米が、ない!
松本秀持の報告を受け、田沼意次の顔が歪みます。
浅間焼けの灰と寒さのせいで米は著しい不作となりました。市中でも騒動が起きているのだとか。
大阪堂島で米価があがり、問屋、仲買人、札差が売り惜しむという状態が発生しておりました。
ついに百文六合に到達し、昨年の倍なのだとか。老中の水野忠友は、次が豊作となれば米の値は戻ると鷹揚な態度を見せています。
ならば捨て置いてもよいか……と、なりかけたところで、意次は「ならぬ、ならぬ!」と声を荒げます。
いますぐ手を打ち米を下げるよう策を練り、まずは仕入れ値での販売を言いわたす。
しかし、効くとは思えないと冷淡な水野。
まず対処して、そのうち策を練る!と意次は再び声を荒げるのでした。

『浪花百景 堂じま米市』競りに熱中する仲買人たちの足元と入口辺りでそれを見守る人々/wikipediaより引用
三浦庄司と田沼意知は、米価高騰をおちょくる狂歌を呑気に読み上げています。
この場面を記憶の隅にでも入れておくと良いかもしれません。田沼意次の後に来る松平定信時代は、こうした風刺を詠んだと噂されたことで筆を折る狂歌師が出てきます。
そして普段は狂歌を笑って見ていたという意次も政治批判だと怒り、三浦を叱り飛ばしてはいます。
作者を探し出して追い詰めるようなことまではしませんが、鷹揚な意次であっても、この政治危機を乗り切らねば終わりだと怒りを燃やしています。
日本橋耕書堂の米も残りあと一俵
そんな米不作の年、蔦屋重三郎は日本橋大店の旦那となりました。
奉公人のかかり(給与)に驚き、確認する蔦重にていは答えます。
「遺憾千万な知らせがございます」
瀬川あたりなら「あいにく、まだてぇへんな話があってサ」とでも言うところでしょう。
ていの細けえセリフにていの漢籍好きが出てまさぁ。
日本ではタイトルに奇数を好みます。『べらぼう』も「蔦重栄華乃夢噺(つたじゅうえいがのゆめはなし)」で七文字ですね。
中国ではむしろ偶数を好みます。同じ作品でも日本は『三国志演義』なのに、中国では偶数にしたいってんで『三国演義』にしている。
てなわけで、偶数の四文字熟語は漢籍っぽくなるもので、いかにもな言い回しだぜ。
して遺憾千万な知らせとは、蔵の米が最後の一俵になってしまったことでした。
大店にとって米代はバカになりません。
奉公人にも食べさせなくちゃならねえし、当時は副食物が少ねえモンだから今では考えられねえほどの米を食います。
なんでも活動量の多い江戸っ子成人男性となりゃ、一日五合は食べたとか。昔の食生活再現を見ると、ともかく米の量がすさまじいことになっております。
暮れまで持ちそうだったんじゃないか?と困惑する蔦重ですが、なんでも思わぬ伏兵がいたそうで……。
店に出入りする文人たちでした。蔦重が勝ち目になると啖呵を切った人々ですね。米の値段が倍になる中、ここに来れば飯が食えるってんなら入り浸りますわな。
ていは交際費削減を言い出し、吉原接待の見直しを求めます。
しかし蔦重としちゃ、そりゃできねえ。
吉原は蔦重の武器です。みな、その接待でやる気を出すし、だからこそ吉原も応援してくれる。
ていが気軽な立ち寄りを制限してはどうかと提案すると……。
「つったじゅうさぁ〜ん!」
軽薄そのものの声をあげて、最悪のタイミングで北尾政演がやってきました。
しかし、芝全交という戯作者を連れてきてやがるから文句は言えない。蔦重は作家育成に苦労した経験もありますからね。
ていのジッと考えていることもなんとなくわかります。
「鶏鳴狗盗」あたりじゃねえすかね。
孟嘗君は、「鶏の鳴き真似が得意」とか「コソ泥」とか、ちょっとした特技の持ち主も食客として養っていました。それがピンチの際に自分を救うことになる。そういう器の大きさに改めて惚れ惚れとしているのでしょう。
すると、白い飯がうまいとやたらと食べている女がいます。
志水燕十にあれは誰かと蔦重が確認すると、髪結ではないかとのこと。いったい誰だ?と思いきや……。
帰ってきた蔦重の母
蔦重が顔色を変え、女に近づき、巻き舌でこう吐き捨てます。
「おい! てめえ、今更何しに来やがったんだ!」
「もうわかったのかい? さてはあんた、私のこと、ずっと待ってたろ?」
妖しげな手つきで蔦重に近づく女。北尾政演が小指を立てて「イロかい?」と歌麿に確認するも、歌麿もわかりません。
呆然とするてい。蔦重は襟首を掴んで引き摺り出そうとしました。
すると女はこう懇願します。
「お前……おっかさんを捨てんのかい!」
「先に捨てたのどっちだよ!」
なんと親子でした。とんでもねえ話だぜ!

