中岡慎太郎

中岡慎太郎/wikipediaより引用

幕末・維新

中岡慎太郎は龍馬にも負けない薩長同盟の功労者~30年の生涯まとめ

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武力倒幕を目指す最中に近江屋事件

先程、幕末はわかりづらい――と申しましたが、中岡のスタンスについても中々読み取りづらいものがあります。

慶応2年(1866年)の時点で、彼は

「窃(ひそ)かに知己に示す論」

において、大政奉還を支持しています。

しかし、慶応3年(1867年)に坂本が幕臣・大久保一翁(忠寛)・勝海舟らの大政奉還論を実現しようとした際には反対しています。

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中岡と坂本は同じ事件で亡くなったこともありますし、功績も重なることが多い人物です。

ただし、必ずしも思想が一致していたとはいえないようです。

武力で倒幕すべきだと考えていたのが中岡です。

岩倉具視三条実美西郷隆盛らと連携しつつ、慶応3年(1867年)7月に「陸援隊」を組織。

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坂本龍馬の海援隊と似た名前ですが、実態はまるで別物でした。土佐藩遊軍の認知を受けた、武力倒幕を目指す隊であり、中岡はその隊長となったわけです。

中岡は武力倒幕を目指し活動をします。

もしも彼がもっと長生きできたらば、戊辰戦争では先陣を切っていたかもしれません。

しかし、運命がそれを許しませんでした。

大政奉還後がなったあとの運命の11月15日。

近江屋で惨劇は起きました。

坂本とともに、幕府見廻組の佐々木唯三郎らによって襲撃され、重傷を負います。

そして、その二日後の17日に絶命するのでした。

享年30。

 

もっと正しい評価を

薩長同盟といえば、坂本龍馬。

不思議なほどに中岡の名前は取り上げられません。

しかし、薩摩側の玄関口が坂本ならば、長州側は中岡です。

余りに不当な扱いであると言わざるを得ません。

彼を主役としたフィクションが少ないこと。

土佐勤王党の持つ暗い側面。

戊辰戦争による武力制圧に肯定的であったこと。

こうした負の要素だけでなく、龍馬と比較してどうしても暗い雰囲気があるからでしょうか。

しかし、歴史はイメージではなく、その人が成し遂げたことで評価されるべきです。

彼の生涯に光が当たることを願って止みません。

文:小檜山青

【参考文献】
松岡司『中岡慎太郎』(→amazon
国史大辞典

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