本日2月17日22時から放送のNHK Eテレ『知恵泉』は上野彦馬がテーマです。
いったい誰?と思われる方は坂本龍馬を思い浮かべてください。
真っ先に出てくるのがこちらの写真と思われますが、

坂本龍馬/wikimedia commons
実はこの一枚、上野彦馬が長崎に開業した「上野撮影局」で撮られたものなのです(撮影したのは上野の弟子)。
幕末維新、ひいては現代に至るまで日本の“写真文化”に大きな影響を与えた、上野彦馬の功績を振り返ってみましょう。
写真に出会い舎密学の道へ
上野彦馬は天保九年(1838年)8月27日、長崎で生まれました。
蘭学者である父の上野俊之丞は、砲術や測量でも名高い人物。
彦馬も幼い頃より才覚を認められ、15歳のときに広瀬淡窓の私塾・咸宜園(かんぎえん・豊後)に入ると、その後、安政5年(1858年)に医学伝習所へ入学します。
ここでオランダ軍医ポンペに教えてもらったのが湿板写真の技術でした。
なんだこれは……!
大きな興奮を覚えた上野彦馬は、医学を捨て、舎密学(せいみがく・化学)を学ぶことを決意して舎密研究所へ。
そもそも写真機が発明されたのはいつのことか?
というと1839年のことです。
フランスのルイ・ジャック・マンデ・ダゲールによって「ダゲレオタイプ(銀板写真)」が世に出され、

ダゲールによる写真『Boulevard du Temple』・1838年から1839年の間に撮影/wikimedia commons
その4年後の天保14年(1843年)には、オランダ船によって日本の長崎にも写真機が持ち込まれていました。
では上野彦馬は、実際にどうやって写真撮影に挑むようになったのか。
アルコールやアンモニアを自作
写真機で撮影した影を紙へ写すには、様々な薬品が必要となります。
しかし、当時の日本にそんな便利なものはなく、上野彦馬は蘭書を読み漁りながら、自作で準備しました。
例えば「アルコール」はお酒を煮詰め、「アンモニア」は牛骨を腐らせてから取り出し、「青酸カリ」は乾燥させた牛の血から精製しています。
こんなことを続けていれば、周囲から気味悪がられるのも無理ない話で「キリシタンの妖術でもやっているのか?」と噂されたりもしました。
さらに彦馬は江戸で、フランス人写真家ロシエから、写真のための化学を学びます。

ロシエが撮影した横浜(1859年)/wikipediaより引用
長崎に戻ってからも、カメラを持って撮影の日々。
そしてその尋常ならざる情熱はついに実を結び、文久元年(1862年)、故郷長崎で「上野撮影局」を開くに至ったのです。
儲かるどころか大赤字
自分の姿を撮影して残せる――。
写真という画期的な新技術の導入に長崎の人々は歓喜する……どころか当初は「ホトガラ狂いが戻ってきたと!」と噂されました。
上野彦馬は正気を失っていると見なされたのです。
薩摩藩では藩主の島津斉彬がカメラ好きとして知られますが、モデルを頼まれた藩士が「魂を吸われたくない」として切腹したこともあったほど。
いかに先進的な長崎と言えども、未知なる技術への警戒感は弱くなく、お金を払ってまで撮影を頼む者は現れません。
そのため店は大赤字。
化学薬品は原料が高いだけでなく、黒魔術のような扱いをされ、モデルには多額の撮影代を払わねばなりません。

上野彦馬が使用したカメラ/wikimedia commons
そんな苦境が少しずつ変わってきたのは、来日外国人の影響でした。
彦馬の撮影した風景や遊郭の写真を土産に買ったり、あるいは彼ら外国人との取引のため長崎へやってきた日本人も顧客になったり。
彼らの中には各藩の藩士たちも含まれ、後藤象二郎や坂本龍馬もそうでした。

後藤象二郎/wikimedia commons
龍馬を撮影したのは彦馬の弟子・井上俊三です。
活況になりつつある様子を受け、彦馬は写真の未来に確信を持つに至りました。
なんせ、ほぼ同時期の文久二年(1862年)にも、横浜で下岡蓮杖が写真局を開業しており、日本の写真の祖は「東の下岡蓮杖、西の上野彦馬」とされています。
二人は幕末の歴史的な人物だけではなく、風景や外国人、風俗など様々な姿を写真に残しました。
上野撮影局の功績
写真を通じて交友関係を広く持った上野彦馬には、勝海舟や榎本武揚が同窓にいたり、坂本龍馬以外にも高杉晋作や西郷隆盛、伊藤博文らとも親交を持ちました。
歴史人物以外には、実際どんな写真があったのか?
というと、これが今でも遜色ないようなバリエーションに富んだものばかり。
詳細は、本編記事「上野彦馬の生涯」にございますので、よろしければジックリとご覧ください。
カメラ大好き日本人のハートを刺激するものばかりでして。
非常に貴重な記録となっています。

上野彦馬/wikimedia commons
そんな上野は明治三十七年(1904年)5月22日、長崎新大工町の自宅で亡くなりました。
享年67。
写真に熱狂し、生涯を撮影に捧げた上野の魂は、シーボルトの娘として知られる楠本イネらと共に長崎晧台寺の裏山に眠っています。
参考記事
本記事は弊サイト掲載「上野彦馬の生涯」をもとに、番組放送に合わせて要点を再構成したダイジェスト版です。詳しくは以下の元記事をご参照ください。
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あの龍馬の写真撮影を手配した上野彦馬~日本人初のプロカメラマンはどんな人?
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