貞観政要

北条泰時と徳川家康/wikipediaより引用

文化・芸術

泰時も家康も愛読した『貞観政要』が大河ドラマに欠かせぬ理由とは

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完璧でないからこそ、諫言を聞く

唐太宗こそ、理想の君子である――。

こうまとめてしまうと、太宗は何でもできるスーパーマンのような人物を想像するかもしれません。

確かに太宗は用兵の才能がありました。隋から唐に交代できた背景にも、彼の活躍があります。

とはいえ、実はそれよりも前に、もっと才能に満ち溢れた皇帝がいました。

隋の煬帝です。

暴君として悪名高いとはいえ、むしろその才能は優れていました。スケールが大きかったからこそ、ついてこれぬ民が疲弊し、付け入る隙を与えたともいえます。

しかしだからこそ、己の才能を過信して滅びてしまったのかもしれない。

そう謙虚に考え、失敗しない手段を考えたのが唐太宗の美点につながります。

唐太宗最大の美点は「諫言を聞くこと」です。

自分の欠点を指摘する家臣や皇后の言葉に耳を傾け、恥じ入り、感謝し、改めるところが素晴らしいとされました。

唐太宗には優れた家臣がいました。

房玄齢(ぼうげんれい)と杜如海(とじょかい)は、理想の政治を推し進めるアクセル役といえます。

側近である魏徴(ぎちょう)と王珪(おうけい)は、ブレーキとコントローラーでした。

常に主君の政治が間違っていないか目を光らせていた。

特に魏徴は稀に見る剛直の士でした。

長孫皇后も、夫の行動が軽率であれば嗜めました。彼女も中国史で屈指の賢后とされています。

彼らの意見に耳を傾けていたからこそ、唐太宗は優れた治世を実現できたのです。

吾妻鏡』では、北条政子源頼家に『貞観政要』を読むよう勧めています。

これは理想的な治世を実現して欲しいという願いのみならず、独断専行に傾きがちな我が子をどうにかしたい願いもあったのでしょう。

どうか、お願いだから、自分達の諫言に耳を傾けて欲しい、そうすれば立て直せるはず!

そんな母としての切実な願いがあったのではないでしょうか。

唐太宗は、最初から最後まで名君だったのか?というと、実はそうでもありません。

『貞観政要』には、治世の上で気が緩み、そのことを厳しく諌められる様子が何度も出てきます。

スーパーマンと立派な君子の語り合いではなく、美化だけがなされているわけでもないのです。

魏徴にせよ、このままでは堕落する予兆を切々と述べています。

この主君と家臣の緊迫感あるやりとりこそ、大河ドラマを見る上でも重要な視点と言えます。

 

諫言を聞く主君であれ

2020年大河『麒麟がくる』のクライマックスでは、本能寺へと向かう明智光秀が、己と主君・信長のこれまでの歩みを振り返ります。

当初は光秀の言葉を聞いていた信長。

しかし、いつしか耳をふさぎ、遠ざけるようになった。

そしてその代わりに、信長の意図を忖度してばかりの秀吉に心を寄せるようになります。

こんな主君では、もはや麒麟が到来するような治世が実現できない――そんな絶望も、光秀の心を蝕んでいた。

謀反人である明智光秀を主役とする上で、発表時は悪役、アンチヒーロー路線かと推察されたこともありました。

しかし光秀が熱心に学んでいた漢籍由来の思想を踏まえることで、彼なりの倫理が理解できるようになります。

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2022年『鎌倉殿の13人』でも、この「諫言に耳を傾けないこと」がもたらす悪影響が描かれると思われます。

後白河院に仕える九条兼実は、いつも苛立ち、焦燥感、疲労感が漂っていました。

彼からすれば、自分の諫言を聞かず、駄々っ子のように振る舞う主君はストレスの発生源。

『貞観政要』を愛読していたエリート貴族にとって、悪夢のような状況です。

漢籍に詳しければ、唐の歴史を反面教師としても学んでいます。

寵愛する楊貴妃のせいで道を踏み外した玄宗と、丹後局の言うことを聞く後白河院を重ねて憎んだことでしょう。

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漢籍教養が広まりつつある鎌倉にも、あてはめることができます。

源頼朝は、時に非情な判断を下すとはいえ、その横には大江広元が控えていました。

頼朝の死後、頼家時代に成立する【十三人の合議制】の背景も、『貞観政要』を踏まえていると理解が深まるかもしれません。

唐太宗の側近と比べたって、13人では数が多すぎる!

頼家がそう反発してもおかしくはありませんが、御家人からしてみれば、こう反論もできる。

「諫言を聞かないとはどういうことか? 主君失格ではないか!」

源実朝は、自ら声をかけて唐船を建造するものの、遠浅の由比ヶ浜で座礁し、日宋貿易に失敗してしまいます。

このことについて『吾妻鏡』では大江広元や北条義時が反対したと記しています。

そう記すことで『吾妻鏡』は暗君のフォーマットを踏襲しているように思えます。

唐太宗とは異なり、諫言を聞かぬ。これでは到底名君ではない――。

読者がそう思うような仕掛けとも言えるのですが、それも歴史の教養として『貞観政要』が定着しているからこそ、共通認識として通じるのです。

どんなに偉大でカリスマ性があっても、諫言を聞かないのであればどうしようもない。

逆に、抜けていたり、欠点があったとしても、諫言を素直に聞く主君は素晴らしい。

そんな価値観が東洋では定着したのです。

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