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【青天を衝け第5回感想あらすじ】
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動く顔文字のような演技と演出
演出がいちいちおかしい――それが顕著だったのは藤田東湖が亡くなった場面です。
「ちちうえーちちうえーちちうえー」
「とうこーとうこーとうこー」
って、いつの時代でしょうか?
昭和の名脚本家・笠原和夫のエッセイを思い出しました。
彼は、我が子が戦死した母を描くとき、そのリアリティを考えました。
戦死したと告げられた時は、涙一つこぼれず、呆然とするだけ。
けれども、帰り道で眺める景色は、我が子の遊んだ山であり川。
そう気づいたとき母の目から涙が溢れ出す。
そんな実際にあった話のように描こうとしたところ、制作サイドからダメだしをされました。
観客は【我が子の死を聞いた途端にワアッと号泣する母の像が見たい】というのです。
劇場型とでも言いましょうか。本作も、そういう演出のようです。
『麒麟がくる』において、息子・織田信勝(信長の弟)の死を嘆いた土田御前はどうだったか?
どうにも演出のレベルが落ちているようで気になります。
剣術関連は、怪我をしそうな危ない動きで見ていてヒヤヒヤします。なんだかコロナ禍の影響で撮影がずれ込んだ分、急ピッチで進められ、現場が不十分な準備のままで走っているような……。
家康の雑な士農工商論もどうしたことでしょう。
そういうことは予備校の授業のように解説するのではなく、噛み砕いてプロットに入れてこそ腕の見せ所ではありませんか?
一言でいえば禁じ手でしょう。あの場面で受けたツイートばかり拾って、作品そのものを好評とするニュースが目立ち、どうにも違和感を覚えます。
幕府の重臣たちが座らずにトークをしてばかりなのもちょっと理解できない。
スタンディングで話すブームでもあるんですか?
『花燃ゆ』でも武家女性が立食パーティもどきをしていて度肝を抜かれましたが、座って話せない理由ってなんでしょう。そのうち立ったままカナッペでも食べそうです。
まぁ、それが好きな人もいるとは思いますが。
OPに新技術を取り入れたことはわかりますが、センスが古ければあまり意味がない。
流行とは、親世代がカッコ悪くて、祖父母世代がクールに見えるものなのだとか。
2020年代は、1970年代以前回帰がクールになります。一方で1980年代から2010年代のものはとてつもなくダサい。
本作はそういうダサさが滲んだセンスが漂っているのです。
そしてもうひとつ。VFX予算をOPに使いすぎました?
本編はあまりに手抜きがひどく、8年前の『八重の桜』よりレベルが落ちていません?
やはり、他の方の感想はためになります。
あの給仕の場面は、演技あまりにがわざとらしくて、なんだかなぁ……としらけてしまいました。
古い漫画に出てくる、メシマズ女子みたい。あそこまでわざとらしく失敗するのか? ウケ狙いであざとい。
ただ、そこをもっと踏み込まねば!
食事の給仕を、まださして親密度もあがっていない者にさせる武家の棟梁(慶喜)。太平の世が続いたということかもしれません。
『麒麟がくる』では、茶や汁物に毒を仕込む場面が何度もありました。毒殺の危険性があればこそ、江戸時代の大名も毒見役経由で食事をしていたものです。
それがあの場面では、むしろほっこりしていた。
ほっこりして萌える〜……そういう楽しみ方って、広まりすぎて過剰になっていると思えるのですが、どうなのでしょうね。
迷信の是非を描くことは否定しませんが
狐憑きの長い話は、合理的かつクールに迷信を否定する栄一を描きたかったのでしょう。
けれども、これがどうしたって昨年の『麒麟がくる』に遠く及ばないのはどうしたものでしょう?
織田信秀が熱田神宮の神官を連れて戦場に来る一方、その嫡子である信長は仏間で暴れ、母に叱られても反省しない。それどころか、仏罰を楽しみにしてしまう。
信仰心にあまりに無頓着な信長は、帝すら気に入らないとなれば、追い詰めるようなことをしでかす。
迷信を否定するどころか、歯牙にも掛けない傲慢な信長は【理】で動く。
そんな【情】を軽視する信長に懸念を覚える光秀。
そんな対比がうまくプロットに組み込まれていたものですが、今年はこんなところですかね。
「迷信否定してかっこいい〜!」
まあ、わかりやすいって言えばそうですけど……。
“青天の呪い”と進撃の水戸藩
迷信は否定しよう、そう、栄一のように!