喜多川歌麿『針仕事』/wikipediaより引用
「こんな立派な店構えても、おっかさんに食わせる飯は一膳もないってのかい? あんた、鬼かい?」
そう開き直る母・つよ。ていがしずしずと「旦那様」と呼びかけてきます。
「僭越ではございますが、“孝行したい時に親はなし”と申します」
「そうだよ! あんたいいこと言うねぇ」
思わぬ援軍に浮かれるつよ。
「鳩に三枝の礼あり。烏に反哺の孝ありと申します」
続けて、ていに漢籍を引かれて蔦重は参ってしまいます。
「入(へえ)れ、ベラバアめ!」
勝ち誇るつよは歳の割に若造りといいますか、ていより洒落た見た目をしています。
妙に色気があるし、他の連中とも馴れ馴れしくしておりました。しかも髪結という技能持ちで、男の髪も扱うからには風紀上あまり真面目な人ではなさそう。
どうして息子を捨てたのかなんとなく想像できまさ。蔦重の父以外に男でもできたんじゃねえかな。
江戸時代の都市部においては、職を持つ女性は比較的自由な行動ができました。
幕末に来日した外国人が驚いたほどです。女は家の中にいて家事育児だけしているという家庭像は、実のところ近代以降に強固となった姿なんですね。
それにしても、大河ドラマ主人公の母親が、成人してから厚かましく再登場というのも珍しいこって。良妻賢母思考へのカウンターにも思えますわな。
史実の蔦重は母親については顕彰しています。
それもドラマとしては、ていの指図によるものという気もしてきます。
つよには母性本能てえモンがない。あえてそうしているのでしょう。思えば大河ドラマだって、女性像を押し付けてきた側面はありますからね。
往年の名作である『独眼竜政宗』は、実の子である政宗に毒を盛る母・義姫を母性に背くものとして分析したという脚本家の言葉を読んだことがあります。
でも最新研究では、その毒殺未遂説そのものが後世の作り話と判明しております。
そういう誤った像やら思い込みで女性を定義することが、歴史を通してされてきたということでしょう。
人の懐に飛び込んでゆく母と子
ていは徹底的に儒教思想の人です。なにせ、つよに自分の部屋を譲りましたからね。
それでもつよは「なんだかサッパリした部屋だねえ」と言いやがります。
「うちは借金まみれだ」
蔦重が苦々しい顔で、贅沢はさせねえと釘を刺しました。
それもあるけど、ていは性格的にファッションなどには興味がなさそうですね。
すると、つよが、みんなの髪を結うことを提案。それで倹約になると言い出しました。
髪結について、女性は本来自分で結います。
日本では女性は長いこと垂らし髪でしたが、江戸時代となると火災発生時に引火して危険なので結いあげることとなりました。

兵庫髷(左)と島田髷/wikipediaより引用
当初はシンプルなもので、それがちょうど『べらぼう』の時代あたりから凝った結い方が流行し、女性専門の髪結である「女髪結」が生まれます。
原則として女性は自分で結うことが嗜みですので、寛政の改革以降は贅沢であるとして幕府はしばしば禁令を出しながら、現実には守られないものでした。
ていの性格からして「私も凝った結い方をしてもらえそう」とは考えていないと思えますが、それでも押し切ったのか。この後、つよはていの髪を結っているのでした。

喜多川歌麿『婦人手業拾二工 髪ゆい』/wikipediaより引用
蔦重が久々に駿河屋へ来ています。
どうやら駿河屋夫妻もつよを知っていたようで、蔦重が「下野から食いっぱぐれて流れてきた」と説明。
「あのババア、人の懐に入るのが恐ろしくうまくねえですか?」
そうこぼすと、ふじが「おつやさんは人たらしで評判だったからね」と言います。なんだよ、似たもの母子じゃねえの。
「話はなんだ?」
そう促してくる駿河屋に、蔦重は米の相談を持ちかけています。
すぐに無くなってしまうし、他にも、お仕着せ(制服)やら給金、小遣い、あるいは病気の時の薬代など、人件費がバカにならねえと、人を抱える大変さをしみじみと語っております。
「やっと俺の立派さがわかったか」
そう返す親父殿。いや、人件費ケチりてえから孤児を養子にしてたんじゃねえですか……。
ま、それはさておき、蔦重は母親譲りの愛嬌を発揮して親父殿を持ち上げつつ、米を安く売ってくれる馴染みの札差がいないかと言い出すのでした。
蔦重は人たらしにもほどがあるので、通りすがりの人が足を悪くしていると「大事(でぇじ)ねえですか」とサラッと声をかける姿もこの後出てきますね。
