を明日へと繋ぐ誠意

仁とは? 誠実さ。人を思いやること。優しさを持って周囲と接し、己の欲求よりも全体をよりよくするように考える。

2010年代末の大河は、その歴史をたどる上で、危難の時代として記憶されることでしょう。

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私も大河そのものが不要だと思うようになっていました。

たとえ日本が舞台でも、海外の歴史ドラマには優秀なものがある。前述のAmazonプライム『MAGI』、さらにはNetflixでも伊達政宗を主役とした『エイジ・オブ・サムライ』を作るとか。

一方で、2010年代の大河には、あまりにおかしな作品が多かった。

もはや歴史を描くのではなく、何らかの意図ありきで作られるのではと感じ、もういっそ終わりにしてよと思ったものです。

大河だけではありません。

日本の時代劇は全般的に低調な時代が続いていて、例えばNHK新春時代劇を見ていて、目を疑ったことがあります。

江戸なのに道ゆく人はまばら。ストーリーは時代物というよりも昭和時代のサラリーマン。安っぽいセットと小道具、そして衣装。所作も何かおかしい。

もう時代劇を作る技術すら滅びていくのか――そう思うと虚しさが募ってきました。

では、どうすれば立て直せるのか?

それには目先の数字にこだわる作品ではなく、10年後、20年後まで繋ぐものを作らねばならない。NHKはそのことに目覚めたのかもしれません。

『麒麟がくる』には、キャスティングに特徴を感じます。

主演の長谷川博己さんと年齢が近い方が多い。彼らと共演する脇役に、時代劇経験が豊富なベテランを揃える。

そうすることで、ハセヒロさんら不惑を超えた世代に何かを継承しているように思えたのです。

不惑世代の役者さんには、気の毒な状況がありました。

独眼竜政宗』や『武田信玄』を見て感動する。『信長の野望』で遊び、歴史知識が身につく。読書の定番は司馬遼太郎

そうして育ち、役者になったけれども、時代劇は斜陽を迎えている。

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彼らが役者として青年時代を過ごしたころ、もはや時代劇は「ジジババの見るものw」という扱いとなっていた。

往年の時代劇俳優ルートは消えたようであった。

刀や槍を持って暴れたい!

かっこいい剣豪になりたい!

でも、受け皿がない……。時代劇の本数そのものが減っているし、うっすら「ダサい」と思われている。

大河ですら迷走していました。

若者受けを露骨に狙い、トレンディドラマ、テレビゲーム、漫画を意識したような作りを模索。その結果、どうにもしっくりこない、スベった作劇が増えました。

大河出演が目標だし、家族はきっと喜ぶだろう。と、思ったらこの現状はなんだ……。自分たちが憧れていた侍はもう体現できない? 他国のドラマでは、同世代の役者がかっこいい英雄や武将を演じているのに……なぜなんだ!

役者さんたちにそんな戸惑いがあったとしてもおかしくありません。

名誉、親孝行、オファーの増加。

そうした動機で大河に出ても悪いとは思いません。

しかし、芯にあるのは、カッコいい歴史上の人物を演じたい!ではないでしょうか。そのチャンスが消えかかっていたのですから不幸なことです。

今思い出しても、あれは何だったのでしょう。1990年代から2010年代にあった、ズレた若者受け大河路線の迷走は。

そこで登場したのが本作。

『麒麟がくる』は不惑世代にかっこいい時代劇を用意し、継承させたい意図を感じました。

体力もまだある今のうちに伝えたい。殺陣もがんばってもらう。馬も乗ってもらう。所作もきっちり仕込む。そんな丹念な指導を感じたのです。

あと十年遅かったら、こうはいかなかったかもしれない。

このドラマはハセヒロさんと同世代の方が活躍を遂げていた印象がとても強いのですが、彼らに巡ってきた運命がこの歳なのだと思えました。

そしてこのことは、思わぬ宿痾をも打開しました。

大河の宿命として「三英傑がベテラン過ぎて殺陣の迫力がでない!」という問題がありました。人間五十年という信長のはずなのに、なぜ、その親世代ぐらいの役者さんなんだ? そういうモヤモヤ感があった。

今回は若返りました。

信長の染谷さんは不惑世代よりも一回り若い。

最終回での織田信長が強すぎるなんて言われておりましたが、それも染谷さんが努力し、ありあまる体力であったからこそだと思えました。

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桶狭間における片岡愛之助さんも動きに力強さがあった。

こんな今川義元でも討たれるのか!と感慨深かったものです。

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殺陣にも伝統の継承を感じました。

本作では90年代以降にあったワイヤーアクションの影響をようやく払拭できたと思いました。

今井翼さんの毛利新介には使われており、できないわけではない。ただ、日本の古武術をふまえ、必要以上に使わなかっただけでしょう。

もっさりしている、ハセヒロさんは運動が苦手なのか……そんな感想もありましたが、決してそうではないでしょう。

古武術特有のゆったりとした動きです。

感情を乗せ、殺陣による心理描写をするような演出も圧倒的でした。足利義昭と光秀が打ち合う場面は、芸術的でした。

和装の所作は、日頃使わない筋肉や関節を使います。それゆえうまくできない――それは昭和の時点で指摘されていました。甲冑を身につけるとさらに大変です。

ハセヒロさんたちの不惑世代以降は、畳のない家で暮らす時間の方が長かったとしても不思議ではありません。彼ら世代は「今どきの若いもんは所作がなってない」と言われながら役者をする羽目になっていたことでしょう。

ただしこれは彼ら自身の努力不足ではありません。指導の問題だってあるはず。

本作はそこをきっちりとクリアしました。時代劇経験がそこまで長くない若い方でも、きっちりと所作ができている。

エキストラや子役もできている! 時代劇はこうして継承できるのだと思える出来でした。

役者だけではなく、古武術、蹴鞠、連歌、茶道、仏事といった、伝統そのものを継承する意図を感じます。

今年はオープニングクレジットに、伝統を守る人々の名が例年以上に多く並びました。

のみならず、街並みや群衆の場面も多い。当時の人々の日常生活を残し、再現することも大事です。そうして演じ、映像に残すことによる継承はあります。

本作は民衆視点の人物が多く、それを不要だとする感想も見受けられましたが、彼らの姿、生きていたことを残すことも、歴史の継承です。

本作には、そうして継承していく優しさがありました。

次の作品以降に希望を継承する、これぞまさに【仁】です。

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