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不気味不気味な桶狭間!義元に襲いかかる魑魅魍魎【戦国浮世絵ANARCHY 3】

尾張の小領主から天下人にまで昇りつめた織田信長

その功績の中で最もミステリアスな一大イベントが【桶狭間の戦い】でしょう。

3~4万からの大軍を率いていた今川義元を相手に、わずか2000ほどの織田軍がどうやって勝利に漕ぎ着け、さらには首までとれてしまったのか?

信長公記』を元にした通説は以下の記事にお譲りするとして、

桶狭間の戦いで信長が勝てたのは必然か『信長公記』にはどう書かれた?

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私が注目したいのは、実際に今川義元に襲いかかった兵士のことです。

これが名前が判明しておりまして。

戦国浮世絵ANARCHYの第三回は、桶狭間にいくで、おりゃあああああああああ!

 

立花部隊が最強と称された理由

合戦で一番怖いのは、敵陣へ先頭で突入することだとされています。

理由は単純。
怖いから。

真っ先に相手を殺しに行くということは、逆に一番最初に殺される危険性もあり、マトモな神経の持ち主なら誰しも避けたいところなわけです。

武士だって人間ですから死にたくはない。ましてや雑兵として駆り出されてきた半農民の兵士など、足がすくんで動けなくなる。だからこそ先頭で敵に凸った者には「一番槍」という武功が与えられる。

そこで成り立つのがこんな公式でしょう。

戦場の公式

強い部隊は、前に出ていく武将が多い

当たり前じゃん!
そう思われるかもしれませんが、戦国最強として畏怖される立花宗茂の部隊は、他家と比べて武将の戦死率が非常に高かったそうです(参照『軍事の日本史』)。

つまり、多くの家臣が次々に突撃していくからこそ、部隊が強くなり、立花宗茂も最強と称された。

これ、織田信長にも当てはまるんじゃないか?って思うのです。

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桶狭間での勝因は馬廻衆が襲いかかったからこそ?

織田信長は自ら前に出る武将でした。

ちょうど次週の『麒麟がくる』に登場する若かりし頃の信長だけでなく(一騎打ちしたことも!)、尾張や美濃を制して大大名の仲間入りをし始める頃になっても先頭で馬を駆ったりしています。

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ましてや永禄三年(1560年)桶狭間の戦いのときなどは、まだ数えで27歳の信長イケイケモード。

今川軍が攻めてきた最初の頃は、戦う素振りを見せず、しょーもない会議をやったりして「あぁ、こいつ、もう終わったな……」と家臣たちにバカにされたりしてるんですが、ところがいざ出陣を決めてからはまさに神速だった。

今川軍が進軍してきたら、わずか5騎の伴を連れて出発。熱田神宮で戦勝祈願をしながら味方を待ち、ようやく集まった2000の兵で今川の大軍に突撃するのです。

ここで注意して欲しいのが、2000の兵は単なる雑兵ではなかった、ということ。

信長は普段から「いつでもガチで戦える武家の二男・三男以下」を900人ほど馬廻衆(=親衛隊)として雇っており、いわば戦闘を生業とするプロフェッショナルを引き連れていたのです。

先の立花宗茂の例を思い出してください。

前に出る武将が多い立花部隊だからこそ、宗茂は最強と称された。一方、織田信長を、わざわざ「最強」と言う人は少ない。それはたぶん最強よりも上の呼称=天下人になったから。しかし信長凄さの本質は、宗茂と同じく前に出て戦うことです。

そういう精強な側近たちと共に世紀の一戦【桶狭間の戦い】も成し得たのではないか?と。

そして、その義元に一番槍をつけたのが、服部春安(服部小平太)であり、首を実際に落としたのが毛利良勝(毛利新助)でした。

桶狭間の二人

◆服部春安(服部小平太)
一番槍をつけるも膝を斬られる

◆毛利良勝(毛利新助)
指を食いちぎられながら今川義元の首をとる

 

戦国浮世絵ANARCHY第三弾

馬廻衆を引き連れた信長に対し、今川義元の周辺を固めていた兵がいかなる連中だったか?詳細は不明です。

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しかし、信長軍ほどプロフェッショナル武将の純度は高くなかったでしょう。

服部小平太も毛利新助も、その後、出世しますが、詳細は別記事(記事末にリンクあります)にお譲りするとして、いよいよ本題の鞘ェもん氏「戦国浮世絵ANARCHYイラスト」へと参りましょう。

第三弾となる今回は、この服部と毛利が今川義元に襲いかかる場面です!

いくで、おりゃあああああああああああああああああ!

怖い……。
とにかく不気味……。

アイマスクの目の部分を煌々と、黄緑色に光らせた兵たちが、今川義元に襲いかかっております。

その姿、まるで亡者、魑魅魍魎じゃないですか。

無機質なアンドロイドのようでいて、仮面の下には、血の通った人間が入っているんですから恐ろしいとしか言いようがない。

毛利新助と服部小平太、どちらがどちらなのか? 不明なのが、また無機質で不気味。

このとき義元は何を考えていたんでしょうかね。

恐怖に支配されていたのか。己の油断を悔いていたのか。

いずれにせよ、こんな連中に囲まれ、最期を迎えるなんてたまったもんじゃありません。

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絵・鞘ェもん(ツイッターサイト
文・五十嵐利休

【参考】
国史大辞典
『軍事の日本史(朝日新聞出版)』(→amazon

 



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