はい、こんばんは。
一言で言えば「鎖国は国を閉ざしていたわけではなく制限外交だった」という最近の見方が反映されていますね。
渋沢栄一が生まれた時代は諸外国といかなる関わりだったか?
より詳しいことが知りたい方は以下の記事もご参照ください。
誤解されがちな幕末の海外事情~江戸幕府は無策どころか十分に機能していた
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渋沢栄一9歳は元気いっぱい!
栄一は9歳になり、父の仕事を学び始めています。
朝から歩いても歩いても到着しないほど遠い場所だとぼやく我が子を、東照大権現はこの道を超えていったと励ます父・市郎右衛門。
父子は藍を育てる人々を見て回り、買い付けています。一郎右衛門は目利きで、しっかりしている人物のようです。
みんなが楽しいのがいちばん――そう両親から習った栄一は立派な青年になりそうです。
ここでウキウキしてくるオープニングになります。
血洗島では、藍の収穫が終わったときに獅子舞のある祭りがあり、栄一たちも楽しみにしています。
そこへ岡部藩の代官・利根吉春がやってきました。
住民を困らせる典型的な悪代官。
6月という人手が足りぬ時期に、無茶苦茶な作業をと金を用意しろと言いつけてきます。
理不尽なことを言い、栄一は「なんでとっつぁまか?」と怒りを燃やします。正義感が強いんですね。
俺は獅子が舞いてえ
しかし代官の言うことがあまりに悪辣なため、せっかくの祭りが行えなくなってしまいました。
「俺は嫌だに! 俺は獅子が舞いてえ!」
栄一は納得できない。
五穀豊穣、悪霊退散はどうなるのか?
何よりも、みんなが楽しいのが一番という彼なりの正義に反します。
「義を見てせざるは勇無きなりだ!」
そうキッパリ言い切る。
どうやら『スカッとする』というのが本作のテーマのようです。
父に叩かれても、栄一はキッと睨み返すのです。意志が強いのですね。
かくして6月、血洗島が一番忙しい季節になりました。
やんちゃな栄一は寝坊してしまいます。とても賢いようで、どこか抜けているところが愛らしい。
男たちは昼に土木作業、夜は藍の取り立てをする日が続き、働き者の苦労がしのばれます。
そんな中、栄一は何かを考え込んでいます。
後に妻となる、幼馴染の千代には悲しい気持ちを打ち明けます。運命を感じる男女ってやつでしょうか。
そのころ一橋家では――。
イケメン同士がさわやかに稽古
七郎麻呂は家慶の慶の字を賜り徳川慶喜になりました。
けれども、不満がある。あまりに退屈な生活で、不貞腐れているようです。
家慶はそんな慶喜に目をかけています。幼いころから優秀だったからでしょう。
その一方で、隠居を強いられた父・斉昭は幕政復帰への意思をたぎられています。御三家当主として、正義感の強い大名として、それは当然の思いですかね。
そして再び血洗島では……機転を利かせた栄一が獅子を舞う!
「ごこくほうじょう! あくえきたいさんなり!」
こうしてみんなの楽しい気持ちを実らせる栄一の機転が光ります。
明るく楽しいミュージカル風の演出のあと、獅子を舞う栄一がたくましい青年へと成長してゆきました。
オープニングの映像、先週のお蚕ダンス、そして今週。
このドラマは難解な幕末を、ディズニーのように軽やかな演出で描くようです。
子役から本役になった美男美女が笑い合いながら、楽しい青春を送っている様子が描かれる。
ただし、そこは幕末ですから、尾高惇忠のもとで剣術稽古もします。
イケメン同士がさわやかに稽古。これぞ青春でしょうか。
栄一はちょっとドジなのか、浮かれて転んでしまう。このあと、泥だらけの栄一が褌だけになる場面が入ります。うーん……。
◆ NHK大河「青天を衝け」再びの「イケメン大河」で見どころ満載(→link)
もちろん時代は動いています。
幕府では、強い将軍が必要だとして阿部正弘と川路聖謨が話し合っている。
と、彼らの耳に衝撃的な報せが入りました。
アメリカ艦隊が向かっている!
船の上でペリーが、日本を目指す理由を語る――わかりやすさを重視した演出が光ります。
MVP:利根吉春
「へへえ〜お代官様!」
かつてはお茶の間に通じた時代劇のこの台詞。
今の若い世代はわからないですよね。
そんなとき「あの大河に出ていた奴だよ」といえば通じるようになるかもしれない。ありがたいことです。
総評
歴史劇とは結末が明らかである。
それでもドラマや映画を見てしまうのはなぜだろう?