ふと思い出しましたが、最近、西村屋与八の出番がない。なんのかんので鱗形屋孫兵衛の二男・万次郎を引き取って育てているのでしょう。なかなかてえしたモンです。
つやの髪結床ついでの書店営業手段
蔦重が耕書堂に戻ると、つよが客を捕まえ、部屋で髪を結っていました。
地方出身者のように思える客ですね。
すかさず蔦重も入っていくと、つよを捕まえ「勝手に商売するな」と言い渡す。しかし、お代はもらってねえそうで……ていが何かを持ってきます。
髪結の間に絵を見せています。
思わず蔦重も「なるへそ」と納得。地方出身者にとって浮世絵はたまらない品であり、土産の定番でした。
すると蔦重も丁寧に向き直って挨拶をして、作品の解説を始めます。
黄表紙に往来物、売り物を立板に水で解説してゆく。と、客は江戸の流行は把握していないものの、見ているだけで楽しいと喜んでいます。
客は庄内出身者でした。江戸時代有数の経済を誇る場所ですね。こりゃいい得意先ができそうだ。
そして夕食の場面へ。
つやが考えた売り込み髪結床には蔦重も納得せざるを得ません。長旅のあとで髪が乱れている商売人が多いんだと。
ていは一緒に食事をせず、後で食べるそうです。日本橋のきちんとした店はこうだと蔦重が説明すると、「じゃあ私がちゃんとしてないみたいじゃないか」と言い返すつよ。
するとていが「品の系図」を作りたいと言い出しました。
蔦重の説明が面白いので感心したのだとか。みの吉も、蔦重のセールストークに驚いたそうですよ。
奉公人の皆があのセールストークを展開できれば売上に繋がる。そのためのマニュアルを作りたいようで、蔦重はその制作をていに頼みこみます。
すると、つよが自分に感謝するようにとか言い出す。
なんでも賢い嫁がいて、働き者に囲まれているのも、自分が捨てたおかげだってよ。
「人間万事塞翁が馬と申しますものね」
ていが漢籍でまとめてきやがったぜ。ていとつよ、正反対なようで、なんだかいいコンビになりつつあるぜ。
歌麿は居場所がない
「出てくってなんでだよ?」
蔦重がそう歌麿に告げています。自分がいなくても店が回ると気づいてしまったようで……どこにいくつもりか?と蔦重が詰問すると、長屋でも借りるとそっけない。
なにも米が高い時に出て行かなくていいじゃねぇかと蔦重が言うと、歌麿はむしろその方が店が助かると言います。
「おかしな遠慮すんじゃねえ! お前は俺の義弟なんだから黙ってここにいりゃいいんだ」
そうキッパリ否定し、肩を叩く蔦重。それでも納得できそうにない歌麿に、出ていくなんて許さないと言い切ります。
唐丸がいなくなったこと。その後の再会をふまえれば納得はできます。
しかし、歌麿の気持ちはわかっているのやら?
蔦重は人の心にスッと入り込んでいく割に、鈍感なんですね。そこも母親譲りなのかもしれません。
ていがその会話を聞きつつ布団を敷いていると、つよがやってきてこう言いました。
「あのさ、歌はあの子のあれ……念者(衆道において兄貴分の者)なのかい?」
義兄をそう解釈しちまったのかい。ていはあくまで義兄弟だと伺っていると返答しますが、義兄弟はそういうことだとつよは早合点している。
すると蔦重が部屋に入ってきて、駿河の親父様に拾われたのだと、親に捨てられた恨みを滲ませつつ否定し、母を罵倒すると寝るように言いました。
まぁ、確かにイラッとするのはわかんぜ。しかも妻を相手にそう言ってますからねえ。
ていにじっと見つめられ、焦る蔦重にこう言います。
「もしそういうことなら、どうぞご遠慮なく。歌さんと、その……」
ていも理解が早すぎねえか! いや、これも漢籍教養かもしれねえ。
『三国志』の最終盤、魏から晋へかわるころ、「竹林の七賢」に嵆康と阮籍という二人がいました。同じく七賢の一人である山濤も、この二人と仲良くしていました。
山濤の妻である韓氏はこのことを聞き「ただの関係ではないようだ」と察知します。
そこで彼女は確認すべく、自宅に嵆康と阮籍を招き、おいしいお酒と肉料理をたくさん準備して泊まっていくよう促しました。
韓氏は「同じ部屋で二人が、服を脱いで一晩過ごす様を確認せねば判断できない」と考えたのです。
そして部屋に穴を開けて観察しました。
翌朝、夫の山濤から感想を聞かれた韓氏は「あの二人の関係はとても特別で、あなたは及ぶものではありません。あんな人たちと交際できるあなたは運が良い!」と大満足していました。
