円四郎は「命を捨てる覚悟があるか?」と問いかけつつ、二人を一橋家にスカウトします。
そこで栄一が「感佩(かんぱい)」という言葉を使いました。
「心に深く感じ入ること・エモい」という意味ですね。
二人はすぐに仕官の了承をせず、相談してから返答すると伝え、いったん旅籠へ帰りました。
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草莽の志士
喜作は怒っています。
倒幕を志しておきながら一橋家か!
それはそうですね。しかし、栄一は様子が違う。
命を絶つのが正解なのか?志を貫いた潔い男がいいのか? いいや、それは御免。
「草莽の志士」とか言い出しますが、ちょっと惜しい。志士なら使いそうな言葉として、こういうものがあります。
死はあるいは泰山より重く、あるいは鴻毛より軽し――。
結論、栄一は生きることが大事。
「ただ、ぐるぐるどくどくしている! おかしれぇって気持ちだ!」
喜作に向かってそう言い切ると、再び、平岡円四郎に申し出て仕官の話を受けました。
ここでお待たせしました。徳川家康の登場です。
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慶喜に意見書を出したい栄一は……
家康は語ります。
徳川慶喜がとても大変だったとか。
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当時の幕府は、複数の首脳部がいて政治をしていた。ピンチだったとかなんとか。
横浜鎖港問題ですね。
前回放送から【参与会議】が始まっており、
といった有力藩主が集い、京都は孝明天皇のもとで国政にあたる――。
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その席で薩摩が「横浜の港は閉じないほうがいい」と言い出したため、老中の酒井忠績(ただしげ)と水野忠精(ただきよ)が薩摩には反対すべし、つまり「港を閉じろ」と慶喜に迫ります。
参与会議だけでなく幕府からもプレッシャーをかけられ、板挟みになっている徳川慶喜です。
こうしたストレスを解消しようと、慶喜は馬を走らせることにしました。
それを聞いて一計を案じたのが平岡円四郎です。
「慶喜に意見書を出したい! そうでなければ仕官できない」という渋沢栄一と渋沢喜作の意向を汲んで、慶喜と顔合わせをさせようと企んだのですね。
なぜ平岡は、そこまで栄一と喜作のことを特別視するのか。
いまいち合点がいかないまま話が進んでしまい、若干置いてけぼり感がありますが「史実がそうだから」と言われればそう呑み込むしかないようです。
一橋家がでっかくなって!
そしてついに、栄一と慶喜、運命の出会いです。
慶喜の乗る馬を全速力で追いかけ、
「徳川は潰れてしまう!」
と、とんでもないことを言い出す栄一。
しかしクールな様子の慶喜は何やら興味を持った様子です。
さらに慶喜は、栄一と喜作の二人がタイミングよく現れたのが平岡円四郎のお膳立てだと知ったため、後ほど屋敷へ来いと伝えます。
にしても……「幕府が潰れる」とか何とか、栄一ってばこんなことを言ってもよいのでしょうか?※考察は後述します
後日、正装をした二人は慶喜の前へ。
脇には平岡円四郎がいます。
栄一はあらためて今の日本を「積み上げた卵」のように危ういとプレゼンスタート。
徳川斉昭の子供である慶喜に一橋家を大きくしてもらい、日本をよくしたい!と熱血トークを振るいます。
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それをジッと聞いている慶喜です。
が、話が終わって平岡円四郎と二人になると「特に新しいアイデアはなかった」と淡々でしたね。同時に、若い二人を気に入った様子でもある。
一橋家の屋敷で働き始めた栄一と喜作
平岡円四郎の前に再び現れた栄一と喜作。
円四郎は二人に向かって「攘夷は消える」と語り、こう続けます。
「徳川直臣を舐めんなよ!」
幕府が無能だとする単純な幕末史観に釘を差すようなセリフですね。
栄一は「ぐるぐるもするがゾッとする」だそうです。
かくして一橋家の屋敷で働き始めた栄一と喜作の二人。
職場はとにかく慌ただしい。
人で埋め尽くされた室内で帳簿をつけ、それを運び、と、誰もがみなせわしなく働いています。
当然、二人にも仕事を与えられるのですが……問題は部屋に戻ってからでした。
自炊生活の始まりだというのに鍋一つ持っていない。父の渋沢市右衛門からもらった160両は既に使い切っている。
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借金してようやく鍋を買えたけれども、炊いた米はどろどろのお粥状態になったりします。
久光らを「天下の大愚物」と罵り
場面は変わって参与会議へ。
徳川慶喜・松平容保・島津久光・松平春嶽・伊達宗城・山内容堂らが集っています。
薩摩の「国父」と呼ばれる久光が、非常に感じ悪いですね。
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『斉彬様が生きていたらなぁ……』と思うのが幕末ファンあるある。
今回もピュアそうな14代将軍・徳川家茂をいじめる意地悪なおっさんじみていて、非常に邪悪なイメージです。
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すると突然、慶喜がキレます。
「朝廷はもう横浜の港はこだわっていない」と語ったとする公家の中川宮の屋敷へ出向き、その真意をただすのです。
要は、島津久光に買収された公家の中川宮が朝廷をつかって薩摩らの発言力を高めようとしたのですが、それを徳川慶喜が制したわけですね。
慶喜は、中川宮の前で、久光たちのことを「天下の大愚物」とまで罵りました。
「快なり!」
ひとしきり言い切ると部屋を出る徳川慶喜と平岡円四郎。
その脳裏に浮かぶのは、栄一のあの痛快爽快な言葉でした。
「ハハハ!」
思わずそう笑う慶喜に対し、
「あなたはなんという強情公だ!」
と円四郎も褒める。理想の主君ってやつですかね。
そしてそのまま屋敷に戻って家臣たちを集め、宴会を始める慶喜。
「快なり!」
父親譲りのテンションでそう叫びます。
「快なり!」
慶喜は幕府を守る使命に目覚めました。そう語られる感動的なラストです。
「快なり!」
素晴らしいですね。言ってみたい。
でも、本当はこうだったらどうします?
「壊なり!」
全然違いますよね。
と、この先は辛辣な指摘をさせていただきます。
本作をお楽しみの方はここでページを閉じていただければ幸いです。
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