斎藤義龍

斎藤義龍/wikipediaより引用

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斎藤義龍(道三の長男)はなぜ父マムシを殺したか?33年の生涯まとめ

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信長の暗殺計画も実行していた

道三は義龍をバカ扱いしていたとされます。

が、その後の領国経営や外交については、ときに義龍のほうが優れているフシもあります。

例えば、こんな感じですね。

織田信行織田信広と通じ、尾張を揺さぶる

・婚姻を通じた浅井氏から六角氏への外交切り替え

・一色氏(清和源氏)を名乗るにあたり、日蓮宗から禅宗への改宗

・朝廷へ接近し、治部大輔(のちに左京大夫)の官職をもらう

・幕府にも接近し、相伴衆の一員となる

などなど。内政、外交、謀略と精力的に動いておりました。

変わったところではこんな話があります。

それは永禄二年(1559年)のこと。

織田信長がお忍びで上洛した際、火縄銃を用いた刺客を送り、信長を暗殺しようとしたのです。

京都上洛の信長に向け義龍が放った刺客! どう対処した? 信長公記31話

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このときは信長と機転の利く家臣によって見破られて失敗しましたが、記録上「日本初の狙撃」とされています。

なかなか大胆な試みですよね。もしも義龍が凡将だったら、このような試みは実施されてなかったでしょう。

斎藤義龍/wikipediaより引用

 

33才の若さで急死してしまった

翌1560年は【桶狭間の戦い】があった年でもあり、この頃の信長が如何に危険な毎日だったか、ということも感じさせてくれます。

桶狭間の戦いで信長が勝てたのは必然か『信長公記』にはどう書かれた?

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しかし、そんな義龍の脅威も続きません。

1561年に本人が33才の若さで急死してしまうのです。

マムシという強敵を倒し、信長にプレッシャーを与え続け、美濃一国を切り盛りしていた人物としては、あまりに呆気ない最期でした。

そのせいか斎藤義龍については、いささか過小評価された見方が広がっている気がしてなりません。

2020年の大河ドラマ『麒麟がくる』では伊藤英明さんが演じられ、注目度も大いに上がっております。

今後の新史料発見や、研究の進展が楽しみな人物といえそうです。

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長月 七紀・記

【参考】
国史大辞典

斎藤道三と義龍・龍興 (中世武士選書29)』(→amazon

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