これは当時のおもしろエピソード集『世説新語』「賢媛編」に収録されています。賢い女性の逸話ということですね。
てなわけで、ていならそうした話を思い出して腑に落ちるものもあることでしょうし、「私もここは賢媛であらねばならぬ」と義務感すら生じてもおかしくはありません。
むしろ色に溺れることは恥ずかしいと考えていそうです。
ちなみに中国史の男性同士は、他の文化圏からみるとどう考えてもカップルではないかと思われる仲良し描写が多い。
手を繋いだり、腕を組んで街を歩く。
同じ車に乗って移動する。
同じベッドで並んで眠る。その枕を抱きしめつつ相手を思い出し、涙をこぼしたりする。
結局こいつらどうなんだい? と、なりますが、専門の研究者でも諸説あり、結論は出ないものです。
近年は華流ブロマンスドラマも大流行しております。大河がそこを見逃せるわけもなく、日本代表ブロマンス時代劇を、そろそろ打ち出さねばならない頃合いでしょうか。
果敢な挑戦であり、かつ中国史ブロマンスを理解にも役立つていの賢媛ぶりですな。
「俺……私と歌は、そんなんじゃねえですよ」
蔦重はキッパリと否定してきました。
「けれど先ほどの、まるで痴話喧嘩のような」
じっくり喧嘩を聞いていた者としては納得できないのでしょう。蔦重は遠慮しているだけだと説明します。店の仕事をしてないから居づらいのだろうと分析しています。
「もっと図々しくしていてくれりゃいいんですけどね。俺は当代一の絵師になんだからって」
ていは、歌麿の才能を見出す蔦重に驚いています。まだパッとしないけど、あいつの才はとびきりだと言い切ります。
そして謝りながらこう続けます。
「出てくぞって言いたくなんのはおていさんですよね。ババアに部屋取られて。俺の……あ〜私の部屋で寝ることになっちまって」
「そこは……わざわざ別の部屋で寝るのもつよさんに勘ぐられそうですし、そのようなことで騒ぎになるのは店にとってもよくありませんし」
「そう言ってもらえると助かりまさ。んじゃ、お休みなせえ」
なんとも不思議な会話ですぜ。
そもそも新婚夫婦が寝室が別々というのが異常っちゃそう。で、つよがそれを嗅ぎつけて言いふらされたらたまらねえ。ていの心の扉はなし崩し的に開いちまったといえるわけでさ。
ていは極端に無表情で無愛想ですが、だからといって愛がないわけでもないでしょう。
内に熱い思いが篭っちまうタイプ。心を開かせるまでが面倒ですが、最近、フィクションでもこうした心を閉ざしている人物が増えていると思います。
米価上昇、それぞれの対処
そのころ吉原では、あの雲助こと田沼意知の美男ぶりに女たちが浮かれています。
それをジッと聞いている松前廣年。
意知は当分来られないと誰袖に断っています。なんでも米価対策に追われているそうで、大文字屋も同席しながらこれない理由を聞いてきます。
米価が下がるまでは遊興も控えるように言われたそうで。
誰袖は紅唇を動かしながら言います。
「仮の名で月に一度のお越し。ばれるとも思えせんが」
「近々、若年寄になることもあってな」
思わず大文字屋も驚いています。誰袖の身請け先としてますます価値が上がる。
意知としては、だからこそ風当たりが強くなると懸念しているのですね。誰袖が首を傾げつつ身請けのことを確認すると、大文字屋は蝦夷地との兼ね合いもあると釘を刺すのでした。
蝦夷地には平秩東作が潜入し、抜荷の件で協力しそうな商人も見つけたそうで。
湊源左衛門が善吉という男に、何か密命を託すようです。
場面変わって、蔦重が大引赤蔵という大商人をもてなしています。
引き出物として渡したのは、四方赤良直筆の狂歌扇。赤蔵が扇に一礼しながら、赤良の見ている前で開く。
江戸時代にはこうしたファンが喜ぶグッズ展開が庶民にまで展開されまして、お金を払うとサイン入りグッズがもらえるクラウドファウンディングのような催しもありました。
今の推し活の原型はだいたいこの時代にはできていたんですね。
つまり、推し活は純粋な気持ちだけのものでもないとわかってきます。要するに、金が動くからこその活動であり、そこは冷静になりたいところですな。
蔦重はお宝グッズを喜ぶファンを前に、米を安く手に入れたいと持ちかけました。赤良も米を食いに来るという決定打を持ち出しつつ、昨年の基準で買いたいと持ちかける蔦重。
赤蔵はおととしの米ならもっと安くできると言い出しました。
グッズ戦略が効いてるぜ!
米よ、どうか降ってこい!
