武田・上杉家

第三次川中島の戦いは真田の調略と信玄の緻密な戦術が凄まじい!

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武田右翼軍、進撃開始! 犀川渡河は危険?

次に武田の右翼、松代を完全に手中に収めた真田の信濃先方衆が千曲川に沿って北上します。

この付近には島津氏という上杉方の国人衆がいましたが、島津氏は千曲川の渡しを管理していた居館・長沼城を捨てて、詰めの城・大倉城に籠もります。

しかし勢いに乗って迫ってくる武田の軍勢と大雪で、上杉の後詰めが期待できない状況にあっては越後まで落ちていくしかありませんでした。

武田信玄はこの間、もちろん力攻めだけを指示してはいません。

善光寺の北方、越後との国境深くまで調略の手を伸ばし、残る北信濃国人衆も親戚同士の内輪揉めにつけこんで次々と味方に付けていきます。

中野、飯山方面では高梨氏の親戚衆である山田氏と木島氏の調略に成功し、要衝・飯山城を攻めます。

飯山城は江戸時代には飯山藩として信越国境の押さえとなる独立した藩として存続していました。

この一件だけでも飯山城が交通の要衝としての重要性が分かります。

ここを奪われると本当に越後はピンチなのです。そして……。

 

お前らはワシを本気で怒らせたようだ 逆襲の謙信

信玄に寄せられ、警戒警報が鳴りっぱなしの越後国。

高野山から戻り、改めて家臣の結束を確認した上杉謙信は雪解けを待って出撃します。

お城野郎ワンダーキャッスルジャパン20141218-9

©2014Google,ZENRIN

まずは飯山城を全力で救援。

勢いそのままに、島津氏の「長沼城」を奪い返します。

そして善光寺平に戻ってきた謙信は横山城に布陣すると、奪われた葛山城を力攻めし、再度、取り戻しました。

イラスト/富永商太

謙信は、この辺り一帯を押さえるにはやはり最前線を犀川にして、そのためには第二次川中島の戦いの和睦条件で破却した旭山城が必要と考えて再興し、ここに本陣を移したのです。

そして、その後は電光石火で次々と城を奪い返して行きました。

この間、武田方の武将は何をしていたのでしょう?

 

 「信玄が決戦を避けた」戦いと言われているが

実は武田方は城郭戦のセオリーである後詰めの布陣を敷いていません。

上杉の攻撃が早くて強力だったというのもありますが、それ以上に地元の国人衆だけを残して武田の右翼も左翼も退却していたので、ほとんど何も抵抗がなかったというのが真相でしょう。

武田本隊に決戦を挑みたい謙信は善光寺平南部まで深く攻め込み、当時、改築中であったといわれる後の海津城、松代の香坂城も破壊します。

さらに雨飾城の攻略にまでかかりますが、さすがの堅城。

これは落とすことができませんでした。

ただ、謙信の目的はあくまで武田の本隊との決戦ですので、雨飾城攻略に腰を据えて取り掛かるつもりはありません。

お城野郎ワンダーキャッスルジャパン20141218-10

謙信 怒涛の反撃ルート/©2014Google,ZENRIN

結局、善光寺平の南部、松代方面の奥深くまで進むも、武田本隊に遭遇することなく飯山城まで撤退しました。

この第三次川中島の戦いは、第二次のように武田方が平野部に出て来ず、籠城したり撤退したりしたことで「信玄が決戦を避けた」戦いと言われています。

果たしてそうでしょうか。

武田信玄の決戦を避けた意図を考える必要がありそうです。

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