世の万人が「偉大な人物」と絶賛して止まないのが、インドのマハトマ・ガンジー。
徹底した非暴力主義で、遂には英国から悲願の独立を果たせたのも、この人がいればこそです。
その徹底した平和への情熱を示す文書が、改めて英国などで話題を集めています。
第二次世界大戦への緊張が高まる中、なんとあのアドルフ・ヒトラーに書簡を送り、イケイケの軍事路線を諫めていたというのです。
「しょせん相手は聞く耳無いのに」
そんな風にお思いの方もおられましょうが、いやいや、昨今流行のポジショントークにとどまっていないのですよ。
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親愛なるヒトラー殿よ 私の声をお聴きになりませんか
ニュースを報じている英国のガーディアン紙も驚きの論調。
そらそうでしょうな。私も初耳でしたし、ビックリしましたもん。
これがその全文です。歴史文書ということで用させて貰います。
日付を見ると、1939年7月23日。
ポーランドのダンチヒ回廊返還を要求して、欧州に緊張が高まっていた頃です。
この約1ヶ月後に、有名な独ソ不可侵条約が締結され、一挙に戦争になだれ込むというのが、当時の状況。つまり、世界が固唾を飲んで様子を見守っていたときのことでした。
ガンジーがヒトラーに送った手紙には、ざっと、こんな事が書かれています。
『親愛なる友よ。
人道を求める見地から、貴殿に書簡を送れと友人が促しております。しかし私としては、そうした求めに抵抗してきました。というのも、私からの如何なる手紙も横柄だと貴殿はお感じになられるからだろうと。(しかし)何かが私に対し、謀り事などせず、そうする価値があるのであれば訴えかけなさいと告げたのです。
今日、貴殿が人道を損ない奴隷状態へと貶める戦争を避けられる人物の1人である事は明らかであります。どれほど貴殿にとって価値があろうとも、この事に対して代償を払わねばならないか御自覚がおありでしょうか? 無視できない成功抜きで、戦争という手段を故意に避けてきた人間(訳注:ガンジー自身を指す)の声をお聴きになりませんか? もし私が貴殿に書簡を送るというのが過ちであるのなら、伏して許しを乞うところであります。
ドイツ・ベルリン ヒトラー殿
貴殿の親愛なる友人である事を留意しつつ
マハトマ・ガンジー』
英国政府の妨害でヒトラーの目には届かず?
いやー、それにしてもビックリ仰天ですね。
相変わらず上手に訳せなくてすいませんが、この書簡、どうやら本物。というのも、ガンジーにゆかりのあるマニ・バワン・ガンジー博物館に堂々と展示されているからです。しかも、2通書いたらしい。
しかし、悲劇というか、ヒトラー本人が目にする事は結局無かったそうです。
worldofwonder.netというサイトの情報によると、当時の英国政府が妨害したのが原因らしい。
皮肉な事に、ポーランド問題で関係が悪化し、最終的に対英戦争に突入したものの、ヒトラー自身はインド独立問題に関しては無頓着。
それどころか、1938年に英国のハリファックス卿に送った書簡の中では、大英帝国の領土保全に異存は無いとしただけでなく、当時独立を叫んでいたインド国民会議派に対し、ヒトラーなりの処方箋を進呈したそうです。
つまりこうです。
他の指導者ともども、ガンジーを殺してしまえばどうですか?と(http://koenraadelst.bharatvani.orgによる)
やっぱ、言う事が過激ですなぁヒトラーは。
恐らく、ガンジー自身は、このアドバイス?を知らなかったのでしょう。
2通目はクリスマス・イブに
先にも書きましたが、ガンジーは書簡を2通したためました。その2通目は何時出したか? 戦争が始まった、1940年の12月24日だったのです。つまり、クリスマス・イブ。
当時と言えば、独ソ戦も勃発せず、欧州大陸は枢軸国側優位の状況。そうした中「キリスト教徒が武器を静まらせる」とのガンジーなりの考えがあったにせよ、書簡を送るというのは物議を醸したようです。
で、この時は前回の「我が友よ」からグレードアップ?して「誠実なる我が友よ」という書き出しだったものですから、「幾ら何でも」という事になったらしい。ガンジー自身も釈明を余儀無くされています。
