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【島津斉彬】
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本拠・鶴丸城で閲兵していたところ、急病となり……
この状態を、大名たちも見逃しませんでした。
次の将軍の後見に近い立場になればなるほど、自分の家や藩が有利になります。
そこで斉彬は、かねてから親交のある斉昭の息子・一橋慶喜(後の徳川慶喜)を十四代将軍にすべく動き始めたのでした。
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その一環として、大奥から切り込むために送り込んだのが篤姫である……というのもおそらく大河の通りです。
家慶も一時は慶喜を跡継ぎに考えていたようなので、その辺も影響したかもしれませんね。
一方、直弼らは血筋の近さなどから紀州藩十三代藩主・徳川慶福(よしとみ)を擁立しました。こちらはこちらで英邁を知られており、推される理由としては充分です。
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最終的には大奥での徳川斉昭の嫌われ方、慶福が家定のいとこである関係などにより、慶福が十四代将軍に決まります。
斉彬らの敗北ということになりますが、これに対して彼は武力で対抗しようとしていた……とされています。
そのための準備として本拠・鶴丸城(鹿児島城)で閲兵していたところ、急病となりそのまま亡くなりました。
死因はコレラということになっています。
が、斉彬の息子の多くが夭折している(暗殺の疑いがある)ため、「島津斉興や島津久光(派の家臣たち)による暗殺ではないか?」という説も根強く囁かれております。
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肝心の斉彬と久光の兄弟仲はかなり良好でしたので、久光主導の暗殺は考えにくいですけどね……。
カメラの趣味で娘を撮影した写真も残る
次の薩摩藩主の座は、斉彬の遺言で、久光の長男・島津忠義が継ぐことになりました。
当初は斉彬の息子・哲丸が成人するまでの予定でしたが、当の哲丸が夭折したため、忠義がそのまま藩主を務めています。
そして忠義は最後の薩摩藩主となったのです。
お由羅騒動の経緯からすると意外かもしれませんが、前述の通り斉彬と久光とは仲が良かったそうで、弟の気持ちも汲んだのでしょうか。直接、久光を跡継ぎに指名すると影響が大きすぎますし、斉彬と久光は8歳しか変わらないので、年齢的な理由もあるでしょう。
斉彬自身のモットーとして、
「愛憎で人を判断してはならない」
「誰にでも好かれる人物は、非常時に的確に判断できない」
といったものもあります。
幕末の大名であり、幕政にも関わろうとしたことから何となくコワいイメージもありますが、プライベートでは写真を愛するという一面もありました。
斉彬自ら娘を撮った写真もあります。
現代のプロの目から見ても割と腕は良いんだとか。
長生きして普通に隠居していたら、もっと多くの写真を撮り、その道でも名を残していたかもしれませんね。
【年表で見る島津斉彬と外国圧力の歴史】
1808年 生誕前 フェートン号事件(外国からの圧力)
1809年 1才 島津斉彬誕生
1811年 3才 ゴローニン事件
1821年 13才 伊能忠敬が『大日本沿海輿地全図』を完成
1823年 15才 シーボルトが鳴滝塾を開く
1825年 17才 無二念打払令(異国船打払令)
1827年 19才 西郷隆盛誕生
1828年 20才 シーボルト事件
1830年 22才 大久保利通誕生
1833年 25才 天保の大飢饉(~39)
1837年 29才 モリソン号事件
1839年 31才 蛮社の獄
1840年 32才 アヘン戦争
1841年 33才 水野忠邦「天保の改革」
1844年 36才 西郷が郡方書役助になる・英仏の艦隊から薩摩属領の琉球に通商要求
1846年 38才 大久保が記録所書役助として働き始める・ビッドル浦賀へ
1848年 40才 調所広郷が自害
1849年 41才 お由羅騒動(~50年)
1851年 43才 斉彬が薩摩藩11代藩主(28代当主)に就任・集成館事業スタート・ジョン万次郎を保護・太平天国の乱
1853年 45才 ペリー来航
1854年 46才 西郷を江戸に連れていく・洋式帆船「いろは丸」を完成・木綿紡績事業を始める・ペリー再び(日米和親条約)
1855年 47才 安政の大地震
1857年 49才 幕府の阿部正弘亡くなる・篤姫と徳川家定が婚姻・精忠組の活動→島津久光に接近
1858年 50才 島津斉彬、藩兵5,000を率いて上洛準備の最中に急死
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長月 七紀・記
【参考】
国史大辞典
安岡昭男『幕末維新大人名事典』(→amazon)
島津斉彬/wikipedia
お由羅騒動/wikipedia