斎藤義龍

斎藤義龍/wikipediaより引用

斎藤家

斎藤義龍(道三の長男)はなぜ父マムシを殺したか?33年の生涯まとめ

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斎藤義龍
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美濃の武士から見て義龍のほうが魅力的

今日知られるようになってきたのですが、道三は一代で大名にのし上がったワケではありません。

父・長井新左衛門尉との二代がかりで、美濃を国盗りした人という見方が有力になってます。

その辺の経緯は以下の記事で触れていますので、気になる方はご覧ください。

斎藤道三
斎藤道三 史実の人物像に迫る!マムシと呼ばれた戦国大名63年の生涯

続きを見る

美濃の統一までに、道三が何をしたか?

長井氏を実質的に乗っ取ったり。

美濃守護だった土岐氏を追い出したり。

戦乱に荒れていた当時の中でも、かなりの悪業を実行しており、それだけに美濃の中には道三に対して恨みを抱く人もたくさんおりました。

知略に長けた道三と真正面から戦をするのは、下策も下策。

少しでも望みがあるのは、代替わりです。

実際、義龍が道三と本格的に対立した後、多くの美濃の武士が義龍に味方しました。

後に岐阜城として知られる斎藤氏の稲葉山城は難攻不落の名城だった/Wikipediaより引用

おそらく道三と義龍の二重政権状態になった時期から、

「マムシにいつまでも好き放題されるのはごめんだ! まだ若い義龍殿のほうが話がわかる」

と考えていた人が、義龍についたのでしょう。

そしてその数が道三の想像以上に多かったのでしょう。

こうした要因が重なって、義龍と道三は親子でありながら敵対することになったのではないでしょうか。

 

江戸時代の後期に作られた話ならば

ただし……。
そうなると、今度は別の疑問が生まれてきます。

なぜ義龍が「土岐氏の血を引いている(道三の子ではなく土岐頼芸の子である)」なんて話が江戸時代になって出てきたのか?

実は江戸時代の後期になると、大名の中で「隠居後に復帰した」という例がいくつか見られるようになります。

もちろんケースバイケースですが、江戸時代では隠居した大名の復帰や、実質二重政権になることが大した問題ではなかったのです。

そういう価値観の人が、義龍と道三の話を見た場合、どう思うか?

「ご隠居様が政治をしたって問題ないのに、どうしてこの斎藤親子は対立した?

きっと何か大層な理由があるのだろう。

例えば義龍が、実は道三じゃなくて頼芸の息子だったら?

父の敵討ちになるな!

おぉ、それだとスッキリする!!」

そんな風に想像を膨らませてしまうことも、ありえなくはなさそうです。

また、江戸時代には講談の類が非常に大きな娯楽でした。

中には歴史的事実にかなりの脚色をし、それが観客に大ウケしたために、創作物が事実のように思われているケースもままあります。

ちょうど現代人が、歴史小説や時代小説、あるいはドラマや映画、ゲームのストーリーをそのまま「これが本当にあった出来事なんだ」と信じ込んでしまうように。

「義龍が本当は頼芸の息子」という話は、そういうものだったのかもしれません。

さて、そろそろ本題に戻りましょう。

 

まずは兄弟を殺して挙兵 戦いは一方的に

義龍を疎んじるようになった道三。

いよいよ別の息子・孫四郎を正式な跡取りにし、さらに喜平次に「一色右兵衛大輔」と名乗らせ、義龍との扱いの差を明らかにします。

一色氏は室町幕府の要職「四職」の家柄で、要するにお偉いさんの一族です。そう名乗ることによって、箔をつけられるわけですね。

喜平次の母も不確定ですが、深芳野だという説もあります。

さらに深芳野は一色氏の出ともされるため、この場合は母方の名字を使わせたことになりますね。

こうなると、義龍の立場は宙ぶらりんになってしまいます。

一回は家督を譲られたと同然のポジションだったのに、明らかに格差をつけられたわけですから、怒りも湧いたでしょう。

そして弘治元年(1555年)。

仮病を装って孫四郎と喜平次をおびき出して謀殺して挙兵し、翌弘治二年(1556年)の4月20日、【長良川の戦い】で父の道三を討ち果たすわけです。

長良川の戦い
長良川の戦いで父・道三と息子・義龍が激突!その後の斎藤家はどうなった?

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戦いは一方的なものでした。

なにせ美濃の地元勢は義龍をプッシュしていたのだから当然でしょう。

実は義理堅い織田信長もわざわざ救援に向かって来て、結局、何もできず、そのまま帰路へとついています。

このとき信長自らが殿(しんがり)を買って、無事に全軍を尾張へ戻したという話があります。

信長が殿(しんがり)を担った長良川! 道三敗死からの撤退戦~信長公記24話

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上記、本サイトの連載『信長公記』に掲載されておりますので、よろしければご覧ください(次ページ末にもリンクございます)。

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