皇帝の深部に食い込み、シロアリのように内側からズタズタにしてしまう。
宦官――。
日本でもよく知られた中国王朝の去勢官僚ですね。
後宮に入って皇帝や妃の世話に従事し、ときに意のまま操ってしまう腐敗の極み。
そんなイメージもあると思いますが、実際その通りだということは、以前、以下の記事で記させていただきました。
中国史に必ず登場する「宦官」の実態~特に腐敗がヤバいのが明王朝
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本日は、そんな外道な宦官の中でも、史上No.1とも言うべき腐敗of腐敗の男をカップルで紹介したいと思います。
明代の魏忠賢(ぎちゅうけん)――。
日本であれば戦国時代にあたる隆慶2年(1568年)~天啓7年(1627年)に生きたこの男、皇帝の乳母と手を組み、宮中を思いのままに操り、最終的に明の滅亡へと導いた生粋の悪者です。
では、一体どれほど腐っていたのか?
1627年12月11日はその命日。
魏忠賢の所業を振り返ってみましょう。
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キレたチンピラ、宦官になる
魏忠賢は、元はバクチ打ちのチンピラでした。
ある時、チンピラ仲間にボコボコにされた魏忠賢は、ついにキレました。
といっても、ナイフを握って相手を刺すわけではありません……振り下ろされたナイフが切り取ったのは、彼の股間にある大事なものでした。
「自宮」
つまりは自発的去勢でした。
キレて宦官になった魏忠賢は、宮中に入り込みます。
普通の宦官は、大抵が雑用係として一生を終えるもの。
しかし彼はツイてました。
彼の配属されたのは、調理担当でした。しかも皇太孫・朱由検(のちの天啓帝)の祖母・王氏の担当です。
もしここで彼がトイレ掃除なり、庭師なりでも任されていれば、運命は大きく変わっていたことでしょう。
皇帝やその親類に親しくなる調理担当は出世のチャンスがあったのです。
魏忠賢は上司にごまをすり、贈賄を使い、巧みに出世ルートへ乗りました。
ラッキーはここで終わりません。
万暦帝が崩御、その子・泰昌帝は「紅丸」というあやしげな薬を服用したところ、即座に死亡しました。
ちなみにこの紅丸の処方がおそろしいので、ちょっと掲載しますね。
・処女の経血(いきなりこれか……)
・烏梅(梅の果実を燻製にしたもの)
・人の尿(ギャーッ!)
・人の乳(それでもマシに思える)
・辰砂(やめとけよ)
・松ヤニ(なんでやねん)
こんなもん飲ませて殺す気か、とツッコミたいのですが、当時は有名な強壮薬であったようです。
そんなこんなで、16才の天啓帝が即位するわけです。
宦官と乳母の三角関係
この天啓帝は、16才という年の割に幼稚で、しかも重度のマザコンでした。
マザコンといっても、相手はろくに顔も知らない実母ではなく、乳母の客氏にべったりだったのです。
即位すると彼女に「奉聖夫人」という称号を贈ります。
客氏は男遊びが好きな性質。といっても、後宮に男はいないはず。
ただし去勢した者、つまり宦官はその例外です。
18才で宮中にあがった客氏は、皇帝の乳母といってもまだ若く、しかも妖艶な美貌の持ち主でした。
彼女は大物宦官の魏朝と関係を結んでいたのです。
このカップルの間に割って入るのが、魏忠賢。
宦官と乳母の三角関係……どうなっているのかと突っ込みたいところですが、ともかくそういう爛れた関係が成立してしまいました。
この三角関係の仲裁に入ったのは、宦官のリーダー格であった王安でした。
魏朝は身を引き、魏忠賢と客氏は夫婦となります。
宦官ってそもそも妻帯できなかったのでは?という疑問が湧きそうですね。
実は、特定の宮女とステディな関係になることを「対食」(たいしょく・時代がくだると「菜戸=料理を作る人」)という名前で呼んでおり、場合によっては本物の夫婦よりも情愛が深いようなカップルもいたそうです。
しかし魏忠賢と客氏は違いました。
愛情は深いかもしれませんが、国を傾けるワル夫婦。
殷の紂王と妲己は伝説的なワルカップルですが、魏忠賢と客氏は実在が確かで、かつ王朝を滅亡に追いやる一因となった組み合わせなのです。
「王安が邪魔よ。あんたが宦官のトップになるためにも、あいつを始末しなさいな」
魏忠賢は恩人でもある王安を殺すことをためらいましたが、けしかけられてついに手を下しました。
宦官の頂点に立つ男と、皇帝の乳母。
おぞましくも最強のカップルが誕生したのです。
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