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【阿部正弘】
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阿部は外国の脅威を警戒していた!
実は、黒船来航の7年前の弘化3年(1846年)。
阿部は、バリバリの攘夷論者・徳川斉昭(徳川慶喜の父)に対してこんな書状を書いています。

徳川斉昭/wikipediaより引用
【阿部から斉昭へ】
・ 阿片戦争のことを考えてみてもください。もはや欧米列強のアジア侵略は始まっています
・武力で勝利することはできません。無謀な攘夷を仕掛けて敗北すれば、かえって日本にとって恥となるでしょう
・外国船によって日本の通商を断たれれば、食料すら欠乏しかねません
・軍艦を作り、海防強化に取り組むのが、いま早急に為すべきことです
いつかは欧米列強がやって来る。そのとき攘夷は無謀極まりない。
阿部は冷静にそう分析していました。
黒船来航は当然ショックではありますが、予想外のことではありません。
阿片戦争の知らせは当時の人々に大きな影響を与えていました。好奇心旺盛な知識人の多くが、危機が近いと感じていたのです。
この黒船来航前夜から来航時の老中が、阿部でした。
前述したオランダのもたらした予告情報を手にして、右往左往していたのは幕閣でも阿部くらいのものでした。
嘉永5年(1852年)11月、阿部は懇意で見どころのある、あるいは沿海部の大名にこのことを知らせました。
福岡藩・佐賀藩・薩摩藩がその中に入ります。
黒田長溥は建白書でこれに応じます。彼も蘭癖大名(西洋の学問に詳しい大名)です。そうはいっても、そんなことを言われてもどうしろというのか。あまりに準備期間が短く、対応の厳しさを訴えるものでした。
なお、薩摩藩では島津斉彬が密かに江戸の薩摩藩邸について、海上攻撃を避けるための措置を行っています。
斉彬は聡明だから黒船来航を察知していたというよりも、事前に知っていたのですね。
阿部もそこは理解しています。
それでも、彼は手をこまねいてはいられないのです。
ついに来てしまったXデー
ついにXデーが訪れてしまった、そんな状況の黒船来航。
幕府閣僚は対応を協議し、とりあえずいくつかの藩に命じ、浦賀近辺の警備を固めさせます。今更か、とは思いますけれども。
老中は、阿部一人ではなく、5人いました。
しかし、実質的に頑張ったのは、首座の阿部一人という状態。
とりあえず、相手の国書を受け取る。それで帰ってもらえればいい……阿部はそう考えました。
実際にアメリカも、食料補給の都合上、長居はできませんでした。
浦賀には野次馬がウヨウヨと集まり、攘夷論を言い出しそうな人もいます。しかし、武力では追い払うことはできない。
阿部は予告通りの黒船来航を受け、対策に本気で乗り出すことができるようになったといえる。
阿部の対策は近代的でした。
言路洞開(げんろどうかい)――こう書くと厳しいようで、要するに、意見を広く募集する、パブリックコメントのようなものです。
身分を問わず、阿部は意見を求めました。
届く意見は玉石混交。吉原の楼主など、噴飯物の案を出してきます。
「吉原で接待をして、遊女で美人局をして、そこを騙し討ちにすればよいのです」
こんな提案ですね。
内容はともかくとして、阿部がいかに広く意見を募ったか、そのことはわかります。
ちなみに、徳川斉昭も近年発見された書状によれば、この吉原ハニートラップ作戦と大差ない意見を出してきております。
阿部にせよ、斉昭を説得していたことは確かです。
しかし、斉昭がオカルトじみた「日本は世界でも一流の国家、天皇ファースト、アンチ外人(尊王攘夷)を貫徹すれば負けない!」と言い出したあたりで困惑したようです。
「その日本は一流国家で、どうにかなるという根拠は何でしょうか……」
とかなんとか聞いても、こういう相手に話が通じるわけもないんですね……そしてこのことが禍根を残すことになります。
阿部のこの政策は無駄ではありません。とびきりの逸材が網に飛び込んできました。
「これからは海軍だ、日本が自前で海軍を作るための組織が必要だ」
こう意見してきた、勝海舟です。
阿部はこの進言を受け入れ、勝海舟を登用します。

勝海舟/wikipediaより引用
阿部はこの進言を受け入れ、勝海舟を登用。
勝のもとで「海軍伝習所」が開設されます。

長崎海軍伝習所/wikipediaより引用
群発地震にコレラの流行
在任中にXデーである黒船来航があっただけでも相当なストレスでしょうが、事態はますます悪化します。
「安政の大地震」と呼ばれる群発地震や、コレラの流行など、災厄が立て続けに日本を襲ったのです。
まさしく踏んだり蹴ったり。
さすがの阿部も音を上げて、堀田正睦(本稿はこの名で統一)に老中首座を譲ります。

堀田正睦/wikipediaより引用
しかし、堀田は阿部以上の開国派で、蘭癖の人でした。
これが、結果からすればよくありません。
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