しかし、このドラマが始まって以来、渋沢栄一と関係の深いみずほ銀行で大きなトラブルが起き、ゴメンナサイでは済まされない事態に陥っているようです。
◆ 懸念される「みずほ離れ」 4度目障害、法人顧客にも影響(→link)
それにあの迷信否定は、深刻な事態をもたらしかねません。
斉昭の攘夷ぶりが暴走しています。この手のナショナリズムとヘイトは表裏一体かつ陰謀論にもツッコミかねません。
水戸藩や一橋家を描くとなれば、ここはどうするのか?
しかも、現実において危険なナショナリズムと陰謀論が結びついて、ニュースになっております。
Qアノンによる議会を襲撃事件を思い出してください。あれが成功して議員なり大物に犠牲者が出ていたら、どうなっていたか? その結果、政権に大打撃が与えられたら?
序盤の見どころになる【桜田門外ノ変】もそういうことなんですね。
井伊直弼の暗殺が成功しちゃった……暗殺で世直しイケる!
冷静に考えたらやってはいけない話なのですが、日本人はこれでテンションが上がった。
桜田門外の変と意外な事実~井伊の首を取ったのは薩摩藩士だった
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悪役にされがちな大老・井伊直弼はむしろ一本気で能力も高かった?真の評価とは
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このあと京都守護職になった会津藩と、その配下の新選組についてはこんな誤解があります。
「あいつらは幕末でも際立ってクレイジー! 拷問、同士討ち、おそろしやー!」
いや、そんなわけありません。むしろ松平容保は「言路洞開」、話し合いで解決したいと当初考えていた。
それが京都にいる連中が殺人、遺体損壊、拷問……リアル『ゲーム・オブ・スローンズ』のようなことをやらかしているから、抵抗するしかなくなったんですね。
その源流を辿っていけば、暑苦しいあのMアノン、エルディア復権派のグリシャ・イェーガーじみたテンションの水戸藩にいきつくわけで。
まぁ、水戸藩は内部抗争で自滅し、明治以降に必要な人材が枯渇してしまったのですが。
問題は「桜田門外ノ変」です。
「テロはあかんけどさぁ……アレのおかげで維新に向けて突っ切れたのは確かだよね。井伊直弼を悪党ってことにすりゃいいんじゃね?」
こういうノリでモロに歴史修正をされてしまった経緯があります。
暗殺に対しては否定的な司馬遼太郎ですら、この一件は例外にするくらい。
しかし、それではいかんでしょ――という高い志のもと井伊直弼を再評価する動きもあった。
記念すべき大河ドラマ第一作『花の生涯』とその原作です。
それがどうでしょう。半世紀経て、水戸藩の賛美が再び始まった。Mアノンを称えてる。
想像してみてください。Qアノンのシャーマンがイケメンにされて、正義のために戦う設定を。
当時の会津藩士である山川浩が「あの頃の尊王攘夷思想やべえ……神風吹いたら勝てるとかそういうレベルでイカれてた」と回想しています。
幕臣の江間政発だって「ぶっちゃけ、敵をぶち殺す理屈として後付けるするためのモンだったな」と指摘。
幕末の外国人は侍にガクブル~銃でも勝てない日本刀がヤバけりゃ切腹も恐ろしや
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みずほ銀行は、ミスを繰り返したあまり、経営陣の進退まで問題になっているそうですが。
◆ みずほ銀行障害2週間で4度目 経営陣に進退問題も(→link)
NHKは大丈夫でしょうか?
大河は2015年(大麻逮捕)、2019年(オリンピックの呪い)、そして2021年もなんだか危うい。
朝ドラでも、2017年下半期モデル企業がとんでもないことになりましたっけ。
オカルトだけとは言い切れない、背景にあるテーマ選出の甘さ。
大丈夫でしょうか?
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