太田南畝と蔦重が、米価のからくりを見ながら江戸の街を歩いてゆきます。
あるとこにゃ米があるってわかんだね。
米を持っている連中の売り惜しみが値を釣り上げていると、南畝も見抜いています。
二人は賑わう店で足を止めます。
町触に従い、真面目に定価販売をする店でした。これだけ混雑するということは、大方の米屋は町触には従っていないと悟る二人。すると、途中で米が品切れになり、怒った客が怒鳴り散らし始めました。
もう無茶苦茶だと語る南畝。初登場のとき、何事もない太平の世を愛でていましたが、その世が崩れたとき、人は自分が暮らしていたあの日々がどれほど素晴らしかったのか、思い知らされるのです。
蔦重は、自分たちにも米価を下げるようなことはできないか?と言います。
米に困ってちゃ本なんて買ってもらえない。自分たちだって苦しくなる。
すると南畝が突然歩みを止め、叫び出しました。
搗(つ)く音に 無限の米を降らせよや
ここに三俵 かしこに五俵
蔦重が戸惑っていると、さらに叫びます。
「言霊よ、こい! 米、こ〜い!」
これに応じ、江戸の民衆も叫び出す。そこで蔦重は何か閃いたようです。
米の不作をふまえて狂歌集を出そう
ていが熱心に作品の系図を作っていると、歌麿がやってきて思わずこう言います。
「これ、系図というより目録ですね」
このセリフは、実際に小道具さんが作ったものを見て、考証さんから言われた言葉を元にしているとか。
スタッフのみなさんが試行錯誤し、一生懸命作っていることがわかってつくづくよい作品ですね。
ていとみの吉はこれにショックを受けます。歌麿は作者と絵師で並べるよりも、内容でつなげたらどうかと提案。
ハッとするていの前で、作者は印にすればいいと筆を持ち、歌麿が筆を入れ始めます。
「やはり、とびきりの才なんですね、絵師さんというのは」
そう納得するてい。
「こんなのよくある工夫ですよ」
あっさりと返答する歌麿。
するとここでドヤドヤと、南畝たちが入ってきました。
蔦重が歌麿に「仕事だ!」と告げ、新顔の狂歌師である宿屋飯盛が挨拶してきます。
仕事とは、なんでも正月に狂歌集を出すようで、歌麿が流石に間に合わないと懸念すると、蔦重はどうにか間に合わせると強気。
米の値を下げるための狂歌集のようです。
正月にめでてえ!と歌を詠んで世に出す寸法だと、南畝がまとめると、「言霊だ!」と歌麿も納得。
蔦重は、自分たちは米一粒作れねえこの世の役立たずだと理解しています。それでもできることはないかと、天に向かって言霊を投げつけることでした。
しかし、歌だけではめでたさに欠ける。てなわけで、絵もぶつけ、黄表紙仕立ての狂歌集にするのだとか。
こう言われると歌麿もやるしかないと、決意を固めるのでした。
みの吉はその思いつきに感心し、ていもこう言います。
「本当によくあんなこと思いつきますよね」
目を泳がせてしまうていです。
そのころ江戸城では、米価高騰への意見が幕閣に届く由々しき事態となっておりました。
紀州徳川家・徳川治貞が囲い米について問いただしに来たのです。要は、備蓄米を市中に流せ、ってことですね。
米の停滞について責め立てられる意次には「足軽あがり」というおなじみの嫌味もついてきます。
意次は必ずや米価を下げるとしか返しようがありません。
そんな父の姿をじっと見ている意知でした。
田沼意知まで蔦重を仰ぎ見るようになった
狂歌集の仕事に取り組んでいると、歌麿が絵を直すようにと蔦重に指示されます。
どうやら絵が悪いのではなく、歌の内容と合わず、修正させられる様子。
狂歌師の入銀だと説明され、歌の都合で絵を描き直しさせられるのが納得できないのか、歌麿が不満そうな様子を見せます。
とはいえ、蔦重がいなくなると、ちょっと嬉しそうな笑みを見せているのですが……。
そこへ花雲助こと田沼意次がやってきました。
つよがすかさず髪の色を褒めながら近寄ると、蔦重は慌てて母親を引っ込めます。
意知は一体何の用事なのか?
すると蔦重に対し、米価を下げるにはどうすべきかと相談してきました。
米価上昇は商人によるものだと見抜き、商人たちに米価を下げさせる秘策を聞いてくるのです。
蔦重は、黄表紙仕立ての歳旦狂歌集を見せます。
言霊で値を下げる狂歌集に意知も一首載せないか?とセールス。
よく思いつくなぁ……と意知が呆れていると、そうでもしないと生きてこられなかったと答えます。
地本問屋にも仲間があり、そこで認められないと市中で本を流せない。
意知は「仲間があるゆえ本を流せぬ」という言葉に反応し始め、蔦重がさらに「仲間なんてぶっ潰れりゃいい、そうすりゃ本を勝手に売れる」と続けると、ハッとします。
「恩に着るぞ蔦重! この礼はそのうち! おっ、ありがた山だ!」
笑みを浮かべながら去ってゆく意知。
ていがやってきて一礼すると、今の方は相当偉いお武家様だと戸惑っています。狂歌をしているとそういう繋がりもできると、蔦重はさらりと認めるのでした。
ていは系図と置き手紙を残して消えた
自分にできることを確かめるように、丁寧に系図作りを進めてゆくてい。
こうして見ていくと、平安時代の『光る君へ』とは筆跡がかなり違ってきていることがわかります。
現代の書道は江戸期以降のこうした書き方を元にしております。
『光る君へ』は「かな書道」です。
こういう楷書も当時の女性の場合、実は習得者が多くありません。吉原の瀬川や誰袖の書状と比較するとよくわかると思います。ていは筆跡も唐様(からよう・中国風)のようですね。
