ついに始まりました2026年の大河ドラマ『豊臣兄弟』。
第一回放送をご覧になられた皆さまは、以下に列挙したようなことが気になりませんでした?
①史実の秀吉は盗人の疑いをかけられたのか?
②信長は斎藤義龍の暗殺部隊に狙われた?
③秀吉が最初に仕えた松下嘉兵衛って誰?

豊臣秀長/wikipediaより引用
早速、あらすじと共に振り返ってみましょう!
👨👦 『豊臣兄弟』総合ガイド|秀吉と秀長の生涯・家臣団・政権運営等の解説
信吉と玄太の諍いを解決
永禄2年(1569年)早春、尾張国は中村の集落――。
信吉と玄太が「種もみの貸し借り」について言い争っていると、仲野太賀さん演じる小一郎(豊臣秀長)がやってきて、こんな無茶振りを提案します。
「さらに2升の種もみを玄太へ貸してはどうじゃ?」
「はぁ!」
と、ブチ切れる信吉。
すでに5升の種もみを玄太に貸していて、さらに2升も追加で貸せば、下手すりゃ7升が丸損となってしまう。
んなもん貸せるわけない……と思いきや小一郎は、二人が納得するように追加で返済条件を提示してきました。
「7升の種もみを借りた玄太は、収穫した米の半分を信吉へ渡す」
要は利息分も含めて収穫物で受け取れってことですね。

しかし、米の半分も取られたら、さすがに玄太の返済がキツすぎない?
年貢(税金)分を引かれて残った米の半分を渡すのか、それとも税引き前の収穫の半分なのか。
信吉の取り分は、それ次第でかなり変わってきますが、まぁ、ここでは小一郎の“和解能力”とか“調整能力”が描かれたということで納得しておきましょう。
直後にヒロインらしき女性・直がやってきて、信吉と玄太の諍いを解決したことで賭けに勝った秀長が、嬉々として銭を受け取ります。
この秀長、銭には意外と細かそうです。
戦は嫌なのか
小一郎(豊臣秀長)が直と話していたら、戦を告げる馬が村を駆け抜けてゆきます。
「ヒャッハー!」と、テンション上げ上げの信吉と玄太に対し、「戦は嫌じゃ」と引き気味の秀長。
秀長は、平和主義なんですね。
この時点から8年後の天正5年(1577年)以降、秀吉は、三木城や鳥取城で毛利勢を相手にかなり凄惨な籠城戦を実行しますが、当然、秀長も絡んでくるわけで、そのとき彼の人物像はどう変化しているのか。あるいは何も変わらないのか。
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鳥取の渇え殺しと三木の干し殺し|秀吉と官兵衛が仕掛けた凄絶な飢餓の包囲戦
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宮澤エマさん演じる姉・とも(日秀尼/瑞龍院)には、案の定、「お前も戦に行ってこい!銭を稼いでこい!」とぶっ飛ばされてしまいます。
確かに当時の村は、か弱いだけの存在ではなく「戦で分捕り上等! 奴隷を召し捕り人身売買で日銭稼ぎ上等!」の殺伐世界そのものです。
だからこそ小一郎は平和を求めるのかもしれませんが、現実を考えれば、若い成年男性なら戦を嫌がってる場合ではなく、いざというときは武器を持って村を守らねばなりません。
下手すりゃ、村八分にされてしまいます。
小一郎は、地元の有力者で土豪の坂井喜左衛門のもとへ出向いて、奉公先を求めますが、うまくいくはずもありません。
聞けば兄の藤吉郎(後の豊臣秀吉)がこの坂井家から仏画やら何やらを盗んで村を出ていたようで……娘の直とも仲のよい小一郎は、坂井を怒らせ、殴る蹴るの暴行を受けてしまいます。

若き頃の秀吉を描いた月岡芳年『月百姿 稲葉山の月』/wikipediaより引用
そのときでした。
一本の矢が突然飛んでくると、若者の一人が射たれて倒れてしまう。
野盗の襲撃でした。
野盗の襲撃
第一回放送で“村が野盗に襲われる大河ドラマ”といえば『麒麟がくる』が思い出されます。
連携のとれた野盗たちが明智庄へ襲いかかると、明智光秀が田畑に隠れながら矢で敵を討ち、家屋に潜んでいた藤田伝吾は敵の来襲に合わせて槍を突き、盗賊団のリーダーは最後の最後に鉄砲を撃ったりしていました。
後のストーリー展開にも繋がる大事なシーンであるだけでなく、「兵糧を奪うために村を襲う連中がいる」という、殺伐とした世界観を感じさせる重要な場面でもありました。
今回『豊臣兄弟』の野盗は、皆さんいかが感じましたか?

