関孝和/wikipediaより引用

江戸時代

和算の大家・関孝和!「算聖」と崇められた頭脳は世界レベルだった

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関孝和の日本式数学「関流」が広まっていく

これに挑んだのが孝和で、新しい計算式を作るというウルトラCでこの15問を解いたのでした。

発微算法とは、簡単に言うと一次方程式のこと。

「6y+5=29」とか、わからない数を文字に置き換えて計算するアレです。

今なら中学校で習うことですが、まだこの時代には生み出されて間もない概念でした。

というわけで、非常にすごいことなわけですが、当初本として出版された際に式を省略しすぎた上、印刷ミスがあったため「インチキじゃねーか!」とツッコまれてしまいました。

後日、孝和の弟子が改版や補足書などを出し、ようやくまとまりを見せたのです。

そして孝和が発展させた日本式の数学は「関流」として、多くの人に広まっていきます。

 

芭蕉や利休と並ぶ

その後も孝和はニュートンやライプニッツ、ベルヌーイといった世界に名だたる数学者達をぶっちぎって微分法やベルヌーイ数を発見したりと大活躍。

凄まじいです。が、それを世界へ広める手段がなかったのが口惜しい。

彼のもとには、同好の士が多く集まり、和算は発展していきます。

中には【遊歴算家(ゆうれきさんか)】といって、諸国を渡り歩いて数学を教えるというような人もいました。

このおかげで庶民にもある程度のレベルで数学ができたそうです。

孝和が俳聖・松尾芭蕉や茶聖・千利休と並ぶ「算聖」と呼ばれるようになったのは、こうして数学をより広めるきっかけを作ったからでもあるのでしょう。しかし……。

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明治時代になると

「これからは西洋数学でやっていくから、和算は廃止」

という政府のイケズなお達しにより、和算を学ぶ人が激減。

そろばんだけが残ったのは、当初、西洋数学を教えられる人間が少なすぎて、簡単な計算をするにも困ったからという何とも中途半端な理由だそうで……。

差し詰め「俺が数学ができないのはどう考えても明治政府が悪い」とでもいえましょうか。

え?数字見ただけでめまいがする?……漢数字なら平気かもしれませんよ^^

 

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【参考】
国史大辞典
江戸の数学関孝和/国立国会図書館
『関孝和の数学』(→amazon

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