歌麿も挿絵を熱心に描いています。その絵を見て、蔦重は「どこを見てもめでてえ」と満足そうだ。
「お前のおかげだよ。お前がいなけりゃこんなのできなかった」
「なんでもかんでも言うこと聞く奴は、俺しかいねえからな」
「出てくか?」
「……俺、いないと困りそうだからいてやるよ」
「頼むぜ兄弟〜!」
そう抱き寄せる蔦重。この歌麿の満足げな顔のこと。そこへつよがやってきて、おていちゃんがいないと慌てながら、置き手紙を差し出してきました。
この手紙もジェンダーでいうと男、かな混じりの文体ですが、いわゆる「候文」です。
漢文の書き下し調であり、ガチガチにお堅いってことですな。現代ならばていは、常にフォントが明朝体、絵文字なしってところか。
手紙の中身は約束した系図を仕上げたということ、そのうえで蔦屋の繁盛を願うものでした。
できあがった系図を目にする蔦重と歌麿。歌麿はどこか悲痛な表情をしています。
蔦重も異変を察知し立ち上がり、外へ向かってゆくのでした。
ていは寺への道を歩いていました。
やっとのことで追いつく蔦重。
蔦重は部屋のことが不服だと察して、客用の部屋に移ると言います。母には、いびきがうるさいからという言い訳まで用意していました。
蔦重は生まれか、育ちか、相手のことを想像して解決策まで考えておくことが身に沁みついているようです。
しかし、ていはこうきました。
「江戸一の利者の妻は、私ではつとまらぬと存じます。私は石頭のつまらぬ女です。母上様のような客あしらいもできず、歌さんや集まる方たちのような才があるわけでもなく、できるのは帳簿をつけることくらい。今をときめく作者や絵師や狂歌師、更にはご立派なお武家様まで集まる蔦屋にございます。そこの女将はもっと華やかで才長けた……例えば、吉原一の花魁を張れるような、そういうお方が相応しいと存じます。どうぞお許しくださいませ」
そう静かに頭を下げ、毅然とした態度で山門へ足を向けます。
おていさんこそ、江戸一の利者が選んだ女房だ
「そりゃ随分な言いぐさですね。あんたは江戸一の利者だ。けどてめえの女房の目利きだけはしくじった。おていさんはそう言ってんですよね」
「私は、あくまで己で己を顧み……」
「俺ゃおていさんのことつまんねえと思ったことねえですぜ。説教めいた話は面白えし、あっ、唐朱公のように生きろって、この人まともな顔してめちゃくちゃ面白えって思いましたぜ。縁の下の力持ちなとこも好きでさね。皆のいねえところで掃除してたり、皆のために系図作ろうとか。背筋がピンとしてるとこも。けどんなのは細けえことで……“出会っちまった”って思ったんでさ。俺と同じ考えで、同じつらさを味わってきた人がいたって。この人なら、この先山があっても、谷があっても、一緒に歩いてくれんじゃねえか。いや。一緒に歩きてえって。おていさんは、俺が俺のためだけに目利きした、俺のたった一人の女房でさ」
そう笑みを浮かべつつ、蔦重が語りかけているのに、ていは唖然とした顔のまま。思ったことが顔に出にくいのでしょう。
どう反応してよいかわからぬていに、そっと蔦重は手を差し出します。
これが正解ですね。
ていは一気に距離を縮められると考えるまでもなくビクッとしてしまいそうなので、そっとアプローチするのが良さそう。なんだかんだで最高の相性じゃねえか。
その夜、蔦重とていは一つの布団で共に眠るのでした。
隣の部屋では、歌麿が一人、苦い笑みをかすかに浮かべてこう言います。
「よかったな、蔦重……よかった」
目には光るものが見え、何かが終わったような悲しみがたたえられています。
歌麿の絵がクローズアップされると、男の顔に女の乳房がついているような、どこか不思議な絵に見えます。右下には「歌麿画」とありました。
生まれ変わるなら女になりたい
翌朝、蔦重もその絵を目にしています。
しかし、「歌麿門人千代女画」に変わっている。
「いかにも売れてる感じでめでたくねえ? 俺に弟子がいるってよ」
蔦重は納得しつつも、なぜ女名なのかと問いかけます。
「生まれ変わるなら女がいいからサ」
そう軽く言う歌麿は一体何を思うのか。
「喜多川千代女」は謎の存在です。ドラマのガイドにも掲載されております。
歌麿の女弟子なのか? それとも別名義なのか? 諸説ありますが、本作はこんな哀切な別名義説を採用しました。
いくらなんでもこんな悲しい使い方をしなくてもいいじゃねえか……こんなのありなのかよ。
そう悲しくなったところで、さらに辛いことを書いておきやしょう。嫌な人はすっ飛ばしてくだせえ。
喜多川歌麿の妻・きよとして藤間爽子さんが発表されました。
歌も女房もらうのか、よかったな! と、思われるでしょうか。
実は歌麿の妻は諸説あってハッキリしません。比較的確かなものとされているのが、曲亭馬琴の記述です。
あれだけの売れっ子絵師でありながら、失意の中、一人でひっそりと亡くなった。妻もなければ子もなく、その慰霊をする者もいない有様だ――そんな最期を記録しているのです。
一時妻帯したにせよ、死ぬ時は一人であったということです。
墓すらなく、ずっと後世になってから偶然発見されたのですから、なんとも寂しい最期です。蔦重よりも孤独な境遇です。
弟子にしても、いないわけではない。しかし、大勢集めて一大流派を築き上げたというわけではありません。
歌麿は孤独な絵師に思えてきます。
そうした史実の要素を全て蔦重への思いへと繋げてゆくのが、このドラマになるのでしょう。
あーしはもう、平常心で歌麿の作品を見られなくなりそうで戦慄しておりやす。どうしてくれんだよ!
