サン・バルテルミの虐殺

サン・バルテルミの虐殺/wikipediaより引用

フランス

結婚式を機に国中大虐殺!サン・バルテルミの虐殺からユグノー戦争へ

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めでたいはずの結婚式が惨劇の場に

1572年、8月24日。

その日は聖バルトロマイ(フランス語でサン・バルテルミ)の祝日前日にあたりました。

めでたい婚礼のため、招待客が続々とパリへ。

その中には、マルゴの初恋の人であるギーズ公アンリの姿もありました。そして、ユグノー派指導者のガスパール・ド・コリニー提督の姿も。

ここで事件が起こります。

コリニーが窓の下を通過中、狙撃手が彼を撃ったのです。

致命傷を負わなかったものの、事態はこれでおさまりません。

「怒ったユグノー派が殺しにくるゾ! 殺られる前にやれ!」

マルゴの兄・国王シャルル九世とその側近、そしてカトリーヌはそう判断し、先手を打つことにします。

コリニーの元にギーズ公アンリの兵を送り込んだのです。

ギーズ公アンリは、父の暗殺に関与したとされるコリニーを憎んでおり、兵たちはコリニーの元へと殺到。

病床で治療にあたっていたコリニーは敢えなく惨殺され、首を落とされてしまいます。

胴体はバラバラにされ、焼き捨てられました。

カトリーヌは、これで殺しの連鎖を止めたかったのかもしれません。

しかし逆効果でした。

「ユグノーの指導者が殺されたということは……」

「ユグノーを殺していいってことだろう!」

そう考えたカトリックたちは荒れ狂ってユグノー教徒を虐殺し始めるのです。

パリだけでも2千人から1万人。

この「サン・バルテルミの虐殺」と呼ばれる惨劇は、フランス全土に広がって「ユグノー戦争」へと発展し、各地で殺戮されたプロテスタントの数およそ5万人とされています。

一体これはどういうことなんだ?

フランス全土のみならず、ヨーロッパ中が恐怖のドン底にたたき落とされました。

宗教戦争のもたらした惨劇は続き、最終的には300万人が犠牲になったと伝えられます。

フランス人が“トコトン争う”という性質も影響したのでしょう。

また、豊かな穀倉地帯を持つフランスはそもそも人口が多いため、内戦が起こると犠牲者数が莫大なものとなります。

 

不幸な結婚式の後、どうなったの?

ここで忘れ去られがちなのが、結婚式をぶちこわされたナバル王アンリと王妃マルゴです。

アンリは虐殺の最中、カトリックに改宗してやっと命が助かりました。

マルゴは虐殺の最中、寝室に逃げ込んで来たプロテスタントを匿いました。

カトリーヌは娘のマルゴにこう尋ねます。

「結婚はなかったことにしましょうか?」

するとマルゴは断りました。

「母上、もう無理です。私たちは既に閨をともにしています!」

しかし、ここで断っていたほうが、彼らは幸せだったでしょう。

こんな酷い目にあえば当然といえば当然ですが、二人の仲は冷え切ってしまいました。

口論を繰り返し、互いに公然と愛人を作るのです。

 

結局2人は離婚 マルゴは「淫乱マルゴ」と呼ばれ……

二人の間に子は産まれず、アンリは離婚しようとします。

しかしそうなると、カトリック教徒ですのでなかなか面倒なことになります。

そこでアンリは、カトリーヌの実家であるメディチ家(フランス語読みはメディシス)からマリーを娶ることにしました。

莫大な財産を持つメディチ家であれば、離婚のためローマ教皇にもかけあってくれるだろうと読んだのです。

これは当たりました。

アンリとマリーの間には無事世継ぎが生まれ、彼がのちのルイ13世になります。

多くの愛人を作ったマルゴは、彼らとともに悠々と生き、かなりの長寿を保ちました。

マルゴは「淫乱マルゴ」と呼ばれてあきれられるほどでした。

しかし、結婚式を実母、実兄、初恋の人に、よってたかって無茶苦茶にされたのです。

タガが外れてしまったところで誰がマルゴを責められましょうか。

結婚式で新郎が新婦の右側に立つのは、右手に剣を持って新婦を守る為だそうです。

しかし歴史的に、ぶち壊された結婚式を見ていると、守る間もなくアウトではないか?という気がします。

襲撃相手は多人数で飛び道具。

剣を持って守るなんてトロいことを言っていないで、謀略をめぐらせ、事前に察知するのがよいでしょう。

いやいや、その前に宗教的対立は避けてしかるべきですね。

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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link

【参考】
マシューホワイト/住友進『殺戮の世界史: 人類が犯した100の大罪』(→amazon

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