絵・小久ヒロ
秀長の母である大政所(なか)、姉・とも(日秀尼)、妹・あさひらが野盗に見つかりながらも、
「お前ら醜女(しこめ)に用はない」
と解放されます。さすがにこの場面は「うーん……」と頭を抱えてしまいました。
中世が舞台とはいえ、バラエティ番組のお笑い芸人ですらルッキズムネタを控える時代に、わざわざ、このようなセリフを盛り込む必要はあったのか。
そもそも彼女らを人身売買用に連れ去っていく選択肢はないのかな?
『麒麟がくる』の野盗は、どこかで奪い取った奴隷たちを引き連れながら、明智の村を襲撃していたものです。
一方、坂井家では「十文で助けろ」と直が小一郎に打診するも、呆気なく野盗に捕まってしまい、彼女だけ連れ去られそうになります。
そこへ現れたのが織田家の足軽大将・木下藤吉郎――そう、小一郎の兄、後の豊臣秀吉(池松壮亮さん)です。
「我が主君、織田上総介信長様の命により、その娘を引き取りに参った!」
藤吉郎がそうハッタリをかますと、小一郎がすかさず反物を差し出し、野盗をその場から退去させます。
清須で道普請
8年ぶりの再会となる兄弟。
家族との再会や挨拶、食事を済ませると、秀吉と秀長の二人は清須へ向かいます。
全く乗り気でなかった小一郎(豊臣秀長)でしたが、村の寺の了雲和尚から「道普請の仕事がある」と聞かされ、渋々、兄と共に向かうことにしたのです。
信長の厳命による道普請は、翌日までに完成せねばならず、現場は緊張感ピリピリ。
「道など作って敵に攻め込まれたらどうするんじゃ、信長は噂通りのうつけじゃのぅ」
秀長が軽口を叩きながら、隣の男に話しかけると、いきなりぶん殴られてしまいます。
視聴者には、その隣の男こそ織田信長であるとわかるよう、小栗旬さんの引き締まった表情も映し出されます。

織田信長/wikipediaより引用
と、そこで思わぬことが起きます。
土砂崩れで、せっかく工事した道が塞がれてしまったのです。
「わしは打ち首じゃ……」と絶望的な表情で落ち込む普請係の武士に対し、「ここで帰ったら日当がもらえない!」という理由から、小一郎が工事の続行を皆に呼びかけます。
やはり銭へのこだわりが強いですね。
土砂崩れの被害を受けたのは15間――ならば3つの組に分かれて5間ずつ工事をすれば、明日の期日に間に合うのではないか。
そのためのモチベーションとして、手当は倍!
どこかで聞いた話だよな……というのはその通りでして、秀吉『太閤記』に、こんな著名エピソードがあります。
清須城の壁を修理することになった秀吉。
工事の人夫たちを組分けして、最も早い組に褒美を取らせるようにしたところ、わずか1日で完成した。
それまで織田家の重臣たちが手掛けても全然終わらなかったのに「さすが秀吉!」というストーリーになっていて、今回はその栄誉を丸々豊臣秀長のものとしたのでしょう。
絶体絶命の土砂崩れで、テキパキと工事を捌いていく秀長の姿は、すぐ側にいた織田信長も見ていました。
そして後日、織田信長が上洛へ向かうところで、秀長は「道普請の時の!」と気づきます。

絵・富永商太
馬上の信長が口を開きます。
「昨夜の(工事の)差配、見事であった、礼を言う」
秀長が褒められると、先程とは打って変わった態度で「自分は兄です」アピールをする秀吉。
他人の手柄にはやたら敏感なのはいただけませんね。秀長に嫌がられるのも、単に盗人疑惑で迷惑をかけられただけではないのかも。
今後、この困った兄をフォローしていくのに秀長は追われるのでしょうか。
柴田勝家に盗人を疑われ
山口馬木也さんが演じる柴田勝家も初回から登場です。
大河は『鎌倉殿の13人』以来5作目ですね。
その間に映画『侍タイムスリッパー』の大ヒットもあり、本作でも山口さんの刀さばきを期待している方は少なくないでしょう。
柴田勝家は、清須城内で横行している盗みについて、「犯人はサルであろう!」と秀吉のことを疑っていました。