現時点で辛いのに、この先蔦重はこう言い出すわけですよ。
「歌、悪ぃ、全く新しい役者絵は東洲斎写楽でいくって決めてんだ」
そんなもんおめえ、歌麿応援団と化した視聴者が、蔦重を簀巻きにして隅田川に叩き込みたくなるだろうがよ。
今後、東洲斎写楽への評価も変わってきそうです。
米の難局はそうそう乗り越えられない
田沼意次が米の株仲間廃止案を徳川治貞に提案。
意知が詳しく説明します。
株仲間は本来物価安定のため認められているのに、今では結託し、値段を釣り上げている元凶だと指摘します。
自由販売にすれば、安く売って儲けたい者、この機に乗じる者が出てくる。そんな欲深ものを好きにさせてならぬ!と、値下げに動くのだろうとの見通しを語るのです。
これには治貞も納得した様子。
かくして難局を乗り切ったように思える田沼親子でしたが、本当の正念場はここからでしょう。
そんな親子の背をジッと見つめているのは佐野政言と松前廣年。廣年は何かを察知したようで、そんな弟の様子をあの松前道廣も見ている。
いくつもの思惑が交錯する中、一橋治済が登場します。
彼のもとへ、松前道廣と廣年が何か持ち込んでいるようですが……。
MVP:三人の女(つよ・てい・喜多川千代女)
ていが蔦重を陶朱公に喩えたことには、重要な意味があると思います。
渋沢栄一の『論語と算盤』はやたらと拡大解釈され、『論語』の教えを商売に持ち込んだことが優れているとされました。
しかし、渋沢栄一は若くして田舎から上洛し、商売を行っていた。
儒学者でもなんでもなく、そもそもが儒教解釈が正しいかどうか疑ったほうがよろしいでしょう。明らかに誤読しているか、解釈を捻じ曲げた言動も残されています。
『論語』本場の中国からすれば「それは誰でも知っている、むしろ商売特化型マニュアルは陶朱公の教えだろう」となる。
『論語』は人として生きていく上の道徳規範ですので、商業とはまた別の話。
そんな商業神となった蔦重の周りに、三人の女がお供をするかのような回でした。
まずは蔦重を捨てた母。母性の真逆をいくようで、客を呼び込む様は福の神のように思えます。
それに蔦重はこの母親そっくりであることも明確です。この母にして、この子あり。蔦重を産み出した存在が日本橋進出と同時に出てくるというのも、なかなか興味深い話です。
そして二人目は、妻となったてい。
そのていは劣等感を覚えてしまっています。つよのような営業もできない。歌のような才能もない。己の存在意義を見出せておりません。
ていの悩みは、妻の枠をあえてはみださせたような、再定義のようにすら思えます。
結婚したというのに、寝室を別にしていて、心を開くことすらなかった。その個性は客観的に俯瞰してみることで、自分自身にそれを発揮した結果、離縁が最善策だと結果を出しました。
相談もなしに勝手にそんなことをしてしまうていはかなりの変人かもしれませんが、それでもなんとも魅力的であるのが本作のよいところでしょう。
実はていは、ジェンダー的にかなり興味深い造形になっていると感じます。
先週から指摘しておりますが、ていの漢籍教養は男のものとされています。ていみたいに楷書やら候文で恋文が届いたら、相手は「うわあ、なんだこのかわいくねえ女」となります。
それこそ北尾政演あたりなら「無理〜」と逃げ出すってモンです。
笑顔は少ないわ。理屈ぽいわ。お堅いわ。自分でも分析した通り、石頭のかわいくねえ女と思われてもおかしくない。
そう自己分析を始めてしまったのも、自己完結で満足できず、蔦重という存在に心惹かれてしまい、はたして彼に寄り添う像としてふさわしいのか悩んだ結果なのでしょう。
偶然なのか、瀬川のような高嶺の花の花魁こそふさわしいと言いだしたあたり、なんとも切ねえものはあります。
でも、これで瀬川がどういう存在だったのか、かえって理解が深まりました。
高嶺の花、歌舞音曲に優れた天女であるとされる花魁。
彼女たちはいわば人工的な女性美の結晶といえる。
客が喜ぶ文面を流麗な書で書き送る。人工的な廓言葉で話す。化粧に突き出した髷。何本も刺さったかんざし。重たい衣装に高下駄で、不自然極まりない八の字を踏んで道中を歩く。
結局全てが作り物であることが、ていとの対比で見て取れます。
女郎の悲劇とは、性的搾取はむろんあります。それだけでなく、人工的で不自然な美しさの中に閉じ込められていることではないかと、ていは伝えてきたように思えるのです。
蔦重はそこを理解しているからこそ、ありのままのていはおもしれえ女だと見抜いた。
こうして見てくると、女性美は江戸も今も、人工的で極めて不自然なモノに見えてきます。
花魁の美は加工され尽くした不自然なものなのだと。そんな美を磨くより、蔦重のようなありのままをおもしろいという相手を探した方がよいのではありませんか。
そして三人目の女は、喜多川千代女でした。
その正体である歌麿も、ジェンダーがあえて曖昧な造型にされております。
女郎の子として生まれ、強引に男娼にされてしまっていた過去には、男性も性的搾取に晒される残酷さがありました。
