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織田家 その日、歴史が動いた キリシタン

蒲生氏郷は織田軍随一のエリート! 信長&秀吉に気に入られながら40才で病死する

更新日:

どんな長所や欠点も、見方を変えればその逆になりえます。
おおらかさは時として「いい加減」ということになりますし、勉強や仕事がデキすぎるために、周囲からやっかみを買うことだってありますよね。
本日はそんな感じで、一見長所なことが命を縮めた……かも知れない人のお話です。

文禄四年(1595年)2月7日は、戦国武将の蒲生氏郷が亡くなった日です。

方々で活躍している人なので、ご存じの方やファンも多い気がしますね。
そういった方には今更……という気もしますが、当コーナーは「知らない人にも面白く」を目標にしていますのでここはひとつ。

 

信長が烏帽子親になり、「忠」の文字まで与えられ

氏郷は弘治二年(1556年)、近江の大名・六角家の重臣である蒲生家に生まれました。
幼名は鶴千代といいます。たぶん「鶴のように長く生きてほしい」という願いがこもっていたのでしょうね。

織田信長が京都に上洛するための戦を続ける中、人質に出されたことが氏郷の運命を決めました。信長は氏郷の目つきを気に入り、娘婿にすると約束したのです。謎の気前。

無事、将来を約束された氏郷は、岐阜に移って儒教や仏教、武芸を学びます。
元服の際には信長自ら烏帽子親を務め、さらに信長の官職「弾正忠」から「忠」の字を与えて通称の「忠三郎」と名乗らせ、期待ぶりを示しています。どんだけ気に入られてたんだよ。

13歳で初陣を果たし、武将としての門出を終えた氏郷に、約束通り信長は自身の娘・冬姫を娶らせました。夫婦仲は良好だったのですが、氏郷が忙しすぎたためか子供は三人と少なめです。側室もいなかったんですけどね。

 

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本能寺の変後、濃姫を助けたなんてお話も

その後は父・賢秀(かたひで)と共に柴田勝家の配下となり、各地を転戦。浅井・朝倉氏との戦いや伊勢長島攻め、長篠の戦いなど、信長の主要な合戦にはだいたい参加しております。

本能寺の変の際は、賢秀と連絡をとって安土城の織田家の人々を保護し、蒲生家の居城である日野城へこもりました。
この保護された人の中に、濃姫がいたとかいなかったとかいわれています。おそらく、日頃から蒲生家が奥にも信用されていたからなのでしょう。

もちろん、光秀には従いませんでした。そりゃこんだけ目をかけられていれば、裏切り者に味方する気になんてならないですよね。
光秀は別働隊に近江攻略をさせる予定だったようですが、本人が山崎の戦いで敗れたため、蒲生家と戦うことはありませんでした。

その後、父から家督を譲られて蒲生家当主となった氏郷は、清州会議からは秀吉に従うことを決めます。
秀吉が徳川相手に戦った「小牧・長久手の戦い」では狙撃されています。氏郷のトレードマークだった鯰尾兜に、三つも弾が当たったとか。氏郷は自ら陣頭に立つことを好んでいたので狙われたのでしょうけれども、よく生きてましたね。

時系列が前後しますが、大谷吉継が朝鮮の役で「運命の矢は一本よ」と言っていたという逸話があります。銃弾も同じなんでしょうか。

蒲生氏郷の兜として有名な鯰尾兜(なまずおのかぶと)/奥羽*温故知新より引用

 

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秀吉が、冬姫の影響力も懸念して会津に飛ばした!?

信長時代と同じように、秀吉とともに転戦した氏郷は、九州征伐の後に三重へ封じられて松阪城を築きました。
牛肉で有名なあの松坂ですが、城の名前は「まつさか」で濁らないそうです。

石垣に、古墳の石棺のフタ(!)を使ったり、住民を強制的に移動させたり、前の領地の商人を連れてきたり、強引なところもあったようですが、立派な城下町を造りました。
たぶんこの辺が彼の最盛期だったでしょう。

小田原征伐でも自ら武働きをし、それ以前からの功績と合わせ、奥州仕置の際は会津に封じられました。
加増を経て91万石にもなったが、氏郷本人は男泣きに泣いたといいます。

「こんな遠いところに封じられては、上方で何か起きたときすぐに働けない」

秀吉は表向き「関東(家康)と東北(政宗など)の抑えに」と言っていたのですが、氏郷の人望や野心を警戒していたという説もありますね。

もしくは、氏郷の正室・冬姫の影響を恐れたのかもしれません。
後々蒲生家は氏郷の正室・冬姫が信長の娘だったために改易を免れていますから、信長の記憶が色濃い当時は、もっと影響力が強かったでしょう。

