足利家に連なり、将軍職に就くこともできるほど高い家格の今川家。
戦国時代には、いち早く分国法『今川仮名目録』を制定(1526年)し、守護不入の宣言などで戦国大名への道を歩むと、ほどなくして輩出されたのが今川義元だった。
東海道最強――。
そんな称賛から「海道一の弓取り」とも讃えられる義元は、当初、家督可能性の低い三男(あるいは四男説も)だった。
しかし兄二人が急死したため、その座が転がり込んできており、実は、その直後から御家騒動が勃発するなど、決してラクな道を歩んだわけではない。
しばらく「戦国時代」の続いている、マンガ「日本史ブギウギ」、第143話スタート!
黒衣の宰相
◆黒衣の宰相と呼ばれる僧侶は主に次の方たちです
【黒衣の宰相】
信西→後白河天皇の側近
満済→足利義満・足利義持・足利義教という計3代将軍に仕えた
太原雪斎→今川義元の参謀
安国寺恵瓊→毛利&豊臣を渡り歩いたが関ヶ原の戦い後に処刑
金地院崇伝→徳川家康の側近
南光坊天海→徳川家康の側近
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著者:アニィたかはし