歴史戦国でワクワクしたい!

BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)

織田家 その日、歴史が動いた

過酷な戦国時代を生き抜いた正親町天皇 ド貧乏だった朝廷は信長に助けられ……

更新日:

中世の天皇というと、穏やかに御簾の内側で暮らしておられるというイメージが強いですよね。
しかし、なかなか個性の強い方もいらっしゃいます。
筆頭は承久の乱を起こした後鳥羽上皇や、南北朝分裂の原因を作ってしまった後醍醐天皇でしょうか。
今日の主役は、あの織田信長と丁丁発止にやりあった……かもしれない天皇です。

弘治三年(1557年)の10月27日、父・後奈良天皇の崩御により正親町(おおぎまち)天皇が践祚(せんそ)しました。

正親町天皇/Wikipediaより引用

 

直筆の文書を売って生活するほどのド貧乏

践祚というのは、簡単に言えば即位の前段階に行われる儀式のこと。
践祚の儀式を行った後、即位式を行うというのが本来の順序です。

が、このころの皇室は一言でいってド貧乏。後奈良天皇に至っては、直筆の文書を売って生活の足しにしていたほどの貧しさでした。
なぜそこまで生活費がなくなってしまったのかというと、応仁の乱以降に皇室や貴族の直轄領地が戦国大名などに奪われてしまっていたからです。
この頃の税は米がメインですから、米や作物を作っている領地が奪われれば当然収入がなくなってしまいます。
それでもたまに律義な大名もいたので、細々と食いつないでいくことはできました。

しかし最も大切な即位の儀式や、崩御された天皇の葬儀を行うための資金がなかったのです。
どのくらい資金難かというと、亡くなって何十日もご遺体が御所に置かれたままだった方もいるほど。

この状態を何とか改善させようと、正親町天皇は勤皇家な大名や本願寺など、有力者との結びつきを強めていきます。
例えば即位の礼の資金を出してくれた毛利元就には正式な官位と菊・桐の紋を与え、同じく多額の献金を行った本願寺には門跡(皇族や貴族がトップになれる寺院)という特権を与えました。
武力や財力がない代わりに、権威を使って天皇の地位を高めようとしたのです。

 

スポンサーリンク

天皇と幕府のため、という名目で織田信長が上京する

これは織田信長に対しても同じでした。
信長は「天皇をお守りするし、幕府も復活させるよ!」という名目で足利義昭と共に兵を率いて京都に入り、それを裏付けるために金や織田家の京屋敷を献上するなど、一時勤皇ぶりを見せました。
その代わり、対浅井・朝倉家や対本願寺など、信長が戦で手を焼くたびに正親町天皇は講和の勅命を出しています。
感情面については本人達のみぞ知るというところですが、ここだけ見ると持ちつ持たれつという感がありますね。
「信長、お主も悪よのう」「いえいえ陛下こそ」なんてやりとりが……さすがにないか。

その後の二人の関係は、学者先生方の間でも未だ意見の分かれるところ。
信長が「あの天皇邪魔だな。とっとと譲位してもらおう。次の天皇はオレの傀儡になってもらうぜククク」と考えていたとする正親町天皇vs信長派と、「まあいいや。利用価値はあるし、仕事できるうちは天皇でいてもらおう」という関係維持派です。

その中心になるのが正親町天皇の譲位問題。天皇が位を譲るためには、これまた儀式が必要になります。上皇となった後の生活場所も用意しなくてはいけません。そして多大な費用がかかります。
費用をポーンと出せるだけの財力があるのは信長しかいませんでした。

ですから、信長が強引に「儀式の費用は出しますし、引越し先も準備しますから譲位していただけませんかね?」と言えば正親町天皇は譲位せざるを得なかったはずです。
武力に訴えなくても、かつて藤原氏がしてきたように、無理やり譲位させることもできたでしょう。
しかし、信長が本能寺の変で斃れるまで正親町天皇は譲位しませんでした。

イラスト・富永商太

 

それでも譲位を迫らない

譲位するのは本能寺の変から4年後、天正十四年(1586年)のことです。

しかし、信長存命中に正親町天皇は50歳を超えていて、たびたび体調を崩すこともありました。
タイミング的には譲位にうってつけだったのです。
それでも譲位を迫らなかったのは、信長が正親町天皇や天皇家を積極的に利用するつもりがなかったと見ていいのではないでしょうか。

もっとも、現実主義の信長のこと。
「そのうち崩御するんだから儀式一つ省いても問題ないだろ?御所建てるのも面倒だし、跡継ぎはちゃんといるし、それなら譲位させるより戦に金使いたいんだよな」なんて考えていたかもしれません。
個人的には、感情云々よりもこっちのほうがありえそうな気がします。
中央を抑えたとはいえ、まだ中国・四国以西と関東以北は傘下に収めていませんでしたし、お金はいくらあっても足りないところですし。
さてさて、真相はいかに?

長月 七紀・記




スポンサーリンク


参考:正親町天皇/Wikipedia http://www.nobunaga-lab.com/labo/05_seisaku/05-02_gaikou/05-02-01_choutei/joui.html

 



-織田家, その日、歴史が動いた
-

Copyright© BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン) , 2018 All Rights Reserved.