見る時代ごとに異なる描き方ができるからとされています。
そういう意味では『青天を衝け』とはまさしく現代にふさわしいドラマなのかもしれません。
難しくない。暗くもない。
幕府側の幕末視点で描くと、どうしても敗者の美学だのなんだの堅苦しく暗くなりがちですが、ただでさえ暗いご時世にそれを見たいか? ドラマ鑑賞のために頭を使いたいか?
明るく希望に満ちていて、見ていてスッキリできる。
そういう明るいドラマが見たい!
この作品はそういうニーズを掴んでいます。高い視聴率は、その証明なのでしょう。
以下、蛇足ながら……。
徳川目線の幕末維新とは?
今週は徳川家康が極めて雑な鎖国論を展開しました。
あんまりこういうことを突っ込みたくはありませんが、幕末研究者が辞退していませんか?
どうにもおかしい。何か基本的なところがおかしい。
『西郷どん』でもフランス革命の理解が決定的におかしかった記憶が蘇りますが……グローバル・ヒストリー時代にこれを流すのはもはや害悪な危険性すら感じます。
Eテレ『歴史にドキリ』の方が上出来に思えるのはどうしたものでしょう。
三谷幸喜さんの2018年新春時代劇『風雲児たち〜蘭学革命篇〜』はよかった。
そういう比較はしたくないのですが……史実を噛み砕く脚本家の力量さが歴然と表面化する大河枠って、気の毒だとすら思います。
史実の理解度、咀嚼度であれば、2015年『花燃ゆ』脚本家初期の方が上だったと思えてきました。あのドラマだって序盤はそれなりに面白かった箇所がないわけでもない。
ごちゃごちゃ言いたくありませんし、人の意見は尊重したい。とはいうものの、納得できないことがあります。
『麒麟がくる』で駒や東庵が“ファンタジー”と叩かれたのに、『青天を衝け』の「こんばんは、徳川家康です」の取扱はどうなるのか?
駒のような女性医師が当時存在したとしても、荒唐無稽とは言い切れない。
しかしあの家康は完全なる“ファンタジー”です。
北大路欣也さんという類稀な俳優が演じられているにしてもファンタジーでしかない。
これって要するに「弁えろ」ということですか?
あの森喜朗さんの言い分ですね。女性差別のみならず「控えおろう!」とでも言いたげな圧力があった。意見の中身じゃない。下賤な女ごときが差し出がましい口を出しおって! そう感じさせたからこそ、女性だけでなく男性からも批判が止まなかったのでは?
駒が執拗に叩かれた一方、家康の「こんばんはファンタジー」に「へへえ〜」と屈するとすれば、それは何なのか?
発言者の属性を見てのこととしか言いようがありません。
徳川目線から見た明治維新再評価というのはわかります。
けれども家康が渋沢栄一を猛烈に推す理由がわかりません。そこにあるのは“主人公補正”では?
「徳川目線だと、どうしても“敗北の美学”で語られがちだよね」
なんて思っているのではなかろうか……。
会津藩は慶喜が大嫌いです。それを大っぴらに口にするのがオラつき家老・山川浩ぐらいのもので、
敵に囲まれた城を獅子舞で突破!会津藩士・山川浩の戦術が無双だ!
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本心では戊辰戦争が始まるや大坂から逃げ出し、戦後は静岡で余生を送った慶喜を快く思うはずがない。
会津が散々な目に遭ったことを考えれば当然の感情と言えましょう。
そして、そのことを後世に伝えることとなった場合、それを「お涙頂戴だw」みたいに言うのはむしろおかしい。
バイデンは日系人に「いつまでネチネチ言ってんだよw」みたいなことは言ったりしませんよね。
◆日系人強制収容「恥ずべき歴史」 バイデン氏が声明―米(→link)
しかし、徳川慶喜と渋沢から過去を振り返ってもそうはなりません。
一万円札の顔を譲る元幕臣の福沢諭吉ならば、
「渋沢栄一って、器用に二君に仕えてリッチライフ送ってますよね!」
という具合に批判しそうな話です。
勝や榎本にケンカを売った福沢諭吉~慶応創始者の正体は超武骨な武士
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別にこんなものは幕末ドラマのお約束を大きく変えることでもなければ、新視点でもありません。
渋沢ほどの知名度がありながら今までフィクションで扱われず、むしろ新選組が大人気であったことには理由があるのでしょう。
福沢の言葉を借りるならば「痩せ我慢」です。
血を流そうが、辛い目にあおうが、武士の面目を貫いたからこそ、庶民は負けた武士に拍手を送ったと。
むしろリッチ組に転職した旧幕臣のことを、江戸っ子は軽蔑していたという話もあります。
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そんな庶民感情を払拭して、器用に転身した明治の“上級国民”像がもてはやされるのであれば、確かにそれは新しいかもしれません。
さらに……。
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