徳川昭武(左から三番目)らの遣欧使節団・ベルギーで撮影/wikipediaより引用

幕末・維新

トラブルの連続だった昭武と栄一の遣欧使節団~欧州で何があったのか

こちらは3ページ目になります。
1ページ目から読む場合は
昭武と栄一の遣欧使節団
をクリックお願いします。

 


薩英の暗躍

生麦事件を経て、薩英戦争で手を組んだ薩摩とイギリス。

昭武一行は、薩英の暗躍にも晒されます。

生麦事件
生麦事件で死者一名と重傷者二名 イギリス人奥さんは頭髪を剃られ薩摩vs英国へ

続きを見る

薩英戦争
薩英戦争で勝ったのは薩摩かイギリスか? 戦後は利益重視で互いに結びついたが

続きを見る

イギリスとしては南北戦争で余った武器を日本で売り捌き、自国に従順な政権を作り上げたい。そんな思惑から反幕府の立場をとります。

そこにベルギー貴族・モンブラン伯というあやしげな人物も絡んできます。

彼は幕府に対して一方的な私怨を抱き、潰そうと画策していたのです。

こうした妨害行為は、メディアを通して行われました。

「今フランスにいるプリンスは果たして権力を持っているのか? 信じるに値するのか?」

暗躍するモンブラン伯の息がかかった新聞がそう書き立てるわ。旅費の借款で揉めるわ。どうにも不穏な空気が立ち込めてゆきます。

その背後に、海を超えた反幕があったことは押さえておいた方がよいでしょう。

万博参加を幕府が勧めた際、応じたのは佐賀藩と薩摩藩のみでした。

幕末の大変な時期です。無理もないことでしょう。

このうち薩摩藩は不敵にも、薩摩藩主と琉球国王を混同させるような情報をマスメディアに流しました。

陳列会場でも日本からの独立国であるかのような展示をし、まるで丸に十字が国王の紋章であるかのように掲げられたのです。

いったい日本はどうなっているんだ?

そう疑念を抱かせることを、薩摩藩は堂々と行いました。彼らの背後にイギリスがいて、その知恵を吹き込んでいたのであれば話があいます。

華やかな万博の裏では、倒幕へ向けた暗闘も行われていたのでした。

 


プラントハンターの庭でホームシックを癒す

幕末から明治にかけて、西欧諸国と渡り合った日本人がいました。

幕府側にせよ、それは素晴らしいことのように思えます。

しかし、彼らなりの思惑もありました。

江戸時代、ヨーロッパ経由でサツマイモやジャガイモが日本にもたらされ、食生活が変わりました。これは一方通行でもなく、西洋も東洋の植物を求めていたのです。

彼らはプラントハンターと呼ばれ、東洋で珍しい食物の採取を行いました。

オランダでは、あのシーボルトの子であるアレクサンダーが、昭武一行を庭園に案内しました。

アレクサンダー・シーボルト
青天を衝けアレクサンダー・シーボルトは12歳で来日の親子揃って日本好き

続きを見る

そこにはシーボルトが日本で集めた牡丹、菊、百合が咲いていました。

この出来事は、いかに珍しい植物に高値がつくかということを示しています。

こんな異国に日本の花があるとは……そうしばし、郷愁に耽る一行でした。

なお、オランダでは醤油も輸入販売されており、これもホームシックを癒すために一役買ったとか。

とはいえ、これは綺麗なだけの話でもありません。

世界初のバブル経済とは、17世紀オランダの「チューリップ・バブル」とされています。

オスマン帝国由来のチューリップに高値がつき、球根が買い漁された結果、それが暴落し大混乱に陥ったのです。

雅な日本の花も、要するに文字通り金のなる木であったのです。

植物を持ち帰ったシーボルトには、こうしたプラントハンターの顔もありました。

シーボルト
シーボルトはスパイか生粋の親日家か? あの事件から30年後に再来日していた

続きを見る

シーボルト事件
シーボルト事件に巻き込まれた高橋景保 その最期はあまりに不憫な獄中死だった

続きを見る

 