 

会津に渡って胃痛の連続だったのでは……

とはいえ氏郷は、そこでゴネ続けることはできない律儀な人です。
覚悟を決めて会津・黒川の地に移った後は、城の名を蒲生家の家紋にちなんで「鶴ヶ城」と改め、七層もの天守を持つ大きな城に改築しました。
現在の会津若松城は五層ですが、あれは江戸時代に改築された姿が元になっているそうで。

また、氏郷はここでも城下町の発展に力を注いでいます。
町の名を黒川から「若松」に改め、自らも信ずるキリスト教への改宗や商業政策を重視し、町を大きくしていきました。

伊達政宗とは大方の予測通りたびたび対立しています。
対立というよりは小学生のケンカみたいな「政宗の陰謀が氏郷にバレて秀吉に報告される」というケースが多かったのですけれども。
そのたびに政宗がものすごく強引な言い逃れをして助かっているので、氏郷としては相当ストレスが溜まったでしょうね。学級委員と悪ガキみたいな感じでしょうか。

どれだけの人を振り回したんでしょうかねw/イラスト富永商太

どれだけの人を振り回したんでしょうかねw/イラスト富永商太

 

最後に上洛したのは今生の別れだったのかも

文禄の役では名護屋まで出向くものの、体調を崩して文禄二年(1593年)11月に会津へ帰国。それから半年もしない文禄三年(1594年)春、養生のために上洛してきました。
会津に着いたのが11月なのか、名護屋を出たのが11月なのかで少し変わるかとは思いますが、移動時間を考えると、たぶん会津にいたのは1ヶ月あるかないかでしょう。雪の時期も挟んでますし。
上洛するより、湯治にでも行ったほうが良かったんじゃ……という気がしますね。会津から京都までの間にも、当時から知られていた保養地はいくつかありますし。

上洛して半年後に秀吉や諸大名を招いて宴を開いているが、その頃には誰の目から見ても「黙って首を横に振る」ような状態だったようです。
秀吉は方々から医師を招いて氏郷を診せたが、宴会からおよそ3ヶ月後の文禄四年2月7日に亡くなっています。
もしかすると、治らないことをわかっていて、今生の別れのために上洛したのかもしれませんね。(`;ω;´)

一応、現在では「氏郷の死因は直腸がんか肝臓がんだろう」と言われてはいるのですが、ここで久々に仮設を提示してみたいと思います。
氏郷は逸話が多く残っている武将の一人なのですけれども、彼の場合「部下にいかに気を使っていたか」という類の話が多いことが特徴です。

特に有名なものをいくつかピックアップしてみました。

 

氏郷の人柄が見える3つのエピソード

・戦国時代の議会制民主主義?

氏郷は月一で家臣を全員集めて会議をし、年齢や立場にとらわれない自由な発言を許していました。
その後は、自ら風呂の日を沸かして部下に入らせたり、料理を振舞っていたそうです。かいがいしすぎ。

・信じる者は結果出すんやで

筒井順慶(洞ヶ峠の人)のとある旧臣が蒲生家にやってきた際、臆病者と笑われていたが、氏郷はいきなり一部隊を任せました。
当然周りは反対したのですが、氏郷は押し切って戦を始めます。その後、その人物は大将首を二つも取る大手柄を上げました。
氏郷は「どんな人間でも、責任を与えれば必ず役に立つ」と信じてこうしたのだそうで。

これは、現代の心理学でも似たような話があります。
確か「才能があると名指した子は、それに応えるように良い成績や結果を出す」という話だったと思うのですが……スイマセン、例によって名前忘れました(´・ω・`)

・おサボりは許しまへんで!

小田原征伐の際、氏郷は自ら自陣の見回りに行きました。
そしてとある部下が支持した位置から離れていたので注意したのですが、帰りがけに再び見たところ、また持ち場を離れていたので手打ちにしたそうです。
氏郷は仏様じゃなかったみたいですね。まあキリシタンだし。

どの逸話も彼の人柄が伺える話なのですが、これだけ細々したことを気にかけているとなると、何だか気の休まらない生活をしてそうな感じがしませんか?
もしかして、氏郷はストレスや過労で命を縮めたのかもしれません。大腸がんも肝臓がんも、ストレスの影響が大きいといわれていますしね。他の病気にとってもストレスで悪化することは珍しくありません。

その場合、戦国時代の過労死……ともいえそうです。

長月 七紀・記

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参考:蒲生氏郷/Wikipediaより引用

 





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