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【土岐頼芸】
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甥・土岐頼純との対立は周辺諸国に飛び火する
ようやくつかみ取った守護職。
土岐頼芸は、とりあえず治世を安定させていたようです。
史料にはしばらく名前が見えないながら、享禄4年(1531年)に書かれた文書には、美濃国内が平和な状態にあったことが推測されます。
彼の政権運営は順調に推移していたのでしょう。
ただし、全てがうまく回っていたわけではなく、天文4年(1535年)には頼芸が本拠としていた枝広館(えだひろやかた)が長良川の氾濫に伴う大洪水で流されてしまいます。
京都に伝わった噂によれば、この水害によって実に2万人余りが死亡。
災害被害はオーバーに伝えられがちですが、当時の治水能力を考えれば、大災害であったことは間違いないでしょう。
さらに、同年から美濃に、再び戦火の影が確認できるようになります。
守護の座を追われていた土岐頼武――その甥・土岐頼純が美濃に復帰したのです。
詳細は不明ながら、当時、近江に逃れていた土岐頼純が、朝倉と六角の勢力を背景にして美濃へ攻め込んだのでしょう。
戦そのものは大事には至りませんでしたが、翌天文5年(1536年)には、【土岐頼純・斎藤氏・長井氏】らの勢力と、斎藤道三の間で戦が勃発しています。
本当にややこしいですね……。
当時、斎藤道三は土岐頼芸を支持しており、敵対する土岐頼純一派が仕掛けたのでしょう。
このときは、道三も、嫡男の斎藤義龍を国外に避難させるなどの苦戦を強いられましたが、最終的に、土岐頼純を美濃・大桑城の城主として承認することで講和となり、平和を取り戻しています。
戦国時代はこうした細かい戦いの繰り返しですね。
そのうちのいくつかが、【桶狭間の戦い】とか【長篠の戦い】など、ド派手な合戦へ発展していく。
それがよくわかる展開ですね。
稲葉山城にて二頭体制が均衡していたが
館が流された土岐頼芸は、一時、道三の稲葉山城へ身を寄せていた可能性が指摘されています。
また、停戦のタイミングで頼芸は【出家】して、天文8年(1539年)には還俗し政務に復帰しました。
美濃国の講和は実に不安定なものではありましたが、それでも
・土岐頼芸&斎藤道三
・土岐頼純
という二頭体制で、仮りそめの平和は保たれていたようです。
それが崩壊するのは、停戦から4年後の天文12年(1543年)のこと。
二頭体制を「良し」としない土岐頼芸と斎藤道三が大桑城を襲撃するのです。
「数万の死者が出た」という(かなり数字の盛られた)大戦の末、土岐頼純とその母子は大桑から敗走し、尾張国の織田信秀を頼ります。
さらには、かねてから友好的な関係を築いていた朝倉家にも出兵を要請。
土岐頼純は、織田家と朝倉家という二枚の後ろ盾を得ることになるのです。
一方、土岐頼芸サイドも、危機を察知した道三の手によって浅井家・六角家の支援を取り付け、またもや美濃だけではなく周辺諸国を巻き込んだ戦の機運が高まっていきます。
このような情勢下で、頼芸は、自身の立場が危ういものとなっていくのです。
道三相手では連合軍でも攻略が難しい
頼純を支持する織田・朝倉の軍勢は、天文13年(1544年)、美濃への侵攻を開始しました。
「敵から戦利品を分捕りできるかもしれない、美濃の領地を奪えるかもしれない」
そんな欲もあいまって織田朝倉軍の勢いは当初優勢でしたが、軍勢の大半を占める織田軍は統率面がいま一つで、朝倉軍も遠路からの進軍で疲弊していたことが推測できます。
軍略家としても有能であった道三という難敵に阻まれ、美濃侵攻は一筋縄ではいきません。
緒戦となる赤坂(現在の岐阜県大垣市)における争いでは織田方が勝利したものの、後の戦を考えればこれは相手を油断させるための計略的な敗戦であったと分析できます。
その証拠に、稲葉山での戦いにおいては道三が大勝。
戦そのものも頼芸サイドにとって有利な展開が繰り広げられていきます。
そして天文15年(1546年)。
両者の間では和睦が結ばれ、織田・朝倉の両軍は目的を果たせないままの撤退を余儀なくされました。
ただし、講和の条件として土岐頼芸の守護隠居と、土岐頼純の次期守護への内定があった可能性も指摘されており、完全な勝利とは言えないものです。
というよりも。
ほかならぬ道三が、土岐頼純に娘を嫁がせていることから、仮に土岐頼芸が失脚して頼純が守護の座を得ても、斎藤家の勢力をキープできるようにしておいたのではないでしょうか。
さすがマムシです。
ところが、です。
肝心の土岐頼純が、天文16年(1547年)に急死してしまうのです。
めちゃめちゃ怪しいですよね。
何者かによる暗殺ではないか?
てか、道三でしょ?
という指摘もありますが、前述のとおり土岐頼純には娘を嫁がせる保険をかけていて、暗殺をする必要性は感じられません。
やっぱり……土岐頼芸……?
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