曰く。通り一遍の挨拶として「友よ」と書いているのでは無い。私には、そもそも敵がいないからだ。私は、人種や肌の色、宗教上の信条を問わず、人類が互いに仲良くなるべきだという完全なる人道主義として友人作りをしてきた。それが私の生涯の中で33年間やってきた仕事だ、と。
そして、「普遍的な平和というドクトリン」を呼びかけたそうです。自分と主義信条が違うからとして、憎悪の念を向けるな、と。ある意味、第二次世界大戦後の平和秩序を彷彿させる理念ではあります。
何しろ、こう続けていますから。
「貴殿の唱えるファーザーランド実現への献身と勇気について、我々は何ら疑いを持ちません。貴殿の敵によって、怪物として描かれている貴殿の姿を信じもしておりません」
しかし、和平に転じる機会を諦めてはならないとし、当時既に公けになっていたナチスの姿勢を突きます。つまり強者には弱者を制圧する権利があるとする姿勢です。
「しかし、貴殿の著書や声明、および貴殿の友人や支持者らには、人類の尊厳とは真逆の怪物的な振る舞いにしか見えません。その事に疑問の余地が無いのです。特に、私のように人類の友情を信じる人間についてどう思っているかについても、同様に疑えません。具体的にはチェコスロバキアへの屈辱的仕打ちや、ポーランドの強姦(原文ではthe rape of Poland)、そしてデンマークの併呑などが挙げられます。まるでそうする事が高潔な行為であるかの如く、略奪をするという貴殿の人生観に、私は気づいております。しかし、我々は子供の頃から、こうした行動は人としての品位を下げると教えられてきました」。
そして、遂にはここまで言い切ります。
「故に我々は貴殿の軍事的成功を認められません」
ガンジー、さすが ヒトラー相手に真っ向から
破竹の勢いだったヒトラーに向かって、書面でここまで論難する当たり、流石は絶対平和主義者と言われたガンジーだけの事はありますね。
「しかし、我々の地位は特殊なものです。我々はナチズム同様、英国の帝国主義に抵抗しております」
ガンジーの目からすれば、ナチスも英国の帝国主義も似たりよったりだったのでしょう。
「両者に違いを見出すとしたら、支配の程度でしょう。人類の5分の1を占める人々(インドを指す)は、厳しい調査には耐えられないような手段で、英国の靴の下に押さえ込まれています」
としながらも、力には力をという姿勢は取らない事を書簡では記しています。
「我々は英国の人々を害するような手立てで抵抗はしておりません。戦場で打ち負かすのではなく、出ていって貰う事を求めているのです」
同じ事をヒトラーさん、貴殿もやって欲しい。そう言ってるのですね。
実際、ガンジーはドイツの助力で自由を得るという考えを拒絶しています。「英国の膝下に置かれる事が、我々と非欧州人にとって何を意味するかは分かっています。しかし、我々は決してドイツの援助で英国の支配を脱したくありません」。
代わりにガンジーがヒトラーに説明したのは、非暴力主義は「世界の最も暴力的な力を合わせた相手にも」勝てるだろうとの見通しでした。
つまりこうです。暴力に訴えて勝てたとしても、次に力に優る相手が出てくれば負けるではないかというのがガンジーの見方でした。実際、ナチスの末路を見れば、そうなってしまったと言えましょうし。
「英国人では無くとも、他の国の力が貴殿の手段を阻み、貴殿の持つような武器で貴殿を打ち負かすでしょう。貴殿は後世に誇りを以て示す事が出来そうな遺産を残せないのです」。
この下りは、後に暴露される強制収容所の実態を思えば、非情に暗示的ですね。
緊迫のときにこそ平和は唱えられるべきかと
この書簡が届いたかどうかは不明です。ガンジーへの英国の官憲の監視を思えば、陽の目を見たかどうか。
ちなみに、ヒトラーはクリスマスという風習が大嫌いで、政権を取る前はイブの夜に側近に命じて深夜のドライブに耽っていたそうですから、書簡の日付を見て眉をしかめたかもしれませんね。
…それにしても思う。
昨今、日中間がきな臭いのは皆さんも御存知でしょう。そうした中で、今まで平和を唱えてきた人が、急に沈黙している事を私は残念に思います。今こそ、ガンジーのように身の危険を顧みず、しかし、相手に言うべきは言うとの姿勢を示す時では無いのでしょうか。そうでなくして、平和を口にしたところで、誰もついてこないのではないでしょうか?
皆さん、いかがお思いでしょうか。
南如水・記