ドラマの初回冒頭で蔦重に救われ、それが行方不明となった際には、蔦重は悲しみ、再会を待ち望んでおりました。
ドラマの序盤のヒロインは瀬川のようで、実は歌麿との方が劇的な関係が多かったものです。そして再会を果たしたあと、義兄弟となった二人は極めて幸せなときを過ごしておりました。
蔦重は歌麿のために日本橋に出たいという一方で、歌麿は有名にならなくてもよいから吉原に止まりたいと訴える。
蔦重の縁談に衝撃を受ける。そして今回、出て行きたいとすら言い出す。
彼の思いは複雑です。本当に生まれ変わって女になって、蔦重と夫婦として添い遂げたいのか。それともただ、二人でずっと一緒にいたいのか。
あの川縁を二人で思い切り駆け抜けたときが、幸せの最高潮だったのか。
『光る君へ』に続き、日本を代表する創作物の背景に愛があると描くこのドラマ。
視聴者が歌麿の作品を平常心で見られなくなるところまで含めて、描きたいのでしょう。
神になった蔦重の背後に並ぶ三人の女たち――なんとも凄まじいものを見せられました。
ついでに言いますと、『べらぼう』では擬人化した儒教朱子学がていです。
『麒麟がくる』では光秀でしたね。
ていは親孝行こそ美徳だと信じておりますので、義母であるつよが無茶振りをしてきても、おとなしく服従しています。
一方で蔦重は「べらばあめ!」と罵倒してしまう。
夫婦で対比させてきていると思えます。
総評
三人の女が揃って、姦しいどころかなんとも悩ましい回でした。
そのことはさんざん書いてきましたので、歴史を振り返りたいと思います。
前にも指摘しましたが、戦国時代のドラマは、実は日常生活においてさして役に立たないと思えてきます。
それに引き換え、今回は現実社会とリンクしすぎていると思える。
田沼意次の焦燥感。太田南畝の米を求める叫び。米屋の前で列を作り、品切れで声を上げる人々。
こりゃ実際のニュース映像じゃないかと不思議な気持ちにすらさせられました。
蔦重は、米一粒も作れないと自虐的なことを語っておりましたね。
これもコロナ禍においてエッセンシャルワーカーが重視されたことを思い出すと、実感としてある言葉のように思えてきます。
この米政策に関していえば、単純に現在の状況と結びつけることも避けたいところです。
株仲間解散の流れは今も通じるようで、当時と今ではシステムがまるで異なることは踏まえておきたい。
今回の米に関する描写は、さまざまな要素が絡んでいます。
たとえば気候です。
気候変動と歴史の関係は切っても切れません。
天明年間は世界規模で災害と気候変動が起きました。農業大国フランスでもその影響を受け、穀物価格が暴騰したことがフランス革命につながっています。
日本史と大河ドラマで振り返ると、『鎌倉殿の13人』の時代も天災による不作が起きています。
あの劇中序盤でも、米がないという場面がありました。坂東武者は「平氏が悪ぃんだ」と不満を爆発させておりましたが、根底には気候不順もあったわけです。
当時は貨幣経済が未発達ゆえ、農作物を保管して換金する発想がまだありません。そのため今回言及されていた蔵米すらなかった。
鎌倉時代以降、宋銭が導入され、やっと備蓄する発想が出てきます。そうはいえども乱世が続きますので、食料備蓄整備は江戸時代になってからのこととなります。
平安後期から鎌倉時代よりは格段に良くなったようで、田沼時代ともなると別の要素も出てきます。
江戸時代前半、日本各地では米の生産高が増え、いくつも米どころが生まれてきます。
それは大変素晴らしいことのようで、本来、寒冷で稲作に必ずしも適していない奥羽でも稲作へ置き換わってゆきます。米本位で換金しやすいため、そうされてしまったのです。
五穀豊穣という言葉があるように、気候や土地ごとに栽培する穀物は変えるべきもの。それが稲作ばかりが強くなった結果、気候不順に弱い状態となってしまいました。
貨幣経済がないならないで、備蓄する発想がないことは前述のとおりです。かといって、過度なマネーゲームが勃発してもそれはそれで危ういのは今回描かれた通り。
人間の生活インフラや衣食住に直結する事柄、福祉に過度な資本主義を取り入れるとろくなことになりません。
赤字になるからといって交通網や水道を廃止されたらどうなるか。
結果は実際のところ江戸時代の時点ですでに出てきていたということになります。
こうしてみてくると、実にこの時代の大河ドラマは勉強になる、有用だと思えてなりません。
近世から近代へ向かう胎動が聞こえてくるのが、いわばこの時代です。
ひとつの時代が変わりゆくその痛みも含めて味わえる。
江戸時代中期を扱う意義は実に深い。
そしてそれがこうもリンクしてくるということは、あっしも時代の変化に立ち会っているのかと妙な気分にさせられるドラマです。
天意と噛み合っているのではないかと毎回驚かされてばかりです。
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【参考】
べらぼう/公式サイト