柴田勝家/wikipediaより引用
疑いを晴らすべく、秀吉は丹羽長秀のもとを訪れて「次は順番からして丹羽邸であろう」と告げ、自身は城内で別に狙われるであろう邸近くの厠(トイレ)で秀長と見張るのでした。
すると、そこへ台所方の横川甚内(勝村政信さん)が現れます。
普段から秀吉に何かと便宜をはかってくれていた人物で、盗人を捕らえるため見回りをしていたとのことでしたが、秀長が「なぜ明かりを持っていないのですか?」と不審な点に目が行きます。
次々に質問を投げかけていくと、ついには刀を抜き、斬り掛かってくる甚内。
すかさず秀吉が切り倒すと、返り血を浴びた恐ろしい形相に秀長は言葉を失ってしまいます。
甚内の懐には、信長が上洛したときを狙い、暗殺工作を進める斎藤義龍への書状が入っていました。
間者を倒し、丹羽長秀からも褒められた二人。

丹羽長秀/wikipediaより引用
しかし、褒美はありませんでした。暗殺の一件は二人より半日早く見つけた者(丹羽兵蔵)がいたのです。
秀吉も、笑顔で褒美を諦め、小一郎は村へ帰ることにしました。
引き止める兄を振り払いつつ、手を震わせています。
「わしが恐ろしかったのは兄者じゃ」
横川甚内を斬ったときの秀吉、その恐ろしい形相を思い浮かべて震える小一郎。
清須城を出て、故郷へ向かうのでした。
疑問① 史実の秀吉は盗人の疑いをかけられた?
柴田勝家から盗人の疑惑をかけられた秀吉。
あれは史実だったのか?
というと小瀬甫庵『太閤記』に元ネタとなるような話が載っています。
永禄6年(1563年)秋の頃、織田信長の家臣・福富平左衛門尉の「金竜の笄(こうがい)」が紛失し、秀吉が疑われました。
笄(こうがい)とは、刀の装身具のこと。
織田家では、茶坊主の拾阿弥(じゅうあみ)が前田利家の笄を盗み、さらに愚弄したため利家に斬り捨てられた「笄斬り」という事件があります。

秀吉と仲がよいことでも知られる前田利家/wikipediaより引用
この一件で利家は信長に激怒され、一時期、織田家から追い出されることで知られますが、それは後日あらためて注目。
秀吉に話を戻しまして……金竜の笄の窃盗を疑われた秀吉は怒り、事件を解決しようと決意します。
そこで尾張津島の知人である堀田孫右衛門尉から情報を得て、犯人を捕まえ、身の潔白を証明しました。
このとき秀吉は「自分が貧乏ゆえに疑われるのだ」と涙ぐむと、哀れに思った信長は黄金と土地をあげたとされます。
『太閤記』は、寛永2年(1625年)に成立した軍記物(読み物)であり、確かな史料とは言えません。
しかし、当時の秀吉を描く史料が他になく、今後しばらくはドラマを描くためアイデアが引用されていくように思われます。
疑問② 斎藤義龍は信長を暗殺しようとした?
ドラマの中で横川甚内を斬った秀吉。
その結果、斎藤義龍(斎藤道三の嫡男)による信長の暗殺計画を知りました。

斎藤義龍/wikipediaより引用
しかし既に丹羽兵蔵から情報を察知していた信長は、刺客に襲われる瞬間を待ち伏せし、逆に返り討ちにしましたが、あの話は史実なのか?
というと『信長公記』に記されています。
永禄2年(1559年)、信長は80程の手勢を引き連れ、上洛しました。
このときは京都や奈良、堺などを見物し、室町幕府の十三代将軍・足利義輝にも謁見するなどしており、その計画を知った斎藤義龍が暗殺チームを送り込んだのです。
計画を察知したのは、ドラマにも名前が出ていた丹羽兵蔵であり、未然に防がれています。
もう少し詳しい内容を知りたい方は以下の記事をご覧ください。
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京都上洛の信長に向け義龍が放った刺客|信長公記31話
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疑問③ 秀吉が最初に仕えた松下嘉兵衛って誰?
中村を出た豊臣秀吉はその後何をどうして、信長の下へ辿り着いたのか?
実は信長の前に、別に仕えたとされる人物が実在します。
劇中では松下嘉兵衛(加兵衛)と呼ばれ、現代では松下之綱として知られる今川家の戦国武将です。

松下加兵衛之綱/wikipediaより引用
本当に秀吉の最初の主君だったのか?
松下之綱の話は『甫庵太閤記』や『名将言行録』が出典だったりして、信頼度に疑問符はつきます。
ただし、長浜時代の秀吉に仕え、次男の妻に加藤嘉明の娘を迎え、さらには1万6000石の大名になるなど、実績は十分。
今後あらためて登場のチャンスはあるかもしれません。
なお、松下之綱の詳細に興味をお持ちの方は、以下の関連記事からご覧ください。
👨👦 『豊臣兄弟』総合ガイド|秀吉と秀長の生涯・家臣団・政権運営等の解説
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