鎌倉時代はイケメン最強か

木曽義高(左)と鵯越で馬を担ぐ畠山重忠/wikipediaより引用

源平・鎌倉・室町

なぜ鎌倉時代はイケメン武士が重用されたのか 室町時代以降は何が重視されたのか

2022年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』では、木曽義仲の息子・木曽義高(市川染五郎さん)の美童っぷりが話題になりました。

あるいは畠山重忠(中川大志さん)が「男前だから」という理由で鎌倉入りの先頭に立たされたケースもありました。

イケメン賛美!

イケメン最強!

こうした描き方は、昨今、世界中で注目されている

「ルッキズム(人を外見で判断する)」

からすると、おかしくないか? ドラマの倫理観はどうなっているんだ? という印象を漠然なりとも抱かれたかもしれません。

しかし当時は、こうした考え方が主流であり、同時に問題視されつつある過渡期でもあったのです。

では、人はいつからイケメン最強でもなくなったか?

如何にして判断基準の多様性が広まったのか?

当時の状況を振り返ってみましょう。

 


お隣中国では美顔から頭脳へ

まずは比較のため、お隣中国について少々触れてみたいと思います。

三国志』の英雄である曹操は、こう言われてきました。

「曹操は英雄とはいうものの、容姿は貧相で、コンプレックスがあったんだって。異国から使者が来たら、替え玉を使ったこともあったというよ」

当時はまだ人の評価基準が不明瞭で選択肢がなかったので、漢代の役人は美男が優遇される、露骨な顔採用がありました。

他者の能力を重んじた曹操は、乱世においてそんなルッキズムを打破したようでいながら、周囲からは容姿をジャッジされていたのです。

彼やその子や孫が生きていた魏晋時代は中国史上最もルッキズムが激しく、表舞台にイケメンが多い時代とされています。

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しかし時代が降りますと、同じような偉人のギャップでも、こう語られます。

文徴明は“四絶”、すなわち詩、文、書、画に才能を発揮した偉大な人物です。それなのに何度科挙を受けても落第しっぱなしだったんですよ」

科挙――この試験制度ができて以来、中国のエリートは見た目よりも、まずは「科挙に合格できたかどうか?」で判断されるようになりました。

いくら才能がある人物でも、落第を続けたら「残念な人」扱いをされてしまう。

判断基準が実力、試験結果になったということですね。

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前置きが長くなり失礼しました。

それでは中世の日本では、人の判断基準はどうな風に培われたのか?

というと、こちらも明確な価値観は確立されておらず、特に坂東武士ともなればルッキズム禁忌なんてどこ吹く風とばかりに容姿が話題になりました。

前述のように『鎌倉殿の13人』でも特徴的なシーンがありましたね。

木曽義高の美男ぶりに、うっとりする北条政子たち。

討ち取った木曽義仲が美男であったかどうか、源頼朝が尋ねる場面。

こうした表現が多いのも、当時ならではの価値観と言えるのです。

ではなぜ、中世の人々にとって容姿は重要だったのか。

 


ともかく見た目が重要だった中世

平安~鎌倉期の日本において、ルッキズムについて疑問を投げかけたら、むしろ怪訝な顔をされたことでしょう。

代表作品である『源氏物語』にせよ『枕草子』にせよ、美形であることが重視されています。

例えば以下の記述などがそうです。

説経の講師は顔よき。講師の顔をつとまもらへたるこそ、その説くことのたふとさもおぼゆれ。

【意訳】説教をするお坊さんはやっぱりイケメンでしょ。イケメンだからこそ、トークの中身も聞く気がでるよね。

『枕草子』第三十段

いかにありがたいお説教だろうが、イケメンでないと聞く気が起きない――そんな心理が素直にあらわれています。

僧侶側もそうした事情を意識していたのでしょう。

見目麗しい少年を確保し、行事に並べることがステータスシンボルになっています。

ゆえに京都の朝廷では、武士にも同様の要素を求めました。

ズラリと居並ぶボディガードはイケメンであった方が断然いい!

顔採用はむしろ当然であり、さらには、そこから深い仲に発展する事例もありました。

木曽義仲の父であり、源頼朝にとっては叔父にあたる源義賢は、仕えていた藤原頼長との関係が、頼長の日記『台記』に記されています。

そんな京都育ちの源頼朝がルッキズムを重視することは自然なことでしょう。

大河ドラマ『鎌倉殿の13人』でもこんな会話がありました。

「あいつ(畠山重忠)はイケメンだな。先頭に立たせるか」

「あの爺さん(千葉常胤)は見栄えが悪い。目立たないところに置いとくか」

若く美男子とされる畠山重忠が重用される一方、年配の千葉常胤が目立つ役目から外され、悔しそうにする場面ですね。

現代人からすれば、見ていて心苦しいものがありましたが、当時の状況を考えればルックスに関するトークが出てくるのも自然なことです。

イケメンの武士を従えていれば自身の評価もあがる。となれば頼朝が顔採用をすることは普通のことでした。

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むろん、そうした風潮は、悪しき面もあります。

見た目が悪い者を笑う。老人がよろめく様を馬鹿にする。イベントでウケ狙いのため老人を集めて皆で笑いものにする。

現代であれば炎上しそうな残酷なことも平気でまかり通っていたのです。

当時は美形であったり、名門出身であるということは「前世の行いが良かったことの証」とされました。

悪ければその逆。

それゆえ、先天性の要素を評価し、一方で誰かを笑い者にすることに対して罪悪感が生じにくかったのです。

しかし、そんな傾向も徐々に変わってゆくのがこの時代の特徴でもあります。

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