世の中、本人に何の落ち度も無いのに、生まれながらに重い十字架を背負っている人がいたりしますよね。
今回は、第一次世界大戦のせいで、そうした十字架を背負う事となってしまった、ある男性の一生に注目してみましょう。
ドイツに占領されたフランス北部で出生
1918年3月18日、ベルギーとの国境に近いフランスのスボンクールという街で、男の子が生まれます。
ジーン・マリーと名付けられていました。
母親は、シャルロッテ・ロブジョという、当時20歳の女性。
父親は「名前の分からぬドイツ兵」と、役所には届けられていたそうです。
スボンクールは、北フランスにあります。
つまり、第一次世界大戦でドイツ側が占領していた地域。
このスボンクール近くのスクランやフルネ=アン=ヴェップ、ヴァヴラン、アルドーイェ(ベルギー)などを1916年から17年にかけて転戦していたのが、若き日のアドルフ・ヒトラーでした。
ロブジョはダンサーを職業としていました。
どこでどう出会ったかは分かりませんが、恐らくどこかで踊っていた所をヒトラーが見そめたのでしょう。実際、2人がデートしている所は複数の人に目撃されているそうです。
しかし戦後、ドイツ軍は当然の如く撤退。
故郷に居づらくなったのか、出産後のロブジョはパリに引っ越します。
ジーン・マリー君は、ここで祖父母らと共に幼少期を過ごします。
やがてロブジョは、1922年にクレメント・ロレットという男性と結婚。
「連れ子の面倒は見る」との申し出に感動してのゴール・インだったそうですが、こうなると逆に「ボクの本当のお父さんって誰なの?」とは訊きづらくなってしまいますよね。
いざ結婚生活が始まると、ロレットの祖父から虐待を受けるなど、辛い生活だったようです。
第二次世界大戦でレジスタンスとして抵抗
ジーン・マリーは1936年に入隊し、軍曹として働き、除隊後は鉄道員になります。
そうこうするうちに、第二次世界大戦が勃発。
電撃戦でフランスが降伏すると、今度は占領軍に協力をさせられました。
ゲシュタポ関係の業務を請け負わされたそうですが、戦後になって「対独協力者」として訴追されてはいません。
というのも、密かにレジスタンスのメンバーになっていたようなのですね。面従腹背と言えましょうか。
一歩間違えばドイツ側から、また、そうした役割をしていると知らないレジスタンスの同志からも狙われる危険性がある、実に危険なポジションでした。
捕まって白状されてもダメージを最小限に抑えるために、横同志の連絡は禁止されていましたし、必要最小限の事しか知らされていなかったのですから仕方ありません。
臨終の母に「お前の父親はヒトラーだよ」
ジーン・マリー当人にしてみれば、父親がドイツ人だと戸籍で分かっている以上、余計にフランスへの忠誠心を示さねばならなかったのでしょう。
それゆえのレジスタンス活動となり、心中密かに自負する所もあった所に、驚愕の展開が。
53歳という若さで死に至る病を得てしまった母親が、臨終の席で本人に打ち明けたのでした。
「お前の実の父親はヒトラーなのよ」
「言われてみれば……」と、鏡を見た事でしょうか。当人の心中は、察するに余りあります。
アルファベット表記では「Jean-Marie Loret」。
「Hitler」を追加して、グーグルで画像検索すると、こんな結果となります(→link)。

「Jean-Marie Loret Hitler」画像検索の結果
DNA鑑定とか言い出すまでもありませんわね。
血は争えないと言うか……似なくても良いのに、神様って酷いなぁ。
ジーン・マリーには息子、つまりヒトラーの孫にあたる人物もいました(検索結果にはお孫さんの写真比較もあります)。
1970年代にドイツのマスコミがかぎつけ
ヒトラーは、愛人だったエバ・ブラウンとの間に子供を残していた節がありますが、その後の経緯がハッキリしません。

