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【ヴィクトリア女王】
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輝ける治世になると誰も想像できず
イングランドの皇太子は「プリンス・オブ・ウェールズ」と呼ばれます。
そのため、女性の王位継承候補者は女性形の「プリンセス・オブ・ウェールズ」と勘違いされることがありますが、この称号は皇太子妃のものであるため、ヴィクトリア女王やエリザベス二世は該当しません。
即位前の彼女はあくまで「王位継承権第一位の王女」でした。
年老いて奇矯なところがあったウィリアム四世が崩御し、わずか18歳の若き女王が即位した時、イギリス経済はどん底で誰もが不安を抱いていました。
産業革命でリードしていたイギリスですが、戴冠式が行われた1838年は他国も追いついて来ました。
さらに全国的な不作も追い打ちをかけ、イギリスはどん底ともいえる経済状況だったのです。
ディケンズが貧民の窮状を描いた『オリヴァー・ツイスト』を発表したのもこの頃。本作を愛読していた女王は民の困窮に心をいため、政治家に改善を訴えたこともあったそうです。
とはいえこの貧困層への感心は一時的なものだったようです。即位50周年の際にスラムを視察した時には、不快感を示すだけで、そこで生活する人々の苦境に対しては無関心でした。
そこから一転して大英帝国は黄金期を迎えますが、これはヴィクトリアの政治的手腕によるものではありません。
ヴィクトリアは政治的なセンスはそれほど優れておらず、頑固で人を好き嫌いで判断し、ウィリアム・グラッドストンのような有能な政治家を疎外したこともあります。
また後年、喪に服して公務を軽んじていると国民に不満を抱かれました。
あくまで彼女は大英帝国の象徴であり、舵取りを担ったわけではありません。
最愛の夫・アルバートとの結婚
ヴィクトリアの結婚相手は、ザクセン=コーブルク=ゴータ公子アルベルトでした。
彼女はイケメンに弱く、相手が美形だと評価が甘くなることが、日記を読むとわかります。
アルベルトのイケメンぶりに、ヴィクトリアはすぐに惚れ込み、亡くなるまでの17年間、熱烈に愛し続けたのでした。
ヴィクトリアとの結婚で、英語読みのアルバートと名乗るようになった彼には、自由も妻との新婚生活を楽しむ余裕もありませんでした。
生真面目なヴィクトリアは政務を優先してしまい、新婚旅行も甘い生活もおあずけだったのです。
おまけに外国からやってきた彼には宮廷内に居場所もなく、孤立。
そんな二人ですが、子宝には恵まれました。
結婚生活の17年間に4男5女を授かります。
悲劇の血を継ぐヴィクトリア「血友病」の恐怖がヨーロッパを襲う
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これだけ子宝に恵まれたのも、ヴィクトリアが健康であったことも大きいのでしょう。
女王の侍医たちは女王の苦痛をやわらげるため、世界初の無痛分娩を行ったといわれています。
夫妻の家庭は当時の理想とされましたが、女王本人は「うまれたての赤ん坊は醜くてかわいいと思えない」というなかなか辛辣な言葉を日記に書き残しています。
この出産ラッシュに救われたのはアルバートでした。
女王の妊娠出産の間、女王の補佐役として注目をあびたのです。
補佐としてふるまううちに、アルバートの高い政治能力が周囲にも目に見えるようになりました。
アルバートは女王のお気に入りであったメルバーンと対立したピールが苦手でしたが、アルバートはピールの政治力を見抜き、女王に推薦します。
メルバーンからピールへの政権交代がスムーズに進んだのは、アルバートの尽力もあったのです。
白いウェディングドレスも由来
ウェディングドレスといえば白が定番ですが、実はこれもヴィクトリア女王の結婚式が由来です。
それまでのドレスは、花嫁が持つ気に入ったドレスであればどれでもよかったため、特に色は指定されていなかったのです。むしろウェディングドレスに白はあまり用いられていませんでした。
ところが、女王が敢えて白を用いたことで当時の富裕層を中心に人気の色となり、定番色として定着するまでになったのです。
木の化石である宝石の一種「ジェット」も、ヴィクトリア女王が夫の喪に服した際に用いたことから人気が出たと言います。
彼女のファッションは世間の女性にとって注目の的でした。
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