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松平直矩/wikipediaより引用

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その日、歴史が動いた 江戸時代

引越し大名・松平直矩(なおのり) 父・直基の代から7回もの転封で財政ボロボロなれど……

更新日:

れっきとした徳川家の血筋だったが

業界にもよりますが、会社員には転属がつきものですよね。
時には単身赴任になったり、家族ごと引っ越さざるをえなくなったり。現代人でも長距離の引越しとなるといろいろ大変ですから、お偉いさんや、かつての武家ならいわずもがなです。
江戸時代にも短期間で何回もの引っ越しを強いられた家がありました。
一体どのような経緯でそうなったのでしょうか。

元禄八年(1695年)4月25日は、松平直矩(なおのり)が亡くなった日です。

名字でわかる通り、徳川家の流れをくむ血筋の人ですが、父親の直基(なおもと)の代から苦労続きでした。
その辺から話を始めましょう。

 

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祖父は結城秀康 つまり曾祖父は徳川家康さん

直矩の父・直基は、何かと不憫な結城秀康の五男です。
不憫とは、父の家康から疎まれるような扱いをされていたというもので、詳細は記事末に【関連記事】を掲載しておきます。

義理の祖父である結城晴朝に育てられた直基は、成長した後は晴朝の隠居料である5000石を相続しました。

晴朝は秀康の長男・忠直があっさり松平姓にしたことにショックを受けており、家康に願い出て直基を引き取ったのだそうです。五男というと、当時の感覚では部屋住み=穀潰し扱いまっしぐらの生まれ順ですから、晴朝が孫を哀れんで遺産を残した……という面もあったかもしれません。
直基もその恩を返すためか、松平姓を許されても結城家の家紋を使い続けたり、結城家の祭祀を継いだりしています。

しかし、その後、実に4回もの転封をされております。

寛永元年 (1624年)越前勝山藩3万石
寛永十二年(1635年)越前大野藩5万石
正保元年 (1635年)山形藩15万石
慶安元年 (1648年)姫路藩15万石

地域性も何もあったもんじゃない、無茶苦茶ぶりです。
越前勝山藩や大野藩は、元々秀康の領地の一部だったので不自然ではない……とみることもできますが、山形藩や姫路藩はこの時期に限らず、いろいろな大名がしょっちゅう出入りしている難しい土地柄でした。

石高だけ見れば加増なれど、これでは引き渡しの事務や出費ばかりがかさんで、内政どころではありません。
直基はそれでも行く先々で藩政に励んでいました。

しかし苦労がたたってか、姫路藩への国入りをする旅の途中で亡くなってしまいます。

 

越後騒動に巻き込まれ、再びアッチコッチの流転

このとき、長男である直矩はたった5歳でした。
そして「姫路は重要な場所だから」という理由で、翌年には越後村上藩に転封されています。

成人してから改めて姫路藩に封じられたものの、今度は本家にあたる越後高田藩で越後騒動が起きてしまいました。

直矩は、越前松平家の親戚である松平近栄と共に越後騒動の仲裁に入ります。しかし、幕府から不手際を咎められて減封・閉門(昼夜ともに外出を許さないという刑罰)を申し付けられます。
そして父同様、あっちこっちの藩へ転封させられました。

天和二年(1682年)豊後日田藩
貞享三年(1686年)出羽山形藩(3万石加増)
元禄五年(1692年)陸奥白河藩(5万石加増)

格式の上では元に戻ったものの、父・直基の代から実に7回も移転させられたせいで、財政は見るも無残な状況に。
世間からも「引っ越し大名」などとpgrされて散々なものです。直矩個人の失政ではないのに、ひどいものです。

 

直矩の辛抱強さや優しさはハンパじゃない!?

しかし直矩はつまらない悪評は気にせず、真面目に仕事に励んだようです。
家臣の給料を削ったせいで反発されたこともありましたが、お家騒動や事件にまでは至っていないので、深く恨まれることはなかった……のでしょう。

功績と呼べるほどのものはありませんが、17歳から54歳で亡くなるまで「大和守日記」という自身の日記を書き続けていることは、後世からするとありがたいことです。
これには日常の藩政や天気のことから、鷹狩・観劇などの気晴らし、お家騒動までのことが書かれており、江戸時代初期の大名の生活が手に取るようにわかります。

ちょっと変わったところでは、「江戸詰の藩士の気晴らしのため、人形浄瑠璃の一座を屋敷に呼んだ」なんてことも書かれています。
直矩自身が観劇や音楽を好んだためでしょうが、当時の観劇は庶民的な娯楽でしたし、少なくとも良かれと思ってやったのでしょうね。

江戸時代の大名家では、主君に不満を持って逆らう家臣や、藩主自身がヤケになって放蕩に耽るケースが少なくありません。

そこを考えると、直矩の辛抱強さや優しさは特筆してもいいような……。

長月 七紀・記
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参考:松平直矩と村上―『松平大和守日記』を読む―(pdf) 松平直矩/wikipedia 今日は何の日?徒然日記

 

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