その後の遣仏使節団一行

昭武一行の使節団は、もしかしたら「無駄だったのか?」と思われてしまうかもしれません。

結局のところ、イギリスと手を組んだ薩摩が勝利し、幕府は崩壊。

異国の地で倒幕を知った一行の虚しさを思えば、胸が痛くなります。

しかし、帰国したメンバーの中には、新たな日本作りに貢献した人物も多数います。

「日本資本主義」の父と称される

渋沢栄一
渋沢栄一には実際どんな功績があったか「近代資本主義の父」その生涯を振り返る

続きを見る

高松凌雲(たかまつりょううん)

函館戦争では敵味方区別なく治療。医療技術とボランティア精神の向上に貢献。

高松凌雲
箱館戦争に出向きパリ万博でも活躍した医師の高松凌雲 その後はどうなった?

続きを見る

・杉浦譲

郵便制度の確立、富岡製糸場建設に貢献する。

・山高信雄

政府に出仕し、博物館行政に関わる。

・田辺太一

明治政府出仕後、外交通として岩倉県央使節団に随行。貴族院議員、錦鶏間祗候となる。

・箕作麟祥(みのつくり りんしょう)

フランス法典翻訳出版に貢献。成文法の成立に大きく貢献する。

栗本鋤雲(くりもと じょううん)

政府には出仕せず、在野の舌鋒鋭いジャーナリストとして活躍。

・向山一履(むこうやま かずふみ)

静岡藩学問所頭取となるも、廃藩置県後は漢詩人・向山黄村として余生を過ごす。

・清水卯三郎

出版、輸入、輸出品の製造販売に貢献。

こうして成功したものもいれば、会津藩士として白河口副総督となり、戦死した横山主税常守もいました。

保科俊太郎正敬は、知識と語学力を生かし、明治の陸軍をフランス式とすべく尽力しました。

しかし長州軍閥が陸軍をドイツ式にすると決めると、彼は己の役目が終わったことを悲観したのでしょうか。明治16年(1883年)自殺を遂げてしまいます。

幕末の日本人留学生や欧米の土を踏んだ中にも、いろいろな人がいました。

攘夷思想から抜けきれず、ストレスのあまり自殺してしまった人。

困窮し命を落とした人。

そして写真と名前だけは名簿に残っているものの、その後の消息が不明となった人。

歴史の中に消えていった人々もいます。

様々な思いがあって、新しい明治という世ができた。そこには幕府も倒幕側も超えた協力があった。

そんな思いを感じつつ、歴史を楽しんでいければよいですね。


あわせて読みたい関連記事

渋沢栄一
渋沢栄一には実際どんな功績があったか「近代資本主義の父」その生涯を振り返る

続きを見る

高松凌雲
箱館戦争に出向きパリ万博でも活躍した医師の高松凌雲 その後はどうなった?

続きを見る

アレクサンダー・シーボルト
青天を衝けアレクサンダー・シーボルトは12歳で来日の親子揃って日本好き

続きを見る

コメントはFacebookへ

徳川昭武
欧州視察中に幕府が倒れてしまった!将軍の弟・徳川昭武が辿った波乱万丈の生涯

続きを見る

万延元年遣米使節
万延元年遣米使節を送った幕府の目的はズバリ金だった?条約署名はワシントンで

続きを見る

川上貞奴
日本初の女優・川上貞奴~ピカソやロダンさらには総理大臣も魅了する

続きを見る

文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link

【参考文献】
宮永孝『プリンス昭武の欧州紀行』(→amazon
別冊歴史読本『世界を見た幕末維新の英雄たち』(→amazon
コーツ『プラントハンター東洋を駆ける: 日本と中国に植物を求めて』(→amazon
鹿島茂『渋沢栄一』(→amazon

TOPページへ


 



-幕末・維新
-

×