ケネディ&オズワルド

ケネディ大統領(右)とその暗殺犯・オズワルド/wikipediaより引用

世界史

ケネディ大統領と暗殺犯オズワルドの二人に会った!そんな奴おるわけ……

世間って、広いのか狭いのか良く分からなくなる。

と言うか「そういう事ってあるんだなぁ」と唸ってしまう、事実は小説よりも奇なりという話。

殺されたジョン・F・ケネディ大統領と、殺したとされるリー・ハーベイ・オズワルドの両方に会って話をした事のある女性が今なお存命しており、事件50周年を迎えた2013年に新証言をしていました。

どちらか片方に会った人なら、今現在もまだいるでしょう。

しかし両者に会ったというのはかなりレアでは?

ネタを発掘してきたフォックス・ニュース(→link)に敬意を表したくなりました。

 

モスクワ大使館時代に亡命申請のオズワルドと

証言を寄せたのは、プリシラ・ジョンソン・マクミランという女性です。

年齢は85歳。

おそらく両方とも会った事がある人で存命しているのはマクミランさんだけだろうとフォックス・ニュースも認めてます。

なにしろ生前のオズワルドは、親しい人がほとんどいなかったようなので尚更でしょう。

まず、マクミランさんとケネディ大統領との関係から見ていきますと……。

マクミランさんはハーバードのリサーチャーとして働いていた頃、上院議員だったケネディと知り合いました。

アジア情勢について助言するのが役割。

有能な人だったのでしょう。

アイゼンハワー政権(つまりケネディ大統領前の政権)時代にも、モスクワのアメリカ大使館でポストが与えられます。

そのモスクワ勤務時代の1959年11月16日に、オズワルドと面会するのです。

 

ソ連に亡命したがっている男

オズワルドがソ連に亡命し、さらにその後、アメリカに舞い戻った事は有名ですね。

だからこそ暗殺事件後、当時のソ連が『ウチは関係してないからね』と、真っ先に声明を発表していました。

その出だしというか、大使館側が事情を聴取しようとしていたのが、11月16日だったのです。

ところがオズワルドは何も口を割らない。

大使館員も困り果て、ふとマクミラン氏の事を思い出し、連絡を取りました。

「ソ連に亡命したがっている男が、君の宿泊しているメトロポール・ホテルにいるんだけど、何も話そうとしないんだ。君は女性だから、ひょっとしたら口を開くんじゃないかなと思ってね」

大使館の職員は、そう話したそうです。

で、御本人の出番とあいなりました。

海兵隊員だったオズワルドは、アメリカ市民権を放棄してソ連に移住しようとしていた所でした。

ホテルの3階で面談に応じ、6時間余り話し込んだそうです。

「オズワルドは自分が何して良いのかが分かっていないように見えたし、実際何をしようとしているかという自覚も無かったようでした」

こう語るマクミランさんの目から見たオズワルドは「大学生みたいだった」そうで。

「丁度20歳を迎えた所でしたけど、見立ては10代の後半って感じでしたね。態度にしても、怒りっぽいとか、他人に大きな印象を与えようとかっ言うのではなく、どちらかと言えば控えめでシャイな風でした」

その点、ケネディとは正反対だったそうです。

大統領就任後も親しくしていたのですが、マクミランさんから見たケネディは好奇心の強い、カリスマ性のあるキャラクター。今も、ケネディの何がオズワルドに暗殺を決意させたのかを推測しています。

「ケネディは、質問魔でした。本当に沢山、私に質問を投げかけました。だから、自分が何故ああいう事になったのかについても知りたがっているだろうと思うのです。あの若者(オズワルド)が、外出した上で他の誰でもなく自分自身(ケネディ)を撃つしかなかったのは何故かと、知りたがっていると、今も思っております」

オズワルドの未亡人とも親しくなり

奇縁と言いましょうか。

マクミランさんは暗殺事件後にオズワルドの未亡人となったマリーナ・ポーターさんとも親しくなります。

遂にはテキサス移住し、彼女と同居。

『マリーナと私。ジョン・F・ケネディ大統領暗殺犯のリー・ハーベイ・オズワルドに潜む死を招く強迫観念と、苦しみの愛』
『Marina and Lee, The Tormented Love and Fatal Obsession Behind Lee Harvey Oswald's Assassination of John F. Kennedy.』

という本を1977年に書き上げます。

『Marina and Lee』(→amazon

この本によると、オズワルドの生涯と結婚生活にはトラブルが付きまとい、そうした悲運が暗殺に繋がっていったのではないかとマクミランさんは見ているそうです。

最近になってスティールフォース・プレス社から改訂版が発行されましたが、この中ではオズワルドは共産主義と、キューバのフィデル・カストロの魅力に取り憑かれ、妄想を抱いた、バランスを欠いた反逆者として描かれています。

アメリカにも深い憎しみを抱くようになっていたというのが、マクミランさんの見解です。

「彼はマルクス主義経済について話したがっていたようですが、私は乗り気ではなかった。知りたかったのは、彼自身の事なのに。アメリカには戻りたくないと話していましたね」

亡命の動機は「マルクス主義の理論にあり、自分は資本主義を憎んでいる」とも答えていたそうです。

オズワルドが最初にマルクス主義に触れたのは、ローティンでブロンクスに住んでいた頃だったそうです。

そこで彼が見たのは社会の金銭的な不平等。

当時、核兵器の機密をソ連に流したとしてジュリアス・ローゼンバーグとエセル・ローゼンバーグ夫妻が処刑された事も、ソ連への傾倒を深めた原因だったと話していたそうです。

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