ベルクホーフでのヒトラーとエバ・ブラウン/wikipediaより引用
つまり、ジーン・マリー・ロレットだけが、現時点で確認できる唯一の子孫。
反独感情が強く残ったフランスでは、こうした出自がバレると危険極まり無いのは言うまでもありません。
ところが、人の口に戸は立てられず、スボンクールでは噂になっていました。
それを知ったのが、ドイツ人の歴史家、ウェルナー・マーザーです。
「ヒトラー伝」などで名高い人ですが、この人がヒトラーの転戦先の1つであったヴァヴランを1965年に現地調査した際に噂を知り、ロレット本人にもあった上で「世に公表するべきだ」と確信。
マーザー自身が史料などを確認し、ドイツで事実が知らされたのが1970年代初頭のことでした。
以降、ドイツの雑誌や、歴史誌などで相次いで紹介されていきます。
もっとも一連の事態を巡っては、歴史家の中から「マーザーはセンセーショナリズムを追いかけすぎだ」との批判もあったそうです。
ロレット本人にとってトドメの一撃となったのは、ドイツのハイデルベルグ大学で行われた医学鑑定。
「父親はヒトラーに間違いありません」という告知でした。
ヒトラーは息子の存在を知っていた?
そもそもヒトラーと母親は、どこで出会ったのか?
どうやら、最初の出会いは1916年、ベルギー国境に近いプレモンという街だったようです。出産の2年前ですね。
以降、転戦先でも会っていた模様で、そうこうするうちに男女の仲になったのでしょう。
で、ヒトラーはロブジョの事を覚えていた。
というのも、フランス陥落後に彼女はサナトリウムに入り、この時にヒトラーが口利きしていた模様なのです。
また、ゲシュタポもフランス占領地の本部があったパリにロレットを連行し、尋問。
ジーン・マリー・ロレットはゲシュタポに協力しろとも言われました。
そこで面従腹背を決意する訳ですが、本人はどうやら「俺の父親がドイツ人だから、使えるとでも思っているようだな。そうはさせないぞ」ぐらいの気持ちだったのでしょう。
考えて見ると、著書『我が闘争』では人種の純粋性を主張していたのがヒトラーです。
フランス人を「猿」と罵倒する事もあったそうで、そういう言動やイデオロギーのくせして「お前、フランス人と子供まで作ってるやんけ!」となれば、それこそ政権の根幹を揺るがす大スキャンダルになります。
神経を使うのも、むべなるかな。
そして裏付け史料が乏しかった所に新たな展開が見られたのは1985年2月15日のことでした。
決め手は下手なヒトラーの肖像画?
1985年2月15日、ロブジョを描いた肖像画が見つかったと、英国のデイリー・エクスプレスが報じました。
この肖像画は、ライバル紙のデイリー・メール(→link)でも紹介。

via dailymail.co.uk
これがハッキリ言って、下手ですよね。恋人なんだから、もっと綺麗に描けなかったのかなぁ。
しかし、絵描きを目指していた割には「人物デッサンが下手だった」というヒトラーの特性と一致して、決め手となった感じではあります。
なお、このデイリー・メールではロレットの息子さん、つまりヒトラーの孫になるフィリップ氏にインタビューしています。
フィリップ氏が、自分のルーツをロレットから知らされたのは1972年、16歳の時でした。晩食の席で、不意に打ち明けられたのですって。
「その時は凍り付いてしまったし、今でもどう反応して良いのか分からない」
自宅での写真撮影に応じていますが、背景にはヒトラーの写真が飾られています。

via dailymail.co.uk
ロレットほどでは無いにせよ、目元がヒトラーの面影を残していますね。
フィリップさんにしたら、色んな葛藤があったのは言うまでもありません。
「ヒトラーは我が家の一員だ。だから壁に飾っているんだ。孫として生まれたのは私の落ち度では無いし、戦争さえ起きなければ、そうなってもいなかった。ヒトラーのした事は私には関係無い。(しかし)私にとって彼は何時も家族である」
ヒトラーに関する著書を40冊以上も読んでの結論です。
なお、フィリップさんは21歳の時に結婚し、奥様は亡くなられていますが3人の子宝に恵まれています。
ロレット自身は少なくとも1回結婚し、9人の子供がいて、その1人がフィリップさんという訳ですね。
一方、ヒトラーの親族はオーストリアとアメリカのロング・アイランドで暮らしており、そうした人とフィリップさんらのDNAを追加鑑定したところ、やはり結果は「クロ」だったそうです。
「親を選んで生まれて来る事は無理だからなぁ」
ロレットは1985年にこの世を去ります。
死の4年前に『父の名はヒトラー』(Ton père s'appelait Hitler)という回想録を出版し、世界的に話題となりました。
その生涯で、一度も実の父親と会う事の無かったロレットですが、1978年に当時の西ドイツのダッハウ強制収容所をマーザーと一緒に訪れた際、ポツリと語ったそうです。
「親を選んで、生まれてくる事は無理だからなぁ」
返す言葉が無いですね。
なお、ヒトラーはフランス語が一切話せず、また子を産んだロブジョもドイツ語が全く無理。
それでも、出来ちゃう時は出来ちゃうんですね。
ちなみに、上記のデイリー・メールによると、フィリップさんはヒトラーの娘と会った事があり、その際「戦時中、フランスにヒトラーの子供がいる事を父親から聞かされていたわ」と言われたそうです。
また、フランスを占領していた時期、ロブジョにドイツ政府から定期的に仕送りがあったのだとか。
ヒトラーなりに男のケジメを付けようとしたのか、それとも口止め料だったのか。
孫のフィリップさんの台詞が、印象的です。
「そうした血が流れているのは知っているけど、私は生まれてこの方、悪事に手を染めた事は1度として無い」
ただし、家で政治の話はタブーなんだとか。
「私の政治信条は中道からやや右だが、極右なんかじゃあ無い」
そう答えられています。
お孫さんもまた、十字架を背負って人生を歩んでおられるのですね。
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【参考】
Dailymail